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ニイガタビト

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- デザインも遊びも -

2020.03.27 掲載

プロダクトデザイナー、マルチクリエイタ

髙橋友美さん

柏崎市

石川県小松市出身。夫と8歳、5歳の息子の4人暮らし。高校卒業後、長岡市の長岡造形大学のプロダクトデザイン学科に入学。主に工業製品等のデザインを学ぶ。大学を卒業し、地元石川県にUターン就職するが、結婚を機に退職し、柏崎に嫁ぐ。夫が静岡県富士市に転勤になり、自身も富士市へ。その後柏崎に戻り、現在に至る。度重なる引っ越し、里帰り出産等もあったことから、企業に就職せず、フリーランスでプロダクトデザイナー兼マルチクリエイターをしている。

\コラムのポイント/
●一度は地元で就職するが結婚を機に柏崎へ
 長岡造形大学への入学が新潟県との出会い

●後悔のないように、何にでもチャレンジしたい
 つらい経験を経て、充実した人生を過ごそうと決めた

●第二の故郷である新潟で暮らしていく
 気の置けない仲間たちと全力で活動していきたい

新潟との出会い

 幼い時から絵を描くことや工作が好きで、何かを作る仕事に就きたいと思っていました。高校生の頃、さまざまな美術系大学、芸術系大学を調べていく中で、長岡市にデザイン専門の大学があると知り、受験してみました。受験は金沢での遠方地受験だったので、合格が決まり、アパートを探しに家族と訪れたのが初めての長岡でした。
 長岡に来た時の印象は、道路が広く、ひたすら広大!という印象でした。街もきれいで、当時石川県にはまだ開通していなかった新幹線が通っているということもあり、全体として「都会だなぁー!」という印象でした。

とても充実した大学時代

 大学時代は、多くの友人や素晴らしい先生方に恵まれ、とても充実した日々を過ごしました。当時車を持っていなかったので、友人たちが車であちこちに連れて行ってくれました。長岡は家賃や物価も安く、さまざまなお店があり、買い物に困ることはありませんでした。また交通の便もよく、東京まで新幹線や高速バスで簡単に行けるので、制作材料の買い出しや展示会見学などにも、特に不自由を感じませんでした。ネットを通じて情報の入手ができましたので、都会の大学生と差もなく過ごせたように感じます。ただ、冬の寒さと雪の多さは想像以上で、びっくりしました。

卒業後、石川県にUターン就職

 卒業後、就職先をどこにしようか悩みました。このまま新潟で就職するのか? あるいは東京等の大都市圏に行くのか。それとも、地元石川県にUターン就職するのか。デザイナーとしてのキャリアを磨く上では、一度は東京に行きたいと考えていました。実際、大手メーカーのデザイン部門は東京に集中していました。しかし、お付き合いしていた柏崎出身の彼氏(現在の夫)とゆくゆくは結婚を…と考えていたこともあり、なかなか決めることができませんでした。そんな中で彼に言われたのが「東京に行けば、仕事が面白くて、おそらく新潟には戻ってこなくなるだろう。だから、東京にはいかないでほしい」という言葉でした。
 最終的に、地元の石川県にあるPC周辺機器メーカーにUターン就職しました。金沢本社で1カ月間の基本研修。その後8カ月間、新横浜営業所で営業の研修を受けました。石川県に戻ってきてからは、本社でデザイン課に配属されました。デザイン課では、プロダクトデザインを担当し、USBメモリーや外付けHDD、DVDドライブ等のデザインを行っていました。この会社では多くの同期や同僚、先輩に恵まれ、デザイナーとしてのスキルを数多く学ぶことができました。

休日に新潟に通う生活

 毎週金曜には仕事が終わると金沢駅に向かい、当時運行していた「特急北越号」に乗って、彼の待つ柏崎に向かい、土日を新潟県内で過ごし、日曜夜に石川県に戻る生活を、結婚するまでの4年半続けました。
 転機になったのは、彼に転勤の話が出たことです。遠くに行ってしまえば、なかなか会うこともできなくなります。金沢での仕事はとてもやりがいがあり、まだまだ学びたいこともたくさんありました。しかし、デザイナーの仕事は探せば見つけることもできますが、人生の伴侶に出会える機会はそうないと考え、思い切って入籍し、仕事を退職。柏崎へ嫁ぐことにしました。

柏崎→石川県で里帰り出産→静岡県富士市→柏崎

 結婚後は、もう一度デザインを学びたかったので、すぐには再就職をせず、長岡造形大学の大学院修士課程に入学しました。しかし、それと同時期に夫が転勤で静岡県富士市に行くことになりました。私は大学院に通っていたことと、1人目の子どもを妊娠していたことから、ひとり柏崎に残りました。
 そんな中、予期せぬ事態が発生しました。妊婦健診で、胎児の心臓に異常が見つかったのです。大学病院で出産後、心臓の手術を行いましたが、難しい手術の末、亡くなってしまいました。産後、心身ともに調子が悪く、しばらく実家で療養していました。
 そんな中、東日本大震災が起きました。多くの方が亡くなったニュースを聞き、辛いのは自分だけでない。「このまま、夫と離れて暮らしていても仕方がない」と思い立ち、2011年春、静岡県富士市に行くことにしました。
 富士市に移り住んでまもなく、次の子を授かり、翌年に無事出産しました。数カ月、親子3人で富士市で過ごしました。夫の転勤の任期が終わるころに「このまま静岡県内の勤務になるか、それとも新潟に戻るか?」という選択をすることになり、やはり住み慣れた土地であり、夫の両親や多くの友人がいる柏崎に戻ることに決めました。

この新潟の地で、どこまでできるかチャレンジ!

 私は長男や叔父叔母、恩師などの死を通して「人は必ず死ぬ、じゃあ、それまでいかに充実して過ごすか?」ということが重要だと考えるようになりました。その考えに至って以来、自分で選んだこの新潟の地で「存分に人生を楽しもう! 後悔のないように、思い切って何にでもチャレンジしよう!」と決意したのです。
 新潟に戻ってきて、まずは布小物やレジン(樹脂素材)を使った作品作りを始めました。子どもが幼いので、なかなか思うようにできない面もありましたが、イベントに出店したり、委託販売をしたりしました。また、手芸屋さん等でレジンのワークショップを行うようになり、そこで知り合った方から、ポスターや子ども向けの工作キットのデザイン、工作教室のスタッフをお願いされるようになりました。そうこうしている間に、人づてにいろんなデザインを依頼されるようになりました。

これからの夢

 これからやってみたいのは、3Dプリンターを使ったものづくりやオリジナル製品の制作です。新潟のお土産になりそうな、ガジェット等の小物を製品化したいと考えています。プライベートでは、大学時代から続いているゲームチームで大きな大会を開催してみたいです。また、ゲーム実況配信にもチャレンジしてみたいですね(笑)。新潟の人は、一見おとなしく奥手な印象ですが、「一緒にやろうよ!」と巻き込めば、一緒になって熱く活動してくれます。これからも、気の置けない仲間たちと、全力で活動していきたいと考えています。

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