2014.06.25 掲載
株式会社 幻の酒
松本 伸一さん
古町芸妓
菊乃さん・結衣さん
新潟の中心地として繁栄してきた古町は、北前船が寄港していた江戸時代のころから多くの人々が行き交い、賑わっていた、柳都新潟を象徴する町です。今回は、地元古町に酒粕専門店をオープンさせた松本伸一さん、古町の伝統を受け継ぎ「古町芸妓」として活躍する結衣さんと菊乃さんの二組に、古町への思いやお仕事のやりがいなどについて伺いました。
新潟市中央区(古町)で生まれ育つ。祖父、父が酒屋を経営。新潟市内の高校を卒業後、紳士服販売店に就職。以後、27歳まで勤務。
「高校卒業後、一人で生活したいという思いが強かったため、転勤がある企業を選んで就職しました。25歳の頃に初めて店長を任され、27歳で福島県内の店舗に移ってからも店長の経験を重ねることができました。その経験が自信となり、次第に35歳までに東北地方のエリア長になりたいという目標を持つようになりました。
ちょうど脂が乗ってきた年齢でもあり、充実した日々を過ごしていたのですが、同時期に実家の父が体調を崩してしまいました。地元に戻るべきか、目標を達成するために留まるべきか、とても迷ったのですが、最終的には親孝行したいという思いから、Uターンを決意しました。
Uターン後は、子供の頃から身近な存在だった、お酒に関する仕事がしたいと思いながら過ごしていました。そんなある日、できたての純米酒を試飲する機会があったのですが、その何とも言えない美味しさにとても感動しました。そして、この新潟の美味しいお酒を全国の人達に知ってもらいたいと思い、通信販売のお店である『株式会社 幻の酒』を設立しました。」
「通信販売では、日本酒の関連商品として酒粕を取り扱っていましたが、タイミング良くテレビで取り上げられるなどしたため、ちょっとしたブームとなり、酒粕の販売数が伸びるようになりました。
私としては、酒粕自体とても良いものだと思っていたので、次第に、ブームに左右されず、その良さを多くの人に知ってもらえるように、店舗を構えたいと考えるようになりました。
そうした中、タイミング良く、柾谷小路商店街から古町での出店の話をいただきました。柾谷小路商店街では、昼間の顔となる店がほしいという意向をもっていたので、地元古町で実際の店舗を持ちたいという私の考えと一致しました。
そして、昨年11月、柾谷小路商店街の皆様から協力していただきながら、『発酵酒粕 酉(みのり)』をオープンすることができました。」
「店舗には、女性のお客様の来店が多かったので、女性が酒粕に親しみを持てるような“酒粕スイーツ”を開発しました。販売開始後のお客様の評判も上々です。
他にも、酒粕の調味料“さ・し・す・せ・そ”(砂糖、塩、お酢、醤油、味噌)の開発に向けて、現在研究を重ねているところです。
ただ、新潟はこれまで発酵を生かした加工技術で栄えてきた歴史があるので、酒粕だけでなく、例えば“酢”などの酉偏(とりへん)がつくもの全般を得意な領域にしていきたいと思っています。今後は、酒粕以外の発酵食品の開発にも力を入れていくつもりです。
県内には良い素材が豊富にあり、色々な可能性を秘めているので、一歩踏み出せば、誰にでも、どんな事にでもチャレンジできる環境があると思っています。」
「昔は古町というと、肩がぶつかるほどの人々が行き交い、多くの店でウィンドウショッピングできて楽しかった記憶があります。しかし、最近は、かつての賑わいや楽しさが失われているように感じます。
私は、古町が新潟の原点の町だと思っているので、古町が活性化し、盛り上がるように協力していきたいです。例えば、※野内隆裕さんが講演で、“新潟の小路がすごく良い”と褒めてくださったので、こうした良さを伝えていきたいと思っています。
また、新潟での暮らしの良さというと、やはり関東と比べて時間的なゆとりがあるということです。収入面でも、金額自体は以前よりも減っているのですが、出費が少ないので、生活レベルはほとんど変わりません。
そして何より、家族が近くにいますし、畑で野菜を作ったり、海で魚を釣ったりと、心の豊かさを体感できるので、毎日がとても充実しています。もし、新潟に戻ってこなかったとしたら、こうした“心の豊かさ”を感じることはなかったと思います。」
※野内隆裕さん・・・まち歩きマップ「新潟の町 小路めぐり」シリーズで小路の風景を紹介するイラストを描いている方
新潟の古町は、京都の祇園、東京の新橋とともに日本三大芸妓の街として並び称されてきました。新潟古町を代表する文化の一つである「古町芸妓」の発祥は、北前船の寄港地として繁栄していた約200年前の江戸時代までさかのぼります。今回は昨年春、歴史と伝統ある「古町芸妓」の世界に飛び込んだ菊乃さん結衣さんのお二人にお話を伺いました。
