2019.10.16 掲載
天領盃酒造 代表取締役
加登仙一(かとうせんいち)さん
佐渡市
1993年生まれ。千葉県成田市出身。中学から大学までを都内で過ごした。大学時代に1年間スイスに留学。海外から自国を見た時に、日本特有のお酒である日本酒に興味を持つようになり、在学中から自分の思う味の日本酒を造ることを志すように。卒業後は都内の証券会社で営業マンとして勤務。ある経営者からの「M&Aをして酒蔵を買収すれば酒蔵の社長になれるのでは」というアドバイスで一念発起。後継者不在で経営難に陥っていた新潟県佐渡市の天領盃酒造(てんりょうはいしゅぞう)を買収し、2018年3月から代表取締役社長に。全国最年少の蔵元社長として「若い世代、そして世界に日本酒のうまさを伝えたい」と酒造りに没頭している。
\インタビューのポイント/
●海外留学で見つけた日本の魅力「日本酒」
酒蔵の経営者になることを目標に定める
●夢を叶えるチャンスが佐渡にあった
後継者不在の天領盃酒造を買収し、佐渡での暮らしが始まる
●日本酒業界の新たな発展へ
うまい酒造りに傾ける情熱が佐渡、そして新潟を盛り上げる
生まれ育った成田市という土地柄、子供の頃から毎日の生活のなかで外国人と触れ合うことも多かった加登さん。大学は国際文化学部で学び、選択科目でドイツ語を学びました。それがきっかけで、2年次から3年次にかけて1年間スイスに留学しました。世界のさまざまな地域から留学生が来ていて有意義な時間だったと言います。「当時は趣味でブレイクダンスをやっていたのですが、ある時その仲間たちとお酒を飲む機会があり、その時にそれぞれのお国自慢が始まったんです。みんな自国のいいところをアピールし合って、ちょっとケンカになりそうなくらいヒートアップしました(笑)。私は、それを見ながら側で笑っていたのですが“日本の自慢はなに?”と聞かれた時に、すぐに答えることができなかったんです。それに比べてほかのみんなは、自分の出身国についてよく理解していたし、その時に“何で君は日本のことを何も知らないんだ?”と言われたのがとても悔しくて、それから日本について勉強するようになったんです。政治、歴史、伝統工芸、食などについて調べていく中で、一番興味をひかれたのが日本酒だったんです」。
そんなきっかけから、加登さんは日本酒の製造工程に興味を持つようになりました。世界でも類をみない醸造方法で造られる日本酒が、日本の大きな魅力だと感じるようになったのです。皮肉にも、それに気づけたのは日本から遠く離れたヨーロッパの地。「スイスから帰国した後、日本酒を本格的に調べるようになったのですが、若い人の日本酒への評価があまりにも低いことに気づきました。加えて国内での日本酒の消費量が減っていることも知ったのです」。その現状を知ったことも逆に加登さんの中で、日本酒にかかわる仕事がしたいという気持ちを後押ししました。ですが、日本酒にかかわる仕事と言ってもお酒の製造、販売、飲食店などさまざま。「性格上、組織に入って仕事をするのではなく、自分の裁量で、自分がおいしいと思える日本酒を造りたいと思いました。そういう意味で、蔵元、つまり酒蔵の経営者になることを目標に据えました。それにはまずは経営のことを知らなきゃいけない。いろんな業種の経営者に会える仕事って何だろう? と考え証券会社への就職を決めました」。
大学卒業後、新卒で証券会社に入社。約1年半の間に積極的な営業活動をして多くの経営者に会いました。ある時、その中のひとりに「自分の思い通りの味わいの日本酒を造る仕事をしたい。でも、新規で酒類等製造免許を取得するのは法律的に困難だし、どうしていいか迷っている」と話したそうです。「すると、その社長さんは“新規での免許取得が難しいだけでしょ? M&A(企業の合併・買収)という手段で経営権を取得することもできるでしょう。そうすれば君が納得のいくような酒造りができるのでは”と言ってくれたのです。証券会社にいながら、それを思い付けなかったのが恥ずかしい限りですが(笑)」。
