2022.02.17 掲載
株式会社Pepo 代表取締役
木村 愛子さん
新潟市西区
\木村さんってこんな人/
◎出身など:新潟県西蒲区(旧巻町)出身、新潟市西区在住
◎移住時期:2020年3月
◎経歴:高校まで新潟市西蒲区で過ごす→千葉の大学に進学→東京のベンチャー企業に就職し3年間勤務→その後1年間 ITベンチャーに事務職として勤務→前職の上司に誘われ、システムエンジニアとして新しい会社の創業に参加→出産を機に新潟へのUターンを考える→2度目の出産後、新潟での独立に向けて1年間準備期間を経て、新潟にUターン→夫と二人三脚でシステム開発会社を経営。
◎暮らし:小学3年生の長男、4歳の長女、夫との4人暮らし
◎にいがた暮らしのおすすめのポイント:都会よりものびのびと生活できること!
生まれ育った西蒲区(旧巻町)から進学のため、千葉県へ。千葉大学の教育学部幼稚園教員養成科を卒業した木村さんでしたが、一般企業への就職に切り替え、東京のベンチャー企業に就職しました。
「新卒で入社した会社でコールセンターの管理部門の業務をしていました。そこで仕事をしていく中でファイルメーカーというソフトを使い、営業実績の管理システムや顧客情報管理システムを開発する機会がありました。そこでの業務経験が面白く、本格的にシステム開発に携わりたい、と思うようになりました。その後も引き続きシステム開発の業務に携わりつつ、自分でも勉強をしました。3年勤めたところで会社が倒産してしまい、その後1年間、事務職としてITベンチャーに勤務していたところ、前職の上司と同僚に誘われ、システムエンジニアとして新しい会社の創業に参加しました」。
システムエンジニアとして10年間勤務。その間、結婚と2度の出産を経験します。
「長男が生まれたときは夫婦共働きなこともあり、とにかく育児をするのが大変でした。時間がある時は、新幹線で新潟に戻り、実家の両親のサポートを得ました。特に、子どもの面倒をみてもらっている間、ゆっくり休む時間がとれたことはありがたかったです。両親が近くにいることで安心して子育てができると感じ、このころから本格的に新潟へのUターンを考えるようになりました。それと、新潟だとマイホームという家族がのびのび暮らせるような選択ができることも魅力でした。夫の仕事が落ち着いたら新潟へ行こう。そんなふうに思っていましたね」。
2017年に長女が生まれ、育児休暇から職場に復帰した木村さん。ですが、職場の体制が大きく様変わりしていて、独立したいという気持ちが芽生えました。
「私が会社に復帰する前にほかの会社を買収したこともあり、会社の規模も組織も変わってしまっていました。もともとイレギュラーな形での雇用だった私は、その枠組みに収まらなくなってしまったんです。同時に、夫の元請会社も閉業することになるなど、諸々のタイミングが重なったため、独立・Uターンを決めました。会社を退社し、まずは個人事業主として独立し開業。システムエンジニアとして元の会社と契約し引き続き業務を行う形でスタートしました」。
仕事と並行してUターンの準備をし始めたこの期間、特に大変だったことはお子さんの保育園選びだと木村さんは話します。
「子どもの保育園選びには苦労しました。入園希望を早い時期に出さなくてはならず、住居を決める前に保育園を決める必要がありました。実際に見に行くこともできなかったのですが、思い切って決めるしかありませんでした。」
東京で個人事業主として働き1年間の準備期間を経て、2020年3月から家族4人での新潟での生活がスタートしました。
木村さんが立ち上げた株式会社Pepoでは、システム開発やソフトウェア導入なのどサービスを提供しています。木村さんが開発を、木村さんの夫が営業を担当し、夫婦二人三脚で仕事を行なっています。
「独立するにあたりバーチャルオフィスを色々探して、新潟駅に直結しているコワーキングスペースである【HUB STATION KENTO】に出会いました。ここは、新潟市の起業支援の拠点であり、オンラインでの打ち合わせ時に非常に好意的だったこと、このオフィスに入居している他業種の方とのコミュニティがあることから入居を決めました。コミュニティ全体として協力的な雰囲気があり、仕事の相談などもできることがうれしいですね。また、こういった場所での出会いをきっかけに人と人がつながり、仕事に発展するケースも多々ありました。新潟は横のつながりが非常に強い土地だと思います」。
家に帰れば二児の母である木村さんに、新潟での育児について伺いました。
「新潟に帰ってくるときは、賃貸も探したのですが、希望に沿うファミリー向けの物件には出会えず、戸建てを購入することにしました。そのおかげで、子どもたちが室内で飛び跳ねても前より周囲を気にすることがなく叱らなくなりました。庭で植物を育て、夏には流しそうめんや花火をしたり、東京にいたときはできなかったことも楽しめる環境があります。子どもたちにいろいろな体験をさせてあげられること、のびのび子育てができることは、非常にいいことだと思います。また、将来の教育面でもいい環境だと思います。東京だと私立の学校が多く子どもの進路の選択肢もたくさんあって、その分親の責任や金銭的な負担が大きく、少しストレスに感じていました。新潟は中学・高校と公立学校が多数ありますし、県内の高校から国立の4年制大学を目指せる環境があります。金銭面もストレスも少なくて済むのはありがたいです」。
都内で生活していた時との違いは周囲との関わり方。新潟では、仕事以外の場面でも人との繋がりが多々あるそうです。
「私たちの住んでいる新潟市西区では、『ふれあい坂井輪まつり』という催しが毎年夏に行われていました。寺尾中央公園を会場にしていたのですが、コロナ禍の影響で2020年は中止に。ちょうどそのとき、私がSNSで『うちの子どもたちもなかなか外に出て遊べないので、オンラインのイベントをしたい』と発信したら、実行委員の方からお声がけいただき、お手伝いすることになりました。昨年9月に開催したイベントでは『子どもたちの絵画コンテスト』や『スマブラ大会』など地域の小学校も巻き込んで行いました。ライブ配信終了時点での視聴回数は800回を超え、たくさんの人たちが訪れてくれました。私はイベントの企画運営に関わったのですが、東京に住んでいたら『地域のために何かをしよう』とは思えず絶対にしていなかったことです。新潟で生活をして、仕事にかかわらず地域の方との繋がりもできることを実感しました。自分らしくのびのびと生活できる新潟にUターンしてきて、本当によかったなと思います」。
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