2015.04.24 掲載
ライター&コピーライター
丸山智子さん
33歳 新潟市在住
高校卒業後、都内の大学に進学。出版社、広告制作会社、広告代理店を経て昨年、地元新潟にUターン。兼ねてから独立したいと考えていたので、帰郷と同時にフリーのライターとして独立。帰ってきたばかりで、まだまだ手さぐりの状態だが、新潟の魅力を多くの人に伝えたいと考えている。
小学生の時に、細川内閣が誕生。政治が変わる瞬間を目の当たりにしたことで政治家になろうと思い、政治学科を専攻。実際に進学して初めて、政治家と政治学科はそもそも違うということを知りました。子供心に「政治学科」に進めば政治家に成れると思っていたことが、とても恥ずかしかったことを覚えています。
そんな折、学園祭の実行委員を担当。学園祭の宣伝活動に携わる機会があり、このとき企画や文章が褒められたことや、自分の文章で人が幸せになったり、読む人が感動したりする姿を見た経験が、コピーライターとして働きたいと思うきっかけになりました。当時は就職氷河期であり、文章を書くことを専門的に学んだわけでもなかったので、なかなか就職先が決まりませんでしたが、最終的には出版社に就職することが出来ました。
出版社では編集業務を行い、取材や原稿執筆などの仕事をしていましたが、私がやりたかったコピーライターの仕事とは違っていたので、一年後、不動産関係の広告制作会社にアシスタントとして入社しました。そこでは、主に新築マンションのコピーを書いていました。住宅設備や間取り、周辺環境、交通アクセスなどを紹介するのですが、不動産中心の制作会社だったので、自分の中で商品コピーやショップ広告なども手がけたい欲求が高まり、2010年に広告代理店に就職。コピーライティングや企画づくりに携わる部署に配属され、やりたい仕事をようやく手にすることが出来ました。9年間都内で仕事をしていましたが、毎日が忙しく、仕事をしている記憶しかないという状況で、今後10年、20年と満員電車での通勤を想像できずに、昨年新潟に戻ってきました。
考えてみればあたりまえなのですが、高校卒業後すぐに東京に行ったので新潟での広告業界のツテもまったくなく、広告制作にかかわっている友人もいない。親族もまったくの畑違い。新潟で独立しようと思っていた自分が、本当に無謀だったのですが、むしろ何も持っていないことが良かったのかもしれません。
県内の雑誌社にプロフィールを送りました。
いくつかの会社から連絡があり、先方とお会いするチャンスをいただき、そこから仕事を依頼されるようになりました。目立つ様な実績がない自分にもチャンスをいただける新潟の優しさというか、懐の深さを感じています。
もともと舞台が好きで、りゅーとぴあの劇場専属ダンスカンパニー「Noizm」や「にいがた総おどり」「アート・ミックス・ジャパン」など、新潟で魅力的な活動をされている皆さんと仕事をすることが夢だったのですが、本当にありがたいことに、仕事として関わる経験ができました。新潟に戻ってきて1年程で夢がかなってしまい、少々戸惑っている状況です。新潟の人たちは、基本的に優しいのだと思います。そういう意味では、自分で行動を起こす、想いを伝えることは本当に大切なことですね。
慎重になることも大切ですが、あまり頭で考えないで行動に移したほうが、案外楽なのだということを実感しています。
インターネットの普及等により、東京に住む理由が少なくなったとも思います。メール、FAX、電話があれば出来る「仕事」が増えているのも事実です。
特に最近は、地方の情報を掲載する「雑誌」や「情報誌」、「地方を紹介するテレビ番組」なども多く、首都圏から地元のライターに仕事の依頼がくることもあります。
これまで様々な経験を積んで、現在、フリーのライターをしていますが、今まで経験したことに、無駄なことは何もなかったと感じています。
ようやく新潟の魅力が少しずつ分かってきたので、もっともっと多くの人に新潟を知って欲しいと思います。
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