2018.01.05 掲載
麒麟山酒造 営業部 販促企画担当リーダー
向田絵梨子さん
阿賀町
辛口日本酒の代表格、「麒麟山」。「麒麟山」のラベルを見て育った新潟県民も多いのではないでしょうか?
阿賀町にある麒麟山酒造で販促企画と輸出業務を担当する向田絵梨子さんは山形県出身。高校卒業と同時に映画の勉強をしたいと、アメリカへと留学。
その後、新潟大学、フランス留学でも映画の勉強を重ねた向田さんは、日本の伝統産業に関わる仕事を選択しました。
なぜ新潟?なぜ日本酒なのか?これまでの経緯と気持ちの変化についてお伺いしました。
向田さんは1985年、山形県生まれ。映画が好きだったという高校生のころに、映画の配給会社に入ってバイヤーになりたいという夢を持ちました。「英語の成績が良かったこともあり、海外の映画祭に行って、まだ知られていない映画を日本に広げたいという憧れがありました」。映画の勉強ができる進路を探していたのですが、日本で映画を専門にしているのは、私立大学や専門学校などがほとんど。そんな時、アメリカでは公立・国立大学で勉強できることを知りました。
「当時、好きで読んでいた漫画に主人公が留学する物語があって、留学という道もアリだなと思ったんです。せっかく映画の勉強をするなら、海外の公立・国立大学に行けば英語力も身につくし夢に近づける。両親に相談すると、留学のことは分からないけど、自分で調べてできるならと認めてくれました」。学校の進路相談では留学の情報は乏しく、自ら留学支援を行う会社に足を運んで情報を集め、留学先を決めました。
2001年、高校を卒業した向田さんはアメリカ合衆国カリフォルニア州のサンディエゴへ。最初の4ヶ月は語学学校で英語の勉強に打ち込みます。というのも、目指していたコミュニティカレッジ(※1)に入学するにはTOEFL(※2)で一定以上の点数を取る必要があったから。その後、無事に試験を通り9月から念願の映画を学ぶ授業がスタートしました。
映画の勉強と言っても、向田さんが専攻したのは撮影技術や脚本づくりなどではありません。「映画の時代背景やこの映画はどのような影響があるのかということを考えるもの。批評とか、評論とかに近いのかもしれません。20~30人ほどのクラスなので教授はこまめに指導してくれました」。高校までは内気だったという向田さんですが、留学を通じて自己主張する大切さを知ったそうです。「海外ではみんなとにかく喋ります。発言を求められるし、自分の意見を言わないと何も始まらないということを感じました」。
※1コミュニティカレッジ:アメリカの公立の二年制大学のこと。卒業後は、四年制大学に編入することもできる。
※2 TOEFL:世界で最も広く使われている英語能力試験。海外留学の際に基準点を設ける学校が多い。
コミュニティカレッジに2年間通い、その後はアメリカの州立大学に編入しようと思っていた向田さんですが、家庭の事情で帰国をすることに。やむを得ず、映画の勉強ができる編入先の大学を探し始めました。そんな時、真っ先に思い浮かんだのが、新潟だったそう。「新潟には母方の実家があり、盆正月は来ている場所でした。山形よりも都会だし、美味しいものもあるし、楽しいし。新潟っていいなあとずっと思っていました」。
実は、高校のころにも進学先のひとつに新潟大学を考えたという向田さん。高校時代には気づかなかった、映画や音楽、小説、絵画など一般にアートと呼ばれる分野を勉強する人文学部情報文化課程・文化コミュニケーション履修コースを発見。映画の教授がいること、コミュニティカレッジでの単位も認められることから編入を決めました。そして、映画ゼミに所属したほか、新潟市内にあるコミュニティシネマのボランティアスタッフを務め、大好きな映画にどっぷり浸かった学生生活を送っていました。
