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ニイガタビト

活躍フィールドは無限大 第1回
- 経験を生かしたフォトウェディング事業 -

2018.05.31 掲載

「ラウフォト」代表

塙 奈々恵(はなわ ななえ) さん

阿賀野市

新潟に拠点を置きながら、県外や世界に向けて活動する女性を2回シリーズで紹介します。1回目はIターンで新潟に来た塙奈々恵さんです。

日本人向けにバリ島でのフォトウェディング事業を展開するラウフォト代表の塙奈々恵さんは、「どこにいても仕事はできる」というバイタリティーあふれる人物。埼玉県出身で、一度は東京で就職するものの、インドネシアに留学し、そして結婚を機に新潟に来ました。
ラウフォトでは、海外結婚式の中でも人気の高いバリ島でのウェディングを、ハイレベルなカメラマンが撮影します。撮影する場所も観光パンフレットには載っていない特別な場所。そして、こだわるのは、低価格であること。新潟の人はもちろん、多くの日本人にバリ島の魅力に触れてもらいたいと奮闘中です。また、幼いころから芸能関係の仕事に携わり、今も依頼があれば司会の仕事などもしています。
そんなパワフルな塙さんに、これまで重ねてきた経験や培ったスキル、新潟の印象、ラウフォトを立ち上げた経緯などを伺いました。

独立心旺盛だった学生時代

塙さんは1984年埼玉県春日部市生まれ。東京の児童劇団に通って子役の仕事をしていました。中学になるとミュージカルにも出演するようになり、レッスンや稽古に夢中な日々を送ります。高校時代は芸能の仕事は抑え、他のアルバイトをして学費をすべて自分で支払ったそうです。
高校卒業後は銀座の靴店に就職。お客様と話すのが大好きで、同期入社の中ではナンバーワンの売上げを誇っていました。しかし、自分のやりたい仕事、成果次第でお金が稼げる仕事をやりたいと思い、退職。子供の頃から携わっていた芸能関係の仕事に戻り、自らも芸能活動をしながら、芸能事務所のマネージャーとして働きます。わずか20代前半で事務所に所属する女性タレント・モデルの管理も任されるようになりました。「このころの経験で、ちょっとやそっとのことでは動じなくなりました(笑)」と言います。

大好きなインドネシアでの語学留学

忙しく芸能事務所で仕事をする日々において、息抜きになったのがインドネシア旅行でした。インドネシアが大好きになり、何度も通うようになりました。そのうちに「インドネシアと日本の架け橋となれるような仕事がしたい」と思うようになり、バリ雑貨の買い付けをしている知人の手伝いを始めます。同時に、インドネシア語の勉強も始めたところインドネシア政府の奨学金制度があることを知りました。合格すれば現地の大学で生きたインドネシア語が学べるし、最低限の生活補助も出ます。塙さんは「熱意だけで受かった」と笑いますが、難関を突破し、奨学生に選ばれインドネシアに渡ります。

運命の出会い

そして留学してから丸一年、ビザの関係で一時帰国をします。半年ほど日本に滞在することから、バイトをした神奈川県の会社に、その後結婚するご主人が出向していました。結局その半年の間にお付き合いをスタートし、数か月後にはご主人は本来の勤め先がある新潟に帰ることになり、プロポーズをされ、新潟に一緒に行くことになります。「インドネシアにまた戻ったら、きっと日本に帰ってこない。ごはんやお酒がおいしいって聞くし、新潟に行ってみてもいいかな。もしだめなら、その時はもう一度インドネシアへ行こう」と友だちも、知り合いもいない新潟の生活を選び、飛び込んだのです。

阿賀野市へ。手探りの日々

新潟県阿賀野市には2015年4月に来ました。「新潟に来る前に、自分に何の仕事ができるだろうと考えて、司会の仕事ならすぐできると、多くの会社に打診。結婚式場の司会をさせてもらうことになり、働き先を確保しました」。塙さんの行動力はそれにとどまりません。他の地元企業や阿賀野市等の行政機関、商工会議所などにもプロフィールを送り、自分を売り込みました。
また、東京にある結婚式二次会のプランニング会社のビジネスを新潟でもできないかと、80名以上収容できるレストランを片っ端から営業に回ります。しかしなかなかうまくいかない。「営業に回る中で、地元に知り合いがいて、深いつながりがあればもっとうまくやれるのかなと思いました。私は新潟に来たばかりで信用がありませんでした」。そこで塙さんは、新潟のたくさんの人と知り合って、パイプを持つことから始めてみようと動き出します。

徐々に努力が芽を出す

そのうちに以前プロフィールを送付していた阿賀野市から声がかかり、地元の祭りの司会をすることになりました。当時の職員の方が「せっかく阿賀野市に来たのだから、一緒にイベントを盛り上げましょう」と誘ってくれたのです。地元のみなさんは人見知りで、初めは打ち解けられるのか、認めてもらえるのか塙さんは不安だったそうですが、一度、親しくなると「よく水原(※)に来たね」と声をかけてくれるようになったといいます。
(※)水原町は2004年4月に安田町、京ヶ瀬村、笹神村と合併し阿賀野市となっています。
白鳥の飛来地として瓢湖が有名。

新潟に住んで見えてきたこと

新潟で事業を行うには時間をかけて、新潟での人脈を作らなければならないとわかり、最初はもどかしくてたまらなかったそうです。でも最近は「やってきたことは間違っていなかった」と思うようになったと言います。振り返ると、塙さんのこれまでの人生で体験したことや出会いが今の仕事につながり、いい方向に動き始めています。「阿賀野市に来た最初の3年間は苦労したけれど、やっといろんなことが動き出しました。新潟に来て感じたのは、やはり生活費が安く済むということ。東京では家賃、生活費、交際費がとても高くて、そのために働いているようでした。でも、新潟だと仕事は決して多くはないけれど、お金に追われることがない。お金だけでなく、自分がやりたいことを優先してできる心の余裕が生まれました。やりたいことを仕事にできるって幸せですね(笑)」。バリ島のフォトウェディング事業も大好きなことであり、新潟に来て生まれた時間と心の余裕の中から創り上げています。今後はこのフォトウェディング事業を発展させて、日本人に低価格でこのサービスを提供していきたいと話します。
現在も芸能関係の仕事は続けているため、東京で人材をキャスティングし、自身もMCなどで活躍しています。そのため、東京にもときどき足を運んでいます。しかし、自然豊かな阿賀野市になじんだせいか、最近は人混みと都会の空気が苦手になったのだとか。阿賀野市(水原地区)は新潟市からも交通アクセスがよく、毎朝ご主人を新潟駅前の職場まで送っています。それは苦ではなく、田園風景や季節で見られる白鳥の姿が塙さん自身の癒やしの風景になっているそうです。

新潟の「外から来た人」のアイデアで勝負したい

若い頃からバリバリと働いてきたキャリアウーマンであり、「新しいことをやるのに抵抗がない」という塙さん。東京、インドネシア、新潟を融合させながら、新潟にない外からのアイデアを形にしていきたい、そのためにもっと信用を増やしたいとがんばっています。新潟の人は地元愛が強く、想像以上に人の温かさも感じているそうです。
常に新しいことを始め、良い方向へ進めていく才能あふれる塙さん。大切にしている言葉は、「才能とは続けること」とのこと。成功するには、なによりも粘り強く続けることが重要だと教えてくれました。

次回も新潟のみならず、県外や世界に活躍の場を広げる女性にインタビューをします。お楽しみに。

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