2018.08.10 掲載
vol.1
料理教室Margarita(マルガリータ) 主宰
大宮 優子さん
加茂市
vol.1
加茂市出身。東京の服部栄養専門学校卒業後、都内で料理の道へ進む。7年間レストランで料理人として働き、その後世界一周の旅に出る。帰国後、自分らしく働ける食の仕事はなんだろうと模索し、都内の料理教室で働き始め、2014年には神奈川県の自宅で少人数制の料理教室を始める。親の介護を機に2016年に加茂市へUターン。2017年に加茂市寿町に料理教室Margarita(マルガリータ)をオープン。現在は、母とベネズエラ生まれの夫、そして犬と暮らす。
はじめまして!加茂市で料理教室『Margarita』を営んでおります大宮優子と申します。私が上京し、20年後に新潟にUターンするまでのヒストリーを3回に分けて、お話したいと思います。初回は今の私の礎にもなった、料理の道に進んだ理由や世界を旅した経験をお伝えします。
まず、料理の道に進むことになったきっかけですが、1995年放送のテレビドラマ「王様のレストラン」です。受験勉強の息抜きに楽しみに見ていたのですが、厨房でコックコートを着た面白くもかっこいい女優・山口智子さんを見て、私もシェフになる!! と、台所に立ったこともない、料理の道なんてみじんも考えたこともない18歳の私は完全にドラマに影響され、料理の道に進むことになりました。
今考えると我ながら、なんて単純なんだ、と思ってしまいますが、あの一瞬の思いつきのおかげで今の自分があるのかな、とも思いあの頃の自分に感謝しています。
18歳の私は、料理の専門学校に通うために上京します。上京するまでは特に、東京に出たかったとか、東京に憧れていたとか、そういったことはありませんでした。新潟の暮らしに満足していましたし、最高に楽しいとさえ思っていました。
しかし! 東京に行ってみると、その刺激の多いこと。今の時代はネットの普及で東京と地方の差があまり感じられなくなっていますが、あの頃の私には、「東京って、外国か!?」ってほどの衝撃でした。そこら中にいるストリートミュージシャンに、オープンカフェ、深夜になっても暗くならない街、見たことも食べたこともない料理や食材、最先端のファッション、などなど、色んなことに驚きました。東京では何をやっても目立たない。田舎暮らしが窮屈だと感じたことはなかったですが、都会に出て周りの目を一切気にしないで生活できる気楽さを初めて感じました。誰も周りの人のことなんて見ていませんから。私の性格に合っていたのかもしれません。
料理学校を卒業し、レストランで働きはじめました。噂には聞いていましたが、まあ、なんて厳しい世界なんでしょう。
まさに修行。朝7時から深夜まで働いていた時期もありました。シェフは怖いし、先輩は厳しい、体力的にもきつい。それでも毎日料理の勉強ができる楽しさがあったので頑張れました。シェフの一挙手一投足を目に焼き付け、全て吸収しようと毎日全力で働きました。レストランと家の往復の日々。辛かったけど、満足していました。
ある日のコンビニで、外国の方が英語で店員さんに、道を尋ねていました。しどろもどろする店員さん。英語が話せない私は、その店員さんの様子を見て「あ、私だ」と思ったのです。私もきっと、ああなってしまう。そして、ああなりたくない!と強く思ったのです。その日から、レストランで働きながら、必死に英語を勉強しました。
働いていたレストランに外国人のスタッフや、お客様が多かったこともあり、わりと身近に海外の方と接する機会はありましたので、英語の勉強を機にどんどん海外への興味が出てきました。東京なんてものじゃないくらいの未知の世界。
「どんなところなんだろう。行くしかない!!」
昔から思い立ったら、いてもたってもいられなくなる性分で、世界の国々を実際訪れて見てみたいと思ったら、そのことで頭がいっぱいに…。レストランを辞め、昼は派遣、夜は六本木のバーで働き、お金を貯めました。六本木のバーでの仕事を選んだ理由は、とにかく英語が使いたいから!
資金もできて、旅に出たのは、20代後半の時でした。帰る日は決めずに、行けるところまで行こう、と大まかに行く国は決めていましたが、ルートは全く決めていませんでした。その都度チケットを取り、宿を取り、気に入った街には長く滞在するという最高に気ままな旅。
現地の料理を食べ、人と接し、文化を肌で感じる旅。途中で出会った旅人と宿をシェアしたり、向かう方面が同じ時は途中まで一緒に旅をしたりと、とにかくいろいろな国の方と知り合いました。私の片言の英語であっても、意思疎通ができることで、よりたくさんのことを知ることができ、伝えることができました。
7カ月13カ国の旅の経験は私の宝物です。
インドにいる最中に2004年の中越地震が起きました。両親が住んでいたところは大丈夫だったのですが、両親に電話をかけたところ、なんとなく現実世界に引き戻され、そろそろ帰ろうかなと思ったように記憶しています。
次回はこの旅がその後の私にどう生かされたかをお話したいと思います。
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