そんな時、今度はフランス留学の話が持ち上がりました。「知り合いから奨学金の制度があるという話を聞きまして。それが試験を通れば留学費用を支援してくれる奨学金でした。受けるだけ受けてみようかなと思ったら、合格して留学させてもらえることになりました」。論文文化の強い日本と、議論が中心の欧米と、異なる環境で好きな映画を思う存分学ぶことができました。
向田さんが10ヶ月のフランス留学から帰国した頃、同級生はほとんど就活が終わっている時期でした。実は、新潟大学に編入した頃から将来の仕事について漠然と「映画業界ではないかも…」と思うようになっていたそう。その根底には「新潟で暮らしたい」という想いがあったそうです。「居心地の良い新潟で働くとなると、映画の仕事は難しいです。だから、自分に何ができるのか、すごく悩んでいました。大学キャリアセンターに相談に行っても、何ができるのか、何がやりたいのかっていうのが全然湧いてこなくて」。
そんなときに向田さんの叔父さんが勧めてくれたのがハローワークでした。「当時、ハローワークって失業した人が行くイメージが強かったんですけど、行ってみたら、キャリアセンターや求人サイトに出ていない、ローカルな企業の採用情報も多かった。思った以上に選択肢があることに気が付きました」。留学で磨いてきた英語を活かせる仕事をと思い、家具やワインの輸入業者などを見つけましたが、働くイメージを持てなかった向田さん。たまたまハローワーク内の掲示板を見ていたときに麒麟山酒造の求人を見つけました。
「新潟大学の3年次だったとき、食文化の外部講師を呼んで講義をする授業があったんです。そのときに日本酒代表として、麒麟山酒造の現社長が講師として来ていました。麒麟山酒造のお酒“KAGAYAKI”を試飲した時に、普段日本酒を飲まなそうな学生も『美味しい』と顔をほころばせながら飲んでいたのを覚えていました」。日本酒好きな人だけではなく、若者をも感動させるお酒を出している酒蔵と、好印象を持っていた麒麟山酒造との偶然の再会でした。求人票には「新潟の魅力、日本酒の魅力を発信できる人」といった内容もあり、「それなら私にぴったりだ」と応募をしました。
2011年、晴れて麒麟山酒造に入社した向田さんは、販促企画としてSNS運用やパンフレット作成、パッケージデザインの打ち合わせなど幅広い仕事を担当しています。販促企画と並行して、留学で培った英語力を生かし、輸出業務も担当。
「通常、輸出は国内業者さんを通して行いますので、あまり英語は必要ないのですが、最近では海外のレストランや酒屋さんなどが、直接蔵に訪れる機会も増えてきました。その時は英語が活かせます。海外に行くと発言しなければいけないことが多いので、人前に立つことには慣れました。今は代表してお客様をアテンドすることも多く、コミュニケーションをどう取るかは留学経験がプラスになっています」。海外で日本酒の評価が高まっている中、他の蔵からも向田さんのように英語ができる社員のいる麒麟山酒造を羨む声が聞こえてくることもあるのだとか。
なぜ、映画から日本酒に?海外映画から日本の伝統産業に?と不思議に思いますが、向田さんは「やっぱり日本酒が好きだからですかね。自分が好きなもの、素敵だと思うものに関われるのが幸せです」と笑います。「当社は1843年創業で、今年で174年目になります。長く地元の人に愛され続けてきた伝統産業って、きっとそう簡単に無くならないものだと思います。この土地だからこそ作れるものを、ずっと守っていきたいし、もっといろんな人に知ってもらいたいです。孫やひ孫の世代まで紹介してもらえるような酒蔵になりたいですね。今はその種まきをするとき。新潟県内、国内、海外、色々な人に伝える仕事ができるのは嬉しいです」。
映画のバイヤーも日本酒の販売企画も、向田さんが「素敵」と思ったものを、広く知ってもらう仕事です。高校生のころに思い描いていた職業とは変わりましたが、根本にあった「好きなものを伝えていきたい」という夢を叶えているように感じました。
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