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- 仕事も、プライベートも、生まれ育った柏崎で丸ごと楽しむ! -

2021.03.19 掲載

THERE IS NOEND マネージャー

猪浦千陽さん

柏崎市

\猪浦さんってこんなひと/
◎出身など 1993年柏崎市生まれ
◎経歴   高校卒業後、柏崎市内の企業で事務職→アパレル会社でEC担当(大阪府)→THERE IS NOEND(ゼアーズノーエンド)マネージャー(柏崎市)
◎にいがた暮らしのおすすめポイント
人との繋がりが深いところ。「かしわざき市民活動センター まちから」のように、企業や人と繋いでくれる組織があることも心強いです。

高校卒業後、プライベート重視で会社を選択

 高校卒業後は市内の一般企業で事務職をしていました。高校では保育や農業、商業などを学ぶ総合学科にいたこともあり、卒業後の進路は進学と就職で半々くらい。私は「進学してこれを学びたい」という明確な目標が見つからなかったので、とりあえず地元で働いてみることにしました。当時は仕事内容にはこだわりはなく、平日は働いて週末に自分の好きなことができればいいと考えていました。なので、就職活動では、残業がなく、土日は確実に休めて、ボーナスもちゃんと出る会社を選択しました。その時は、柏崎で遊ぶよりは、東京に行ってダンスを見たり、好きなアパレルショップに行ったり、旅行に行ったりしていました。すごく楽しかったですよ。

「県外に出るなら、今のうち」。21歳で大阪の会社へ転職!

 そんな生活に不満はなかったのですが、仕事に対しては「これが自分に向いている仕事なのかな?」とだんだんと疑問に感じるようになりました。大学にも行かなかったし、仕事もやりたいことで決めたわけじゃない。視野を拡げてみたいと考えるようになったのです。
 そんな時に知人を通じて、大阪で直営店も営むアパレルの卸会社を知りました。その会社は、ダンスをきっかけに好きになった、メンズストリート系のブランドを取り扱っている会社。当時大学生だった姉を訪ねて定期的に大阪に行っていたこともあり、そのお店に行ってみることにしました。そうしたらちょうど社長がいて、色々とアパレルの話をさせてもらううちに、「そんなに服が好きなら、うちで働かない?」と声をかけていただいたんです。さすがに冗談だと思っていたのですが、後日柏崎の知人から「社長、本気らしいよ?」と言われて。当時はまだ20歳くらいで県外に住んだことがなかったので、「県外に出るなら今のうちかな」と、行ってみたい気持ちが強くなっていきました。ただ、親の説得や仕事の引継ぎに時間がかかり、丸一年くらい経ってから、大阪に行くことになりました。

忙しさすら楽しい、仕事漬けの日々

 入社後は、会社が新しく始めたECサイトの担当になりました。サイト全体のデザインから商品画像の撮影、加工、顧客対応まで、ECサイトに関することなら何でもやっていました。経験はなかったので、先輩に教えてもらったり、独学でwebデザインの資格を取ったりと、勉強しながら少しずつ知識や経験を身につけていきました。前職はルーティーンの仕事でしたが、アパレルは時期ごとに新作が出るし、展示会やキャンペーンなどもあって変化の多い仕事。商品の魅せ方やお客さんとの日々のやりとりなど自分なりに工夫できる点も多く、やったことが成果として返ってくることに達成感を感じていました。帰りが深夜になったり、休みの日も仕事をしたりと、忙しい日々でしたが、仕事自体はすごく楽しくて、苦に感じていませんでした。
 地元にいるときは、漠然と20代中盤で結婚して家庭に入るのが当たり前かなと思っていたのですが、大阪に出て「仕事に夢中になるのも楽しい」「結婚のタイミングは人それぞれでいい」と思うようになりました。

