2018.03.12 掲載
Ryokan浦島 フレンチレストラン「ラ・プラージュ」シェフ
須藤 良隆さん
佐渡市
佐渡の恵みを味わえる料理と、スタイリッシュでモダンな内装の「Ryokan 浦島」。
その浦島内フレンチレストラン「ラ・プラージュ」でシェフとして活躍する、佐渡市出身の須藤良隆さん。高校卒業後は大阪の専門学校に進学し、その後本場フランスのフレンチレストランで修行。帰国後は、浦島の新しい事業分野であるレストランを継ぐため、佐渡市へとUターンしてきました。
本場フランスで修行を積んだ後、なぜUターンを選択したのか?佐渡へ戻り、これから何に力を入れていくのか?
須藤さんの半生と思い描く未来についてお伺いしました。
須藤さんは1991年、佐渡市窪田にて「Ryokan 浦島」を経営する有限会社浦島現社長の息子として生まれました。小さな頃から皿洗いや魚の水洗い、盛り付けなど調理場での仕事を手伝うことが多かったそう。料理に生きる親の背中を見て育ちました。「父は浦島で和食を中心にお客様に食事を提供していました。小さな頃から手伝う中で料理人としての父の姿を見ていたこと、生まれ育った佐渡が好きだったこともあり、跡を継ぐことは早い段階から決めていました」。
高校を卒業すると大阪にある調理の専門学校へと進学します。和食・洋食・中華を満遍なく勉強。一方、修行場所として選んだのは、フレンチレストランでした。「当時佐渡にはフレンチレストランがなかったこともあり、佐渡の食材を活かしたフレンチを提供することで旅館に来るお客様への満足度を高めたいと、フレンチの世界を志すようになりました」。専門学校の授業が終わるとすぐにレストランへ。休みの日も丸一日レストランで修行する生活で、遊ぶ暇もなく、学校とレストランの往復生活を送ります。
学校とフレンチレストランで料理について学び、実践する中、次第に芽生えてきたのは、「本物を見てみたい」という本場への憧れでした。「先輩や先生の話を聞く中で、本場フランスに行きたいと思うようになりました」。
専門学校卒業後、渡仏。半年間学校で学んだ後、ミシュランの三ツ星を世界で最も長く獲得しているレストラン「ポール・ボキューズ」で働きはじめました。当時を振り返り、須藤さんは「本場はやはり迫力が違った」と語ります。「考え方や文化が違うので、とても勉強になりました。盛り付けや料理の組み合わせ方が日本とは違います。発想から違うんだなと思いました。ただ厨房の雰囲気は正直な話、怖かったです。怒られてもフランス語なので何を言っているかわからないこともありました。
働き方も日本とは違いましたね。フランスでは働く時間がしっかりと決まっていて、準備や勉強のために朝早く来たら、怒られることも。全てが違うんだなと思いました」。フランス語もままならない中、世界一のレストランで揉まれ、経験を重ねました。
2013年、フランス留学から帰国後すぐ、須藤さんは浦島に新設されたレストラン「ラ・プラージュ」の厨房へと入りました。ただ、当時はもっと他の場所で勉強したいという想いを抱えたままだったそう。「東京は世界で一番食材が集まると言われている場所です。料理の世界に踏み込み、本場フランスにも行って、やっぱり世界有数の場所で料理人としての腕を試したいという気持ちが捨てきれなかったんです」。佐渡に帰ってきてからも葛藤している様子は、周りの人からも指摘されるほどだったと言います。
当初は須藤さんの上司としてシェフがいたので、教わりながらの勤務。また、毎年東京から有名なシェフを呼んでコラボイベントを開催するなど、料理について学ぶ場もしっかりとありました。その中で、佐渡の豊富な食材や豊かな自然の価値に気づいたそう。「寒ブリや米、お酒、柑橘類など佐渡には誇れる食材が多くあります。コンパクトに色々な食材が集まる島。この島で獲れる食材をどうアレンジしていくかに楽しさを見出しました」。
佐渡の食材の楽しみ方を日本や世界に発信していくことは、佐渡の料理人でなければチャレンジできないこと。「佐渡で花を咲かせたい」と言う須藤さんの料理は、地元の人にとっても驚きがあるのだとか。
「県外の人は”佐渡の食材ってこんなものもあるんだ”と驚いてくれます。東京などでフレンチを食べ慣れている方々に佐渡ならではのフレンチだと言ってもらえるのは嬉しいです。また地元・佐渡の人にも食べ慣れた食材でも“こんな食べ方があったんだ”と言われることも。フレンチという文化が根付いていない佐渡の人に佐渡の食材の新しい使い方を提案する。そうすることで、佐渡の食材の魅力を再発見できるきっかけになるのではないかなと思っています」。
佐渡産へのこだわりは食材だけではありません。料理を出す器も佐渡で作られた器を使っています。県外の方が泊まりに来たときに「佐渡でこんな器をつくっているのですね」と感動してくださることも。食材や器など、可能な限り佐渡で作られたものでお客様をおもてなししています。
佐渡に帰ってきて感じるのは、自然の豊かさだといいます。「海も山も川もあるのが佐渡です。棚田の景色や浜辺から見える夕日の沈む景色、一面に広がる星空といった、その瞬間にしか見られない景色が溢れています。こうした景色を見ることが好きです。思い返せば、小さい頃から自然の中で遊んでいました。山を登ったり、自転車で駆け巡ったり。ゲームセンターやボーリング場もありましたが、そこへ行って遊ぶよりも自然の中で遊ぶことのほうが多かったです」。
佐渡は都会ほど物が溢れているわけではないので、遊びを自分たちで作り出していかなければいけない状況だったそう。そんな環境だからこそ感受性豊かに育ったのかもと須藤さんは感じています。
生まれ育った佐渡に根をはって生きていくことを決めた須藤さん。佐渡の料理人として、更には佐渡の旅館業を担う一人として、これからは宿泊設備を備えたレストランを指す、「オーベルジュ」という文化を浦島から発信していきたいといいます。
「“浦島で食事をしたいから、佐渡に行きたい”といった人が増えることで、お世話になった人への恩返しができたらと思っています。佐渡でも少子高齢化が進み、子供達も少なくなっています。学生時代の友人も帰ってきた人は少ない。みんな職がネックになっています。
しかし今は地域おこし協力隊を含め、働き方自体が変わってきています。例えば、浦島内でも観光業を立ち上げるなど、多様な事業展開をしています。また、浦島には佐渡に移住してきた人も勤務しています」。須藤さんの幼馴染であり、浦島で営業広報を務める岩崎さんもその一人。地域おこし協力隊をきっかけに佐渡にUターンし、現在は佐渡を盛り上げようと活動しています。
「今は暮らし方や仕事の選択の仕方も変わってきています。自分たち自身が体現しながら、若い世代同士で協力し合い、また地域と寄り添いながら盛り上げていくことで、島を好きになってくれる人が多くなればいいなと思っています」。
佐渡を愛し、盛り上げていきたいという新たな夢を持つ二人。先頭に立って動きながら、どんな未来をつくっていくのか。同級生コンビの活躍に注目です。
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