2018.03.26 掲載
なり-nuttariNARI- オーナー
大桃理絵さん
新潟市
味噌や酒などを出荷し、古くから港町として栄えていた新潟市中央区沼垂エリア。2010年の佐渡生乳ソフトクリームと手作りデリの店「Ruruck Kitchen(ルルックキッチン)」オープンを皮切りに、個性的なお店が集まる沼垂テラス商店街が誕生しました。新たな商店街の形として注目されるまちの一角に2017年1月、ゲストハウス(簡易な宿泊施設)の機能を持つ宿、「なり-nuttari NARI-」がオープンしました。
「なり」を立ち上げた大桃理絵さんは新潟市出身。過去に一度Uターンしたものの、再び県外へ出た経験の持ち主です。そんな大桃さんがなぜ再びUターンして新潟で宿を立ち上げようと思ったのか。沼垂で何をしていきたいのか。これまでの気持ちの変化と叶えたい夢についてお伺いしてきました。
大桃さんは1984年新潟市江南区生まれ。小さいころから文章を読むことが好きで、進学した東京の大学では、日本文学を専攻しました。かたわら、バレー部に所属し、サークルとアルバイトに明け暮れる日々を送りました。大学卒業後は、元々好きだった子供とアパレルを掛け合わせた、子供服の販売会社に入社。店舗での販売を担当します。2年目に売り上げ全国1位の店舗に配属され、3年目には、その店舗の店長に就任。店長として様々な施策を実施し、売上結果を残します。だた、目標を達成して結果を出すことに面白さを感じていた一方で、買ったばかりの洋服をすぐに着なくなってしまう現実に物寂しさを覚えるように。2011年、入社5年目で子供服の販売会社を退職。一度新潟市に戻る選択をしました。
新潟市に戻ると、専門学校の運営事務局で事務職として働き始めます。当時、「一度東京に出て、新潟に戻ってきたのだから、このまま地元で結婚して、良い家庭を持つんだろう」と考えていたそう。1年が経ったころから、「本当にこの生き方でいいの?」というモヤモヤがたまっていきましたが、どうしたらいいのか結論は見えず、目の前の仕事を続けていました。
そんなときに出会ったのが、東京にあるゲストハウス「toco.」(トコ)でした。「東京にはよく遊びに行っていました。友人の家に泊まることが多かったのですが、何度も泊まるのも気まずくて。ちょうどシェアハウスやゲストハウスに興味を持っていたこともあり、オープンしたばかりだったtoco.に泊まることにしました」。
大桃さんにとっては初めて泊まったゲストハウス。しかし当時は緊張し、人と打ち解けることができませんでした。翌朝、一人で朝食を食べていると女将が声をかけてくれ、「今何をしているのか」、「どんなことを考えているのか」を話す機会ができました。
「そのときに仕事がつまらなくてどうしたらいいかわからずに悶々としていると話をしたら、”そんなの、辞めちゃえばいいじゃん!”って言われて。新潟には仕事を辞めるという選択肢を与えてくれる人はいなかったので、衝撃を受けました」。
「一度退職して戻ってきたのだから、ずっと新潟にいなきゃいけない」と固定観念に縛られていた大桃さん。このとき、選択肢が広がったといいます。
その後、何度かゲストハウスに宿泊し、そこに集まるバックグラウンドが違う人と話すことで価値観が変わっていきました。それまでは結婚や就職など一般的な将来設計に縛られていましたが、色々な人と話すことで自ら押さえ込んでいた感情が見え隠れするようになりました。そして、ある年末年始に一人旅で訪れた伊勢神宮で、「これからは楽しく生きる!仕事を辞めて、もう一度東京に行こう!」と決心したそうです。新潟に戻ると、すぐに会社に辞意を伝え、退職へと動き出しました。
退職への動きが進む中、toco.の女将から「長野県にゲストハウスを作るから、退職するなら手伝わない?」と誘いを受けます。大桃さんは「東京に行く前の1ヶ月くらいなら」と思って、快諾。長野県諏訪郡下諏訪町に新しく立ち上げる「マスヤゲストハウス」の改装作業を手伝うことになりました。その改装作業が2ヶ月、3ヶ月と長引くうちに、そのまま流れでオープン後もスタッフとして働き始めることになりました。