そこからはスピーディーに動いていきました。「週末の休日を利用して全国15ほどの酒蔵を訪ね視察をしました。その中で、自分のやりたいことに一番近づけそうだったのが天領盃酒造だったのです」。夢を叶えるチャンスに出会えたこと。それが、加登さんが佐渡へのIターンを決断した唯一の理由でした。
後継者がおらず、次の経営者を求めていた佐渡市・両津の天領盃酒造と、日本酒造りに興味を持ち自分の思う味の日本酒を造りたいという加登さん。互いの意志が合致し、自力での資金調達を経て無事に買収が完了。2018年3月に加登さんは晴れて天領盃酒造の代表となりました。そして、証券会社を退職し佐渡島での暮らしが始まったのです。「3月だというのに天気は悪いし、とにかく寒いというのが最初の感想でした。それまでの東京暮らしから、何もかもが一気に180度変わった感覚でした。ですがいざ住み始めてみると、佐渡特有ののんびりとした空気が次第に心地よくなってきました。昨年の夏、夜10時くらいに仕事を終えてアパートの階段を上りながらふと空を見上げたら、びっくりするくらいの美しい星空が広がっていたんです。“もっと近くで見たらどんな感じなんだろう”と思い、そのままクルマに乗って金北山まで行きました。その時に見た佐渡の夏の星空の素晴らしさは、言葉を失うほどでした。美しい天の川、そしてすぐに感動が薄れるくらい頻繁に現れる流れ星(笑)。佐渡の自然には、大きな感動がありました」。
移住する理由やきっかけは十人十色ですが、加登さんの場合は、酒蔵の後継者になることを自ら決断し再生のための企業買収をしてのIターン。若者が日本酒の未来への可能性を信じて決断した、勇気ある移住のカタチです。
初めて住む新潟県の離島で、酒蔵の代表となった加登さん。経営状態も決して良いとは言えない中でのリスタートは自分の酒造りに対する考え方を少しずつ社員たちに伝えることからでした。就任から1年半が経ち徐々に加登社長の考え方が浸透し始め、蔵で働く人たちの気持ちがひとつになろうとしています。今年5月には加登社長が手掛けた新ブランド『雅楽代(うたしろ)』が発売。「まだまだ味は改良していきたいし、もっとうまい酒にしたいです。佐渡に来てから酒造りの勉強も必死にやりましたし、今年春から夏にかけては佐渡を離れ広島県にある酒類総合研究所で酒造りについて研修を受けました。間もなく今年の酒造りが始まりますが、この学びを活かして向き合いたいです」。
「私が日本酒の魅力に気づいたのは、スイスで国も人種も異なる仲間たちとみんなでワイワイ楽しくお酒を飲んでいる時でした。お酒は人と人とをつなぎ、コミュニケーションを円滑にする力を持っています。みんなが笑顔で笑い合っている空間、誰かと誰かが本音で語り合っている瞬間――その傍らに日本酒があればそれでいいんです。私が学生時代に経験したように“日本の自慢は何?”と聞かれた時に、同世代の若い人たちが迷わず“日本酒”と答えてくれるよう、日本酒のよさを伝えていきたい。そんな私の思いに共感して、天領盃のお酒を飲んでくれる人が増えたら嬉しいし“一緒に酒造りをしたい”という人が出てきてくれたら嬉しいです」。事実、加登さんのTwitterに京都の大学生から“天領盃酒造で働きたい”というダイレクトメールがあり、この秋から佐渡に若者がまたひとり増えるそうです。「自分のやっていることに共感してくれた証拠ですし勇気づけられました。佐渡に若い人がひとり増えるきっかけになれましたね(笑)」。
今年も新酒の仕込みの季節がやってきました。26歳の全国最年少蔵元のチャレンジはまだ始まったばかりですが、うまい酒造りに傾ける彼の並々ならぬ情熱は、必ずや佐渡、そして新潟県を日本酒という面から盛り上げていく大きな力になると確信しました。
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