2021.11.30
新潟県
「にいがた暮らし」を検討している方のための情報キュレーションWebマガジン、にいがた暮らしINDEX編集部です!
首都圏でのキャリアを捨てて、新潟で転職する。給与が下がるなどのデメリットも考えられる中で、転職を成功させてきた先駆者からその秘訣を学びます。
※記事出典:ニイガタビト(にいがた暮らし)
記事の内容はニイガタビト取材当時の内容です。
最初にご紹介するのは、大学卒業後に地元である糸魚川市へUターンし、産業用機械の設計者として活躍する渡辺 卓誠(わたなべ たくみ)さん。
(記事本文はこちらから:https://niigatakurashi.com/people/34449/)
5歳のときに、父親の転勤で糸魚川市へ引越して以来、高校卒業まで糸魚川で暮らした渡辺さん。その後は福島県の大学に進学し、理工学類に所属。在学中は、福島でしかできないことをやろうと東日本大震災の復興ボランティア活動に従事し、卒業研究では新潟県と福島県における地域防災計画とその取組みの比較をテーマに選んだそうです。
そんな渡辺さんが糸魚川に戻る決断をしたのは、いずれ必要になるかもしれない両親の介護のことや、高校時代からの彼女が新潟にいたことが決め手になったそうです。将来、家族できたときのことを考えると、「慣れない地域よりも、自分が育ち、慣れ親しんだ環境で家庭を築くほうが安心して生活できるだろう」という結論に至ったそうです。
就職先を検討するにあたり、人々の生活に関わる仕事に興味を持つ中で出会ったのが、産業用機械メーカーである株式会社タナベでした。
「糸魚川で創業し、会社の規模が大きくなっても本社を移すことをせず、今も糸魚川に残り、雇用を生みつづけていて、取引先は日本国内にとどまらずアジアやアメリカ、ヨーロッパなど、海外にまで広く、世界に技術や製品を発信している。自分が生まれ育った町から世界に技術を発信している。」そんなところを魅力に感じたとのこと。
渡辺さんは機械の設計業務に携わっており、図面設計だけで2ヶ月、製品になるまでは半年もかかるそうですが、ご自身が設計したものがカタチになることに喜びを感じるそうです。
糸魚川で働き、暮らす中で、地元や新潟の「知らなかったこと」を「改めて知る」ことの価値に改めて気づいたという渡辺さん。休日は、友人たちと海や山に出かけたり、ジオサイト(地質や文化・歴史を感じることができる場所)を回ったりしているそうです。ホタルイカの身投げ(海岸に打ち上げられる様子)など自然環境の豊かさ、米の美味しさなど、一度地元を離れたからこそ、その魅力に改めて気付かされることも多いのだとか。
いといがわ移住サポートサイト「わたしのいと」
先輩移住者のインタビューが読めるのはもちろんのこと、複数あるコミュニティや相談できる方の情報が載っています。
セミオーダー型の移住ツアーをはじめ、2泊まで1,000円/泊で滞在ができる「ちょこっと糸魚川暮らし」、移住体験時の交通費補助制度などもございます。
フォッサマグナが通る、ひすいと海辺のまちで、暮らしてみませんか?