「働き始めた当初はまだ東京に行って働こうと思っていました。でもスタッフとして働くうちに“本当に東京に行く必要があるかな?”と考え始めるように。長野県にいながら、毎日違う県や国の人と話せる生活は楽しく、刺激的でしたね。東京に行って全く新しい仕事をやるよりも、ゲストハウスでの経験を生かして、自分の宿を作りたいと考えるようになりました」。下諏訪町にゲストハウスができたことで今まで少なかった20・30代も観光に来ることが多くなったそう。「今度は自分が宿をつくることで観光客の流れを生み出せればと考えるようになっていきました」。
自分の宿を持つことを思い描き始めた大桃さんですが、暖かくて晴れの日が多い地域でと考えていました。晴れの日が好きな大桃さんにとって新潟県は曇りや雨の県というイメージで選択肢にはなかったのです。
しかし、お客さんと話をしているうちに気持ちが変化していきました。「マスヤゲストハウスで出会った人はみんなそれぞれの地元の良いところを話していたのですが、いざ新潟の良いところを話そうとすると思いつかなくて。いつも東京と比べて良い面を見ようとしていなかったなと思うようになりました。また、”新潟ってお酒もあるし、魚も美味しいし、良いところだよね”と言われることが多かったのですが、実際に新潟に来たことがある人はほとんどいませんでした。当時新潟にはゲストハウスと大々的に宣伝している場所はなく、未開拓な場所だと思っていたので、 “私が宿を作れば、新潟に人が来るのでは?”と考えるようになりました」。こうして持ち前のチャレンジ精神に火がついた大桃さんはマスヤゲストハウスを辞め、新潟県で準備を始めます。
新潟県に戻ると、早速、県内各地で物件を探しましたが、中々「ここだ!」と思える場所に出会うことができませんでした。
一旦、各地のゲストハウスを見て勉強しようと西日本を巡る旅へと出かけていた大桃さんに、新潟にいる友達から「沼垂に良い物件あったよ」と連絡が入ります。すぐに新潟へと戻り、物件を見て「ここでやりたい!」と一目で気に入ります。「趣のある外観に惚れました。その後内覧させてもらったときには“ここにキッチンを入れて、ここに個室を入れて”とどこに何を入れたいかのイメージができました」。2016年8月から改装工事を開始。約半年の工事を終え、2017年1月に「なり-nuttari NARI-」がオープンしました。
オープンしてから1年が過ぎ、日々の仕事もようやく落ち着いてきたといいます。「1年目は何でも新しいことの連続。スタッフと一緒に試行錯誤しながら進めてきました」。オーナーだからこそ、良くも悪くも自分の行動がそのまま返ってくることもあります。「決められたルールがないからこそ、全て自分で考えてルールをつくっていかなければいけない立場です。責任を感じると共にやりがいだとも思います」。
「新潟に来たことがない人が来るきっかけになる場所を」と思い、立ち上げた「なり-nuttari NARI-」。沼垂の人には、「なり」のおかげで人の流れが変わったと言われるそう。「県外の人や外国人の観光客が増えたらしいです。“ここら辺の人じゃなさそう”と思って話を聞くと、”「なり」に泊まっています”という人がいるみたいですね」。立ち上げ当初に描いていた夢が少しずつ現実となっています。
次なる夢は、ずっと続く宿。「なり」からすぐ近くにある「大佐渡 たむら」にはお店を続けていく心構えを教えてもらっているといいます。「大佐渡たむらさんは50年以上続いているお店。行く度に、続けていくことの凄さを感じます。実は“なり-nuttari NARI-”の名前にはゲストハウスという文字を入れていないんです。それは今後ゲストハウスという名前がなくなっても宿業として適応していけるように。まずは宿を続けていけるように毎日満室を目指して、様々な仕掛けをしていきたいと思っています」。
ずっと出たかった新潟で、今はゲストハウス開業という夢を叶えた大桃さん。これからはずっと続く宿を目指して、一歩ずつ進んでいきます。
このページをSNSで共有する