寂しくなっていく地元のために何かしたいと帰郷を決意

 最初は3年位で柏崎に帰ろうと思っていましたが、仕事に夢中になり気づけば5年。ただ、柏崎に帰省するたびに好きなお店がどんどん閉店していく姿を見て寂しさを感じるように。大阪でも柏崎出身の友人と、柏崎のために何ができるかを話す時間が増えていきました。そんなときに親が入院したこともあり、元気な親も故郷もずっと在るわけではないと実感し、地元に戻ることを決意。ちょうど同じころ、新潟県内の93年生まれの人たちの若手コミュニティ「G.A.」に入れてもらって、同世代の人たちが精力的に動いていることを知り、地元に帰る勇気にも繋がりました。その後、「仕事を見つけてからUターンを」と思っていたのですが、Web上の求人情報が少なかったこと、仕事が忙しく在職しながらの転職活動が難しかったこともあり、Uターン後に腰を据えて就職活動をすることにしました。

「柏崎の企業で働きたい」。地産地消のお店、THERE IS NOENDの立ち上げメンバーに

 2019年6月に柏崎にUターン。大阪での経験を生かせる、ECサイト管理のような仕事がしたくて、ハローワークや民間の求人サイトで探しました。でも、思ったような求人はなくて…。東京の会社に所属して、リモートで働こうと思ったこともありました。でも、それだと大阪で友人と語った「柏崎のために何かしたい」という想いは報われないなと。「やっぱり柏崎の企業で働きたい」と思っていたころに、若手コミュニティ「G.A.」を立ち上げ、現在私が働く「THERE IS NOEND」代表の中村から「お店を出すから、手伝ってくれないか」と誘われたんです。当時、デザインの仕事も少し手掛けていたので、複業の了承をもらってから入社することに。そして、2020年3月に入社し、3月下旬にお店をオープンしました。
 THERE IS NOENDは、地産地消のお弁当屋さん。今は昼のみイートイン可能で、ランチスペースとしての機能も果たしています。私は接客担当で、常連さんやUターンしてから知り合った人たちが会いにきてくれます。今の仕事とプライベートのバランスは半々くらい。土日休みではなくなりましたが、仕事終わりに友人とご飯に行ったりと、プライベートの時間も楽しめています。

人との繋がりが増えたら、柏崎の見え方が変わった

 柏崎に戻ってきて、人との繋がりの大切さを実感しました。柏崎の若手を集めたコミュニティ「G.A.柏崎」のメンバーと会い、地元に対して熱い想いを抱いて活動するみんなの姿に心打たれて。そこで「かしわざき市民活動センター まちから」の存在を教えてもらって、求職中にはまちからの紹介で市内の企業を数社見学させてもらいました。さらに人の繋がりが拡がり、知り合った人から柏崎の楽しみ方をいろいろと教えてもらい、「柏崎は何もない」と思っていたことが嘘みたいに見え方が変わったんです。
 遊ぶ場所や交通の便を考えたら、大阪のほうが便利です。でも、Uターンしてからは山間の集落に住む友人に誘われて稲刈りをしたり、市内のイベントに積極的に参加したりと、柏崎での暮らしを満喫しています。柏崎はマルシェなどのイベントも多いし、地域のお店が入った複合施設「ハコニワ」や老舗菓子店のカフェ「ToRaYa」など、新しいお店も多くなってきています。面白い街になってきていると思いますよ。

これからも柏崎のためにできることを

 「柏崎のために何ができるんだろう」という想いはずっと変わらずに持っています。今もコミュニティ内で「昨年、成人式が延期の末、中止になってしまったので、何かできないかな」と話しています。まだ具体的には決まっていませんが、地域のために力になれるなら、できることをしていきたい。私は中心になって動くタイプではないので、周りを巻き込んで動ける人たちのサポートをしながら、柏崎の未来を一緒に作っていけたらと思っています。
 これから柏崎に移住を考えている人は、「まちから」や、THERE IS NOENDに来てみてください。人との繋がりで企業を知ることもできるし、知り合いも広がる。心強い味方になってくれるはずですよ。

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