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ニイガタビト

アイシテルニイガタ

2016.06.15 掲載

越つかの酒造(株)蔵人

大野雄介さん

27歳 阿賀野市勤務

 新潟市出身。生まれ育ったまちは地域住民のつながりが強く、幼い頃から地域全体に育ててもらっていた。高校に進学して地元以外の人たちとつながり始めたとき、自分が「地元が大好き」ということを自覚。大学は県外に進学するも、迷わず新潟の企業に就職し、2012年Uターン。しかし、わずか9か月で大阪に転勤。新潟に貢献できているという思いで仕事に励んでいた時、上司が病にかかったことがきっかけで、自分の生き方を見つめ直すことに。プライベートのほとんどを費やしていた日本酒を仕事にしたい!と思うようになり、2015年10月蔵人になるためUターン。

地元が好き

 少し前から、新潟関連のイベントがあるとかなりの頻度で、「アイシテルニイガタ」Tシャツを着て行っています。初対面の人には「え!?新潟大好きなんだね!」と話すきっかけになり、友人には「また着てる~(笑)」と言われ、いじられています。(笑)
 今はそんな感じで「地元・新潟が大好き!」というイメージを持たれる私ですが、小さい頃は「地元が好き、新潟が好き」と意識したことはなかったんですよ。好きと自覚し始めたのは、地元から少し離れた高校に進学するようになってからですね。高校に通うようになって、友人たちから地元を聞かれることがあるんですけど、地名を言うと「どこそこ?」と言われたんですよ。この時になんだか「むっ(モヤっ)」と思って。それで自分が地元が好きと自覚し始めたんです。

地域で育ててもらった

 なぜそんなに地元が好きなのかと不思議に思われるんですが、自分が今まで生きてきた中で一番楽しかった記憶は、中学時代なんですね。中学校が本当に楽しかったんですよ。実は、その中学校に勤めていた先生たちの飲み会が続いていて、今では卒業生の自分も参加させてもらっています。先生たちは「ここの地域は文化遺産!最後のキャリアはまたこの中学校がいい。」と言っています。
 そのくらい地域・学校・人が結びついているのは、地域環境も関係しているのかなと思います。私の地元は持ち家率が99%で、3世代で生活している家がすごく多いんです。自分もそうなんですけど、地域のみんなで子どもを見守っていて、「先生に迷惑かけちゃいかん!」と地域のみんなに躾けてもらってる感じでしたね。そういった雰囲気が当たり前だったし、すごく好きだなあと少し離れてみて知った気がします。

新潟に貢献したい

 地元が大好きな私でしたが、大学は県外に進学しました。1年目は県内の大学を受けたのですがうまくかなくて、2年目は県内の大学にはない学部に進学したいという思いが強くなったので、志望校を変更することにしました。どこにしようかなあと迷っていた時、声が聞こえたんですね。「そうだ、京都へ行こう」と。(笑)
 地元を離れることに多少の寂しさはありましたが、4年後Uターンしようと決めていたし、京都は古くから歴史の中心ということで歴史を勉強するならやっぱり京都がいいなあという思いもありました。
 晴れて京都の大学に合格し、大学生活がスタートしてからは歴史の中でも考古学に夢中になり、サークルも考古学という楽しい学生生活を送りました。3年生になり就活が始まる頃は、Uターン=公務員と思っていたのですが、徐々に民間企業に興味を持ち、新潟企業の説明会に行くようになりました。就職先を探すときに自分の思いとしてあったことは「新潟に貢献したい」ということ。この軸だけはブレずに持っていました。
 いくつか内定を頂いた中で選んだ会社は、県外に支社を持つ新潟の中小企業の営業職でした。この会社は、人材のほとんどが新潟出身者であったし、製品も新潟で造っていて、「この会社だったら新潟に貢献できそう。」と思い、選びました。

好きなことをやるしかない

 2012年3月、ついに新潟にUターン。4年ぶりの地元で懐かしい友人とよく遊び、SNSで酒場放浪記という日本酒のリポートを発信したりと、新潟生活を楽しみ始めました。
 仕事は営業志望で入りましたが、おおまかな流れ・製品のことを知っていないといけないので、まずは3週間ごとに工場の工程を回って設計や製品について学び、その後営業見習い。9か月ほど経った頃、大阪転勤が決まりました。もともと覚悟はしていたので、決まった時も「来たか~。」という感じでしたね。
 やっと帰ってこれたので、再び離れることに寂しさは感じていましたが、覚悟していたことと、転勤先が関西だったこともあり、ポジティブに異動することができました。
 大阪営業所では忙しいながらもお客さんに可愛がってもらい、「新潟に貢献したい」という思いで仕事に励んでいました。また、行きつけの居酒屋で日本酒キープを始めたことで常連さんから声をかけてもらうようになり、日本酒を中心としたつながり※が広がり、プライベートはほぼ日本酒漬けの週末を送っていましたね。(酒浸りという意味ではなく、日本酒の勉強をして検定を受けたり、利き酒に挑戦したりしていました。)
 そんな充実した日々を過ごしていたのですが、大阪営業所の要ともいえる人望厚い上司が、難病にかかってしまったんです。医者から「残りの人生を楽しんでください。」と言われた話を聞いて、「幼い子どもたちを残して楽しむことなんてできるのか、こんなに働き詰めで生きてきたのに、切なすぎる…。」と衝撃を受けたんです。
 「いつどうなるかわからないなら、好きなことをやるしかない。」そう思いました。
※日本酒を中心としたつながりを、個人的に「酒縁(しゅえん)」と呼んでいます。お酒が好きということだけで終わらず、人と人がつながるきっかけになったらいいなと思っています。

大好きな日本酒を仕事に

 モチベーションが上がらない状態で仕事に忙殺されているのは、本当に辛かったです。休日をひたすら日本酒の勉強に充て、何とかバランスを取っていたんですが、上司のことや祖母が亡くなったことで自分のルーツが地元・祖母・友人だと確信して、「新潟へUターンし大好きな日本酒を仕事にしよう。」と決めました。
 決めてからは、ハローワークと就職アプリを使って情報収集。条件としては、「実家から通えるところ・美味しいと思うところ」ということを決めて探していました。しばらくして気になるところを見つけたんですが、迷ってるうちに求人がなくなっちゃったんですよ。「すぐなくなるんだ!」と焦りまして…。(笑)
 その後、今の職場である越つかの酒造の求人募集に問合せし、経営陣が関西にいて直接話を聞けたこともあって、とんとん拍子に転職が決まりました。越つかの酒造の代表酒である代々泉は美味しかったし、実家からも通えること、若手の育成に力を入れる今後の蔵のビジョンも自分にはありがたい条件で、決め手になりました。
 2015年10月再びUターンして半年、まだまだ杜氏になる道は遠いですが、日々、日本酒と向き合えることが嬉しいです。日本酒に興味のある方、ぜひ声を掛けてください!一緒に新潟を楽しみましょう。

越つかの酒造ホームページへのリンク

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