2021.07.21 掲載
Ichi-Rin -苺稟- 代表
若杉 智代子さん
新発田市
\若杉さんってこんなひと/
◎出身など 新発田市出身、新発田市在住
◎移住時期 2004年4月
◎経歴 高校卒業後に専門学校入学のために上京。3年の会社勤めののち、新発田市に帰郷。地元の職場で出会った現在のご主人とともに、30歳のときに、ご主人の語学留学のため2人でハワイへ。3年後、ふたたび新発田市にUターン。帰国して10年後の43歳のとき、思いがけずいちご農家に。新潟県施設園芸立毛品評会(田畑に生育している状態で審査する品評会)で受賞するなど、若杉さんの作るいちごは高い評価を受けている。
◎にいがた暮らしのおすすめのポイント:
何気ない日常の自然が、世界に誇れるほどの魅力があるところ
若いころは東京志向だったという若杉さんは高校卒業後、東京の専門学校へ。その後、医学関連の学会運営の仕事に従事し3年ほど勤めた後に、両親の勧めもあり新発田市にUターンしました。戻ってからすぐに派遣社員として勤め始めた若杉さんは、27歳のときにご主人と職場で出会い、3年後に結婚。もう一度英語の勉強がしたいというご主人とともに、仕事を長期休暇しハワイへ。
「ハワイ大学で主人が勉強していた3年間は、休みの度に新発田に帰って来ていました。そのころから新発田っていいなと思っていたのかもしれませんね」。
ご主人の大学卒業後は、若杉さんの故郷である新発田市へ再びUターンしました。
地元でパートタイマーをしていた若杉さんが43歳のとき、転機が訪れます。
「父が土地改良の理事長をしていたのですが、米倉地域の将来を見据えてハウス栽培などの施設園芸が必要だと言い、いちご栽培を始めることになりました。その後すぐに父が体調を崩してしまって、私に代わりにやってほしいと」。
すでにビニールハウスの部材は発注され、親苗も準備されていた状態でした。
「私の実家は農家なので、農家の大変さは嫌というほど知っていました。だから、絶対やらないと言ったのですが、もう後には引けない状況だったのでやるしかない、と腹を括りました」。
それまで若杉さんのハウスがある新発田市米倉地区には、いちご栽培をしている農家はいませんでした。何も分からない素人だった若杉さんは、新潟県が主催する研修や勉強会に参加したり、農協や県の地域振興局の普及指導員の指導を仰ぎながら、毎日いちご作りに励んだそうです。
「一番大変だったのは、収穫と出荷でとにかく時間に追われることでした。朝5時から収穫して、一度帰宅し、子どもたちを学校に送り出してからまたハウスに戻り、収穫。パック詰めをしているうちに、子どもたちが帰ってくるからまた家に戻って、の繰り返し。そのころは収穫したものを全て出荷しないといけなかったから、子どもが寝てからまたハウスに戻って作業して、その日のうちに終わらないこともありました」。
いちごは6月になると市場価格が半額近くに下がるそうです。若杉さんは、作業も労働力も変わらないならいちごの価値を守るために何かしないといけないと考えるようになったそうです。そうして始めたのが6次産業化(生産者が加工と販売も行い、経営の多角化を図ること)。若杉さんが目をつけたのは、ドライいちごでした。
「当時、ちょうどフォンダンウォーター(韓国発祥のドライフルーツを水につけた簡単ドリンク)が流行り始めていましたし、何よりも越後姫でやっている人が誰もいなかったから」。
他のブランドいちごに比べ、水分量の多い越後姫はドライフルーツにはあまり適さないと言われていたそうです。しかし、若杉さんが米倉地区の良質な水で育てた越後姫は高い甘みと香りがあり、ドライフルーツにしても風味を損なわず十分に美味しく感じられたそうです。
「自分のいちごだけでは足りなくて、他の越後姫を買い取ってやってみようとも考えました。でも、試作してみたら、同じ味にならない。酸味がたってきてしまうんです」。
自分が手をかけられる量を、一生懸命に。若杉さんは決意します。
心を決めた若杉さんは新たに加工所兼直売所を自宅横に建設しました。これを機に、当初は「米倉いちご農園」としていた名前を、「Ichi-Rin-苺稟-」と変更し、いちごの直売・ドライいちごの加工なども行う場所としました。新潟県施設園芸立毛品評会で全国野菜園芸技術研究会優秀賞など3度受賞した若杉さんのいちごは評判となり、近くの小学校からの講演依頼も来るようになりました。
「講演では、これだけおいしい野菜をつくれる日本人ってすごいんだよと伝えたり、日本の農業、農産物の話だけではなく、この地域の良さも一緒に伝えられるようにしています」。
東京で生活をしていたときと比べ、ハワイで暮らした後の若杉さんは、故郷を客観的に見られるようになったと話してくれました。文化や習慣だけではなく、日本ならではの風景、質の高い農作物があるということ、世界という視点から見た故郷の良さは地元に住む方々はなかなか気づけないことも多いということが分かったそうです。
いちごづくりの帰り道、米倉地区の夕焼け空を見ながら「キレイだな」と自分が感じたように、子どもたちにも日常の自然に関心を持ってもらいたい、と若杉さんは続けます。
「彼らが大人になっても、地域を愛してくれていたらいいなって。こういう場所で生活していると心が豊かになると思うんです。その要素は自然を筆頭にたくさんあります。そういったものに気付くお手伝いをしたいと思っています」。
「苺稟」の「稟」の字には「生まれ持った運命を生きる」という意味があるそうです。「無い物ねだりをするのではなくて、その環境の中で精一杯生きなきゃいけない。そういう想いを込めて、この字を使いました」。
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