2017.07.26 掲載
後編
ヒロスイ写真館代表、カメラマン
酒井大さん
南魚沼市在住
後編
南魚沼市でカメラマンとして活動することについて「田舎だからこそ、カメラマンの自分を必要としてもらえる実感が持てる」と言う酒井さん。取り扱うジャンルは幅広く、最近では地域のプロモーションムービーの制作まで手がけています。
前編では、そんなカメラ好き少年が東京で経験した挫折についてお聞きしました。今回は、故郷に帰ってきてからの歩み、実感したローカルの魅力、そしてこれからの夢についてご紹介します。
魚沼市の実家に帰ってから2、3ヶ月はゆっくり過ごしていた酒井さん。生まれ育った地の空気を吸って元気を取り戻しリスタートを決意。地元のハローワークに足を運ぶと、入り口でカメラマンの求人を見つけました。
「あわよくばカメラの仕事にとは思っていましたが、魚沼でカメラマンの求人があるとは予想外でした。求人を出していたのは、ブライダル中心の衣装屋さん。あっ!そういう需要が地元にもあるのか!とちょっとした発見でした」
東京では違和感があったカメラの仕事ですが、かつてはなかった楽しさを見つけました。「ブライダルや七五三、成人などの写真を撮ることがメイン。東京ではアシスタントだったので、自分が撮った写真が商品になるという体験は初めて。カメラマンデビューですね(笑)華々しいカメラマンに憧れていたけれど、目の前のひとのために撮って、喜んでもらえるのが予想以上に嬉しかったです」
また、行き詰まっていた作品づくりも上手く行きはじめました。撮影対象は、地元の自然がメイン。大自然と、情報は取りに行かなければ入ってこない田舎の環境がプラスに働き、かつての焦燥感はなくなりました。
「帰ってきてから、写真を撮るのに“ないもの探し”がなくなりました。だって、ロケーションがすごいので!とにかく撮りたいものがめちゃくちゃある。四季がはっきりした土地なので、ああもう雪が降った!山が色づいてきた!今なら雪とグリーンを一緒に撮れる!と、忙しいですよ。写真とはなにか…?って悩む前に、とりあえず今目の前にある自然の中で写真を撮ることを楽しんでいます」
Uターン後に勤めた会社で働き、気づけば数年。元々は「2年で独立する」という心づもりだったそうですが、「やり方を提案すれば、どんどん採用してくれ、評価してくれる職場でもありました。やってみたら2年では、まだまだだなと。そうこうしているうちにチーフになったり、結婚して子どもができたりと環境が変わり、思った以上に長くお世話になりました」と酒井さん。
その間も、プライベートで撮りたい写真は撮れていたのでフラストレーションはなかったと言います。会社員時代に、個人的にフリーペーパーを発行したり、地元雑誌でコーナーを持たせてもらったり、いろんなイベントに顔を出すことで仲間も広がりました。
2014年8月に満を持して独立。「ヒロスイ写真館」は、親しみが持てる名前。自身が写真館で、私がいく場所いく場所が写真館になりますという願いを込めてネーミングした。
独立するからには、仕事の幅を広げようと、自分を売り込むために、ポートフォリオを作り企業への営業回りも実施。異業種交流会に参加して名刺を配るなど、とにかく闇雲に動き回ったそうです。
「正直1年目はかなり厳しかったですね。全然仕事が来ない。今思えば的はずれな会社に営業に行っていた。とにかく、来た仕事一つ一つで結果を出すことしかできなかったです。一回も失敗できない。少しでもダサい仕事をするわけにはいかない。それがフリーの厳しさです」。
地道に仕事を積み重ねた結果、2年目からはコンスタントに仕事を受けられるように。現在の仕事はブライダル3割、個人の記念写真などを撮る一般撮影4割、企業からの広告素材や動画撮影が3割。市のプロモーションビデオなども手がけ、ヒロスイ写真館の名前は魚沼・南魚沼を越えて聞かれるようになってきました。
そんな酒井さんが、これから力を入れていきたいのが「錦鯉」の写真です。錦鯉は小千谷市・長岡市山古志にまたがる二十村郷(にじゅうむらごう)で生まれた「泳ぐ宝石」と呼ばれる観賞用の鯉。今では海外でも人気が高い日本を代表する魚になっています。
「錦鯉の写真はブルーを背景に、真上から真っ直ぐ撮る写真が一般的です。それ以外の表現は全くされていません。それが、もったいない!もっとかっこよく錦鯉を撮りたい!と感じました。錦鯉は一般的に紅白とか三色のものが人気。けれども他にもめちゃくちゃクールな柄の錦鯉もいる。せっかくだから錦鯉業界の常識にとらわれず、自由に表現することにしました」
酒井さんは錦鯉撮影用に特注の水槽を作り完全オリジナルの作品を撮影しています。目標は、日本といえば「ゲイシャ・フジヤマ・ニシキゴイ」と外国人に言われるくらい有名にすること。「錦鯉の撮影は私のオリジナルです。東京に居た時に見つけることができなかった“ないもの”が地元で見つかった。写真のスキルとかセンスの良い人はたくさんいるし、自分が優れているとは思っていません。でも、この地にいるのは私しかいない。そして素材は世界のトップブランドである錦鯉。これを誰も撮っていない撮り方で表現していきたい。試行錯誤しながらこのコンテンツを育てていきたい。今では、故郷に戻るときに諦めたアーティストの道も、まだ生きているかもしれないと思っています」
錦鯉は、ないもの探しで見つけたのではなく、帰ってきて、地元で仕事をしている中で自然と見つけて惹かれた素材。作品作りのモチベーションは今までにないほど高まっています。
「友達の中には、今も東京で頑張っているやつがたくさんいる。競争の中で生き残っていくのは並大抵のことじゃないし、すごいと思います。私は難しかった。たぶん根が田舎者だったんです(笑)私じゃなきゃいけないものをつくるまで頑張れなかった言い訳になってしまうんですけれど、東京では『自分』である必要がなくて、代わりはゴマンといる。でも田舎には、フリーで自分のようなジャンル横断的に撮るスタンスでやっている人はほとんどいない。だから、『自分』へのニーズがあるんです。プレイヤーが少なくて目立つから、周りが活躍させてくれるのがありがたいです。カメラマンの仕事もしっかりとしつつ、新しいことにチャレンジしながら、気持ちいい景色の中で、美味しいものを食べて過ごしているなんて、ほんとラッキーですよね」
とはいえ、東京での経験は今も確実に生きています。アシスタントではあったけれど、フリーカメラマンと、大手企業の現場で、あらゆる撮影の基本を見てきたことが、仕事に対して自信が持てる要因になっていると言います。
「経験を積んだからこそ、見える景色も変わると思います。帰ってきてから、18歳までは見えなかった、地元の良さがわかったし世界が広がっていった。例えば世界旅行するというわかりやすい世界の広げ方もあるけれど、地域の生活や文化・歴史を深く知っていくという世界の広げ方もある。ここには、雪がふるからこその風景、食、文化があります。錦鯉もそういう雪に閉ざされた環境で生まれた。この文化をもっと多くの人に知ってもらいたいと思います」
雪が大好きだという酒井さん。この土地にしかないオリジナリティを、カメラを使った表現でこれからも発信していきます。
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