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ニイガタビト

移住10年。地域の人になる。【後編】
- 就職、起業、そして地域の未来を担っていく存在へ -

2017.11.22 掲載

後編

アイディープラン/阿賀野屋 代表

土井一心太さん

阿賀野市

後編

土井さんは神奈川県出身。2007年に奥さんの実家がある阿賀野市にIターンしてきました。
新潟市で会社員をしていた頃、東日本大震災の際に家族と連絡が取れず、地域に家族を見てくれるようなつながりもなかったことから「家族の近くで仕事をしたい」と、阿賀野市で広告企画業として独立開業。地域で仕事を始めなければわからなかった、難しさや、面白さに気づきました。

今ではすっかり地域の人という印象の土井さんですが、阿賀野市の未来をどのように想い描いているのでしょうか?

地元企業とコラボして商品開発をスタート

営業スタイルが変わる中で、新たな事業展開もありました。地域の食材や、産業品、観光資源など地元の「素材」を活用した阿賀野オリジナルの商品の開発です。最初は阿賀野市のキャラクター「ごずっちょ」を使ったノベルティグッズを制作。手応えを感じると、「せっかくこれだけ製造会社があり、作り手がいるのだから、地場産業でできることはないかと考えるようになりました。自分でこれとこれを組み合わせたら面白いと思うものを商品化したいと思うようになりました」。

それから、安田瓦のアクセサリー、地元の酪農家と養鶏農家、お菓子屋さんと瓦業者をつなげたプリンの開発など、次々と商品をプロデュース。商品が増えてくると、2014年には広告企画業で使っていた屋号「アイディープラン」と区別するため、物販部門として「阿賀野屋」を名乗るようになりました。オリジナル手ぬぐい、安田瓦を使った雑貨やキャラクター「あがのじゃく」など、商品が増えるのと比例して地域でのつながりや認知度も向上。「物販と広告の2つの事業が回り始めて、ようやく売上が安定してきました」。

まさか「養鶏」をやるとは…。想定外でも前向きにチャレンジ

阿賀野市での活動を深めていた2016年、思わぬ事態に直面します。「阿賀野屋のプリンは私が惚れ込んだ、神田酪農の愛情牛乳、ひぐち農園の新鮮もみじたまご、それに少しの甜菜糖を加え、村杉温泉の薬師乃湯で蒸し上げ、器には小田製陶所のロックカップ、プリンスプーンにはKIYA DESIGNの木のスプーンをお付けし、森のお菓子屋さんglandが作る阿賀野屋の看板商品でした。

しかし、ひぐち農園さんの養鶏場が強風で大きな被害を受け、事業を畳むことになってしまったんです」。小規模の平飼いの鶏は強風の被害を受け170羽しか残っていないという厳しい状況。経営者さんが高齢ということもあり、修繕して再起する気力もなくなってしまったとのこと。せっかくの美味しいプリンが作れなくなるのはもったいない…と、なんとか事業を続けたいと土井さんは各所を奔走。地域おこし協力隊に話をしたりもしたのですが、いきなり養鶏をやろうと決断するにはハードルが高く、良い返事はもらえませんでした。

そんなピンチを前に、なんと土井さんは「だったら自分でやろう」と決意!ひぐち農園さんに教わりながら養鶏事業を引き継ぐことにしたのです。完全に想定外の事態でしたが、1年間は神奈川の弟に声をかけて手伝ってもらい、2017年からは一人で養鶏場を運営しています。予定になかった養鶏事業ですが思わぬ効果もあったそう。「養鶏を始めて地域の人の雰囲気が変わりました。“本気で地域に根ざすつもりだ”とようやく認めてもらえたのかもしれません」。

地域ならではの難しさ。作り手になって初めて認められた

2017年8月にオープンした阿賀野屋のコンテナ店舗では、阿賀野屋で開発した商品のほか、地域の特産品などをセレクトして販売しています。この店舗オープンの話も、実は突然舞い込んだものでした。「もともと2017年も弟には新潟に残って養鶏の仕事をしてもらおうと思っていたんですよ。ただ、養鶏だけでは給料も充分に払えないので、直売店があれば売上もできて給与を払えるかなと考えていました。それを知り合いの社長さんとかに話していたんです。そうしたら、ある日“土井くんコンテナとか好きだろう?ちょうど東港にいいのあるんだけど、それ使って店出してみないか?”と話をもらいました」。