菊乃さんは新潟市出身。昨年の春に新潟市内の高校を卒業し、「柳都振興株式会社」に入社しました。「柳都振興株式会社」は、芸妓の養成及び派遣を目的として、1987年に設立された全国初の株式会社組織です。
「3歳のころから趣味で民謡の踊りをやっていたので、踊ることにはずっと興味を持っていました。高校3年生のとき、就職活動のなかで『柳都振興』の求人があることを知り、企業説明会に参加しました。そこで、初めて芸妓さんを目の当たりにしたのですが、一瞬にして憧れてしまい芸妓になろうと決心しました。第一印象があまりにも強すぎたので、憧れだけで終わってしまう遠い存在のようにも感じたのですが、無事、芸妓になれてよかったですし、家族も喜んでくれました。」
結衣さんは長岡市出身。長岡市内の高校を同じく昨年の春に卒業し、「柳都振興株式会社」に入社しました。
「小学生の間、日本舞踊を習っていたことがきっかけで、踊ることを仕事にしたいと考えるようになりました。最初のころは漠然としたイメージしか持っていなかったのですが、高校入学後、仕事として『古町芸妓』があることを知り、踊りの世界への就職を真剣に考えるようになりました。3年生になり就職活動を進めていくなかで、新潟市内の高校のみに出されていた『柳都振興』の求人をインターネットで探し、応募しました。念願がかなって芸妓になれたのでうれしかったですし、また、家族も自分で決めたことだから頑張るようにと応援してくれました。」
「『柳都振興』に所属している芸妓は、日曜日などのお休みの日を除いてほぼ毎日、お座敷に呼んでいただいています。お座敷では、踊りや唄などでお客様に楽しんでいただくことになりますが、そのためのお稽古は大変です。普段は、昼過ぎからお座敷の準備をする前までの3~4時間、お稽古に励んでいます。お稽古の内容としては「踊り」や「鳴り物」、「長唄」があります。芸を磨くのは芸妓の大切な役目の一つですので、頑張っていきたいと思っています。
芸妓を知った当初は、踊りや唄などのきれいで華やかな部分が強く印象に残りました。しかし、実際、芸妓として仕事をしてみると、華やかな部分だけではなくて、お酌やお話をするなかでのお客様との触れ合いやおもてなしの心が大事なことを知りました。お客様に満足していただくためにも、お座敷での気配りや心配りにも磨きをかけていきたいと思っています。」
「昔は古町も多くの人でにぎわっていたということですが、最近は人通りが少なく寂しい印象があります。様々なイベントに呼んでいただき、古町を活気づけるお手伝いができればと思っています。現在、定期的に『古町花街ぶらり酒』というイベントが行われていますが、初めのころはわずかな時間でしたが街中を『練り歩き』して、イベント参加者と話をしたり、一緒に写真撮影をしていました。そのような古町や新潟のことを知ってもらうイベントが多くなればいいと思いますし、より大勢の人からイベントに参加していただけるような告知方法や古町を紹介する工夫を考えていかなければと思っています。
また、古町芸妓の役割として、県外のお客様のお相手をして新潟の文化を知っていただくということがあげられます。県外でも古町芸妓の知名度が広がっているという実感もありますし、事実、今年の新人三人のうち二人が静岡県、鹿児島県からの県外出身者でした。こうした知名度を利用して、より古町や新潟のことを発信していきたいと思っています。」
「『柳都振興』は様々な方から支えられています。その『柳都振興』に入り、多くの方からご支援をいただくことで、好きなお稽古をする機会を数多く与えてもらい感謝しています。ご支援に応えるためにも頑張らなければと思っています。
最初の頃は、お座敷のなかで新人としての立ち回りがうまくできず、先輩に迷惑をかけてしまったこともありました。反省することも多かったのですが、現在では少しずつ動けるようになってきたと思います。お客様から、踊りが上達したと言われることももちろんうれしいのですが、『話が上手になってきた』『表情が柔らかくなった』などと言っていただけたこともあり、芸妓として認めていただいたようで嬉しかったです。
この4月には後輩もできたので、先輩としてしっかりしなければいけないという意識が出てきました。お稽古についても今まで以上に一生懸命取り組み、芸を磨いて憧れてもらえるような先輩にならなければと思います。私たち二人は同期ということもあり、仲もいいのですが、いい意味でのライバルとしてお互い切磋琢磨していきたいと思っています。」
(4枚目 写真提供:古町花街ぶらり酒実行委員会)
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