2014.07.23 掲載
カフェ「GOOD LUCK COFFEE」店主
青柳 拓郎さん
「アジアのごはん屋 うめやん 」店主
梅澤 俊広さん
最近、新潟県内でも、小さいながらもこだわりを持ったお店を見かけるようになってきました。他とは少し違って見えるそのお店には、店主の思いが詰まっています。今回は、県内ではまだ数少ない「コーヒースタンド」を長岡市でオープンさせた青柳拓郎さん、タイの屋台からインスピレーションを受け、新潟市を中心にアジア各国のカレーやお惣菜の移動販売をしている梅澤俊広さんにお話を伺いました。
長岡市出身。高校卒業後、新潟市内の専門学校へ進学。学校の研修旅行で訪れたイギリスでカフェに魅了される。専門学校卒業後、新潟市内のカフェに就職。
「高校卒業当初は、音楽で生計を立てようと、音楽関係の専門学校へ進学しました。ただ、自分で決めた2年間という期限で目標を達成できなかったので、音楽の夢は断念しました。その代わりに、新たな夢としたのが、「カフェで働くこと」です。専門学校の研修旅行でイギリスを訪れたときに立ち寄ったカフェでその魅力にすっかりはまってしまい、卒業後は念願が叶って新潟市内のカフェに就職することができました。
カフェで働き始めたころから、将来は自分の店を持ちたいという夢を抱くようになりました。しかし、仕事を始めて1年半後、父親が急逝したため、カフェをやめて家業の造園業を継がなければならなくなりました。夢を一旦あきらめること、再び夢を追えるのがいつになるのか分からないことにやりきれない思いもありましたが、家族や残った従業員のことを考え、自分の夢は封印して造園業に専念しました。」
「造園業は10年間続け、昨年12月に閉業しました。家族の支えや周囲の支援のもと、円満に終えることができてよかったです。
この数年間は、造園業を終えることを見据えながら、お店をオープンするための準備も進めていました。そのなかで訪れた東京・渋谷のカフェで、エスプレッソの味やバリスタの振る舞いに衝撃を受け、お店のコンセプトをそのカフェと同じ「コーヒースタンド」(※1)にしようと決めました。
そして今年の3月、多くの方から協力していただき、念願だったカフェ「GOOD LUCK COFFEE」をオープンすることができました。このカフェは皆様の「サードプレイス」(※2)として、お客様がご自由に、リラックスできる場所としてご利用いただければと思っています。」
※1 コーヒースタンド
…立ち飲みやテイクアウトをメインとし、そのために必要な最低限度の店舗規模・経営業態のコーヒー店
※2 サードプレイス
…アメリカ発祥の考え方で、自宅(=ファーストプレイス)と職場(=セカンドプレイス)の中間地点にあり、都市生活者に必要な「心のよりどころとして集う場所」になるとしている。
「一杯ずつ手作業で、挽きたて、淹れたてのコーヒーをお客様に楽しんでもらっています。特にエスプレッソにはこだわりがあります。使っているマシンがセミオートなので、バリスタの技術が試されます。そのときの温度や湿度などを考えながら、抽出具合を見極めなければならず、やりがいがあります。コーヒー豆やエスプレッソマシンは最高のものだという自負があり、そのポテンシャルを引き出すのが自分の役目だと考えています。」
「今後は、地域の交流の場として利用してもらったり、地元で地道に活動している人を紹介するなど、お店の存在が地域の活性化に貢献できればと思っています。それと、東京が中心だと思われがちな「コーヒースタンド」や「バリスタ」という文化を長岡や新潟県内に根付かせることが、使命の一つだと考えています。
また、バリスタになることやカフェの開店を目指す若い人たちをサポートしていこうという気持ちでいます。これまでに、そういう夢を持った人が多く来店して質問や相談をしてくれることがうれしく、自分の経験を伝えられればと思っています。
さらには、カフェに関することだけではなく、夢を持ち、夢を言葉にして行動できる人が増えて欲しいです。自分がそうであったように、常に「夢を言葉にする」ことで、周囲はその変わらない姿勢をサポートしてくれます。言葉にすることは恥ずかしさもありますが、そこを乗り越え頑張る人を応援していきたいと思っています。」
新潟市西蒲区(旧巻町)出身。高校を卒業後、自動車整備を学ぶため、県内の専門学校に進学。卒業してからは、県内で土木関連の仕事に就く。
仕事が休みの時期を利用し、何度かタイを訪れているうちに、タイ料理や屋台文化に魅了され、新潟で広めたいと考えるようになる。
その後、移動販売のお店をオープンしようと決意。オープン前には奥様と結婚し、2009年に二人三脚でお店をオープン。
「専門学校を卒業してからは、秋から冬にかけて収穫後の田畑を整備する仕事に就きましたが、数年経った頃、『人生このままでいいのだろうか』と考えるようになりました。そこで、仕事が休みの春から夏の時期を利用して、海外旅行に行ってみようと思い、韓国とタイを訪れました。
タイでは屋台文化が定着していて、現地の人が屋台で食事を済ませていたことに衝撃を受けました。日本では、“屋台=お祭り“のイメージだったので、毎日がお祭りのような感覚になり、とても楽しかったです。もちろん、タイ料理もとても口に合いました。
それまでは、飲食業に全く興味はなかったのですが、次第にタイ料理と屋台文化を地元新潟で広めたいと思うようになりました。そして、一番良い方法が何かを考えた時に、移動販売の形態が最も屋台に近いのではないかと考えました。また、移動販売には、車を用意して、仕込みの場所さえ確保できれば、比較的初期費用を抑えることができる経済的メリットもありました。」
「実際のオープンに向け、飲食店を経営している方からもアドバイスを頂きましたが、人口規模などから、東京都内でのオープンを勧められ、実際に何度か足を運んでみました。ただ、確かにお客さんは大勢いるのですが、機械的に注文を捌いているだけという印象を持ったため、やはり、新潟でオープンしようと決めました。
オープンに向けて準備を進める中で、二人三脚で始めたいという思いから、結婚もしました。結婚してからは、夫婦で何度かタイを訪れ、自分達が気に入った料理を出す屋台を食べ歩きました。元々、妻は都内の洋食店に勤務し、私よりも経験があったので、当時は助けてもらうことが多かったです。」
オープン後は地道に営業を続け、3年ほど経った頃から、ようやく認知されるようになりました。現在は、平日が曜日毎に決まった場所で、そして土日にイベントで出店というサイクルになっています。
移動販売は、お客さんとの距離が心理的にも近く、反応がダイレクトに伝わってくるので、とてもやりがいがあります。食材については、地元巻の友人が減農薬減肥料で作ったお米や秋葉区の女性が一人で丁寧に育てた無農薬野菜、自家菜園で育てた野菜など、信頼できる人が作った地元食材を使うことにこだわっています。」
「最近、お客さんからは、『ここに行けば食べれるという場所を作って欲しい』といった声をいただくことが多くなってきたので、そろそろ店舗の出店を検討しています。ただ、店舗を構えたとしても、私自身の原点である移動販売は継続していきます。
また、素晴らしい食材を提供してくれる地元の友人や秋葉区の女性らともコラボレーションしたいと考えています。例えば、店材を調理して、その場で食べることができるようにするなど、そういった仕掛けができればいいなと思っています。多くの人を巻き込みながら、様々な発信もしていきたいです。」
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