そこからトントン拍子で話が進んだのですが、オープンを目前にして肝心の弟さんが神奈川に帰郷することに。土井さんは現在、広告、商品開発、養鶏、そして直売店運営と「ちょっと何足わらじを履いているかわからない状況(笑)」だそう。地域で事業を営む中で感じたのが、養鶏を始め、作り手になって初めて認められたという感覚です。「広告や商品企画など“プロデューサー”的な仕事はなかなか信用を得られないんですよね。新潟は農家さんや製造業、大工さんが多い“技術の町”という印象です。商品開発しても“これ、おめさんが作ったのか?”と必ず聞かれるんです。続いて“あぁ口出しただけかぁ”とシビアでしたね。ものづくりへのこだわりの強さを感じました。だからこそ養鶏をやったときに皆さんが認めてくれたんだと思います」。

また、地域活性化に関わる中で、地域特有の問題にも直面しました。「最初はよそ者扱いでした。地域の地雷は全部踏んだかも(笑)ちゃんと地域に話を通すやり方、話を通す場所や順番などは、体当たりで学びました」。よそ者は知らないことが強みでもあり、危うさでもありますが、土井さんはよそ者ならではの失敗をたくさん積み重ねたそうです。「でも同世代を中心に“こういうときはここに話を通せ”と教えてくれる人が増えてきました。それからは上手く立ち回れるようになってきました」。そんな自身の経験を、これから何かしたいという若い人たちのサポートに活かしていきたいと土井さんは考えています。

取材中にも、買い物ついでに土井さんに、阿賀野市のことや、仕事のことなどを相談に来るお客さんが次々と来店。この土地で積み重ねてきた信頼の厚さを感じました。

阿賀野市の豊かな未来に向けて、今できることを

子育てをするなら阿賀野市で、とIターンしてきた土井さんは「豊かな自然や子どもを取り巻く環境には満足しています。子どもが遊んでいると、地域の大人が見ていてくれ、手を差し伸べてくれる印象があります。そういった豊かな環境は、この土地の歴史や文化の中で育まれてきたことを知り、ますます阿賀野市が好きになりました」といいます。

今は奥さんの実家を二世帯住宅にリフォームして同居。小学校3年生と1年生の2児を、地域や家族の助けを借りながらのびのび子育てしています。気になるのは子どもたちに残す阿賀野市の未来。この土地が好きで、この先も暮らし続けていきたいからこそ、自分たちがやらなければいけないことがあると考えています。「今の阿賀野市の人口は約4万人。現実的に考えて、将来に人口が増えるどころか、現状維持も難しいと思います。私たちは同世代と“人口が2万人になってもみんなが幸せに暮らせる町にしたいね“と話しています」。現在35歳の土井さんは、農業や工業などそれぞれの分野で活躍している若手たちとネットワークを作っています。

都会に比べると市場規模の小さい阿賀野市ですが、阿賀野市にしかない利もあると言います。「確かに阿賀野市の市場規模は大きくはないです。けれど、新潟市の商圏ということもあり、実はチェーン店が出店してこない空白地帯でもあります。これは裏を返せば、個性的な個人店を呼び込みやすいという利点もあると思います。自分も阿賀野市だからこそ仕事が成り立っているという実感がある。例えば“起業の町・阿賀野市”として若手が出店しやすい環境をつくるといったチャレンジもできるのではないでしょうか」。

行政との距離も近く、若者が市長と直接話ができるのは阿賀野市のスケール感ならではだそう。時代の移り変わりを強く感じる昨今、地の力があるこの地域だからこそ、新しい価値を生み出すことができるのではないか。いずれまちづくりの中心を担う同じ世代で、阿賀野市の豊かな未来へ向け、ビジョンづくりをしています。

阿賀野市に移住して10年。最近は阿賀野市への移住相談も受けるなど、すっかり「地域の人」になった土井さんのますますの活躍が楽しみです。

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