次にご紹介するのは、阿賀野市出身で大学卒業後にUターンをした加藤 佳恵さん。
(記事本文はこちらから:https://niigatakurashi.com/people/38944/)
阿賀野市出身の加藤さんは横浜の大学に進学、勉学はもちろんのこと、アルバイトや友達との旅行など都会でのキャンパスライフに刺激を受けつつも、進学時にはすでに新潟に戻ることを決めていたそうです。新潟が嫌いで県外に出たわけではなく、大学生活の4年間だけ新潟を離れるというつもりで生活をしていたとのこと。
就職活動では、首都圏で開催される新潟県内企業の就職説明会への参加や、表参道・新潟館ネスパスにあるにいがたUターン情報センター(現・にいがたくらしごとセンター)に通い、県内企業の情報収集を行っていました。新潟で働き続けたいと考えていた加藤さんは、県外への転勤になる心配のない、勤務地が新潟にしかない企業に絞っていったそうです。
現在は新潟県労働金庫にてお勤めの加藤さんですが、最初から金融機関を志望していたわけではなく、就職説明会で話を聞き、業界研究をして興味を深める中で、たくさんの方々の新たなライフステージを支えることを魅力に感じ、金融業に決めたという経緯があります。
加藤さんは、新潟の暮らしについて次のように述べます。
「都会には都会のいいところがありますし、新潟には新潟のよさがあります。どちらが好きかは人それぞれだと思いますが、私は根っからの新潟好きなんだと思います。だからこそ『具体的に新潟の何が好き?』と言われると答えに困るのですが(笑)、あえて言うなら暮らす場所として『新潟はちょうどいい』と思うんです。街と自然のバランスも、人の数も、東京までのアクセスも、すべてがちょうどよくて居心地がいい――これが私にとっての新潟なんだと思います。」
新潟市からも通勤圏の阿賀野市は、白鳥が飛来する瓢湖や、新潟県の名産品ヤスダヨーグルトをはじめ、「あ、これも阿賀野市のものなのね!」という再発見が多いまち。
新潟市や新発田市など近隣市町村にアクセスしやすいだけでなく、市内でも豊富にスーパーなどの日常生活の買い物環境があるため、車があれば仕事も生活もしやすい街です。
歴史のロマンあふれる、湖のまちで、暮らしてみませんか?
最後にご紹介するのは、弥彦村で生まれ、燕市で子供時代を過ごした鈴木 琢真さん。
(記事本文はこちらから:https://niigatakurashi.com/people/52960/)
高校までを燕市で過ごしたのち、神奈川県の大学へ進学した鈴木さん。趣味の読書やサークル活動など大学生活を謳歌したのちに、ご家庭の事情で燕市に戻ることになったそうです。最初は塾講師としてアルバイトをしていたそうですが、正社員としての求人情報を探し始めます。
そこで出会った仕事が、にいがた経済新聞社の記者・営業でした。出勤初日に県庁へ取材に行ったところ、最初の仕事が新潟県知事の取材だったということに驚いたそうです。
自由な社風で自分のやりたいことをさせてもらえる仕事ですが、多くの経済人や政界の方々への取材には深い知識が必要で、最初は苦労する点も多かったそうです。
記者活動の中で地元の燕市にも足を運ぶ機会が増え、なぜ燕市で金属産業が盛んになったのかなど、歴史的、文化的な視点で地元を見つめ直すきっかけを得ることができたそうです。県外から帰ってきて改めて地元の産業の深部まで触れ、改めて燕市の魅力やおもしろさに気付いたと、鈴木さんは言います。
バイクやガーデニングなど、新潟に戻ってきたからこそ楽しめる趣味も満喫しながら、公私ともに新潟の魅力を再発見しているそうです。
オンライン移住相談からオーダーメイド型移住ツアーまで幅広く移住をサポートしている燕市では、転職先の候補となる企業紹介も行っています。ユニークな取り組みとしては、おためし生活体験事業という、いわゆる一般家庭がホストファミリーとなって移住希望者の受け入れをするという制度があります。食費等の実費負担だけで宿泊費がかからず、手軽にリアルな燕市での暮らしを体験できるというのが特長です。
金属加工をはじめとしたものづくりだけでなく、子育て支援も充実したまちで暮らしてみませんか?
地元に戻る、新潟に帰るということを考えると、大義名分やキラキラした夢などが必要だなんてどこかで思っていませんか?
実家の近くや慣れ親しんだ街で、家族や友達と休日を楽しみながら、何気ない日常を楽しむという幸せ。
そこに、無理やり壮大なストーリーやミッションビジョンや理由などをくっつけなくてもいいのです。
ただ、なんとなく地元が好き、ここで暮らしたい、ここで結婚したい、ここに住み続けたい。そういった等身大の理由で十分だと思います。
「にいがたくらしごとセンター」は、新潟に興味をお持ちの皆さまに、
新潟の「暮らし」と「しごと」に関する情報提供や、移住に向けた支援を行う総合相談窓口です。
このページをSNSで共有する