2018.02.02 掲載
十日町市 国際交流推進員
水落由紀さん
十日町市
1980年、十日町市生まれ。高校まで十日町市で過ごし、東京の短期大学・英文学科へ進学。卒業後は英語をより学ぶため留学を目指し、資金を貯めるため十日町市の建設会社にて勤務。2005年に念願だったイギリス留学に旅立つ。
帰国後は、東京のウェブ制作会社へ入社するが、家庭の事情で再度十日町市へ。以前からボランティアとして参加していた大地の芸術祭のつながりでアートディレクション会社に勤務。現在は、十日町市の国際交流推進員として、姉妹都市交流の調整などを行っている。
高校まで実家のある十日町市で過ごしました。高校時代に英語が好きだったことや外の世界に出て視野を広げたいという想いもあり、進学先は東京の短大で英文学科を選びました。昔から好奇心旺盛で何事にも挑戦したい気持ちが強く、東京や海外といった知らない土地への興味は強い方だったと思います。とにかく広い世界に出たくて「十日町には、戻ってこないぞ」という気持ちで飛び出しました。
短大に入学すると、担任の先生がイギリス人だったこともあり、イギリスの文化や生活に興味を持つようになりました。英語をさらに深く学んでいく中で、異なる文化や人との繋がりを感じてみたいという気持ちが生まれ、在学中に一ヶ月間の短期留学も体験。益々「留学したい」との想いが強くなっていきました。
ただ、短大卒業後にすぐ留学するにはお金が充分ではなかったため、まずは資金を貯めようと就職することに。東京での就職も考えたのですが、家賃も高く、まとまったお金を貯めるのは難しそう。であれば、実家で生活しながら仕事をしようと考えました。
2001年に、十日町市の建設会社で働きはじめました。英語とは関係ない仕事でしたが、もともと父が建設関係の仕事をしていたこともあり、物心ついた頃からインテリアや建築に興味を持っていました。総務・経理として入社したのですが、建築の仕事にも興味があることを伝えていたところ、次第に設計にも関わらせてもらえました。
4年ほど働き資金を貯め、2005年2月から1年間イギリスのロンドンに留学。学校で勉強するだけでなく、日常でも英語を意識的に使うようにと世界各国の人が集まるシェアハウスに滞在。留学中は日本人とも英語で話すことを徹底し、生きた会話を楽しみながら学ぶことができました。また、ロンドンはアートが身近なものとして存在していて、シェアメイトにも現代アートやデザイン・ファッションを専門とした美術系の学校に通っている人が多くいました。
そんな環境で生活している内に、アートに興味を持つようになったのは自然な流れした。ロンドンで大きな影響を受け、帰国後には地元で行われている「大地の芸術祭」のボランティアに参加するようになりました。
2006年2月、日本に帰国。何をするかは決まっていなかったのですが、「やりたい仕事は新潟にはない」と思い込んでいて、早々に東京に引っ越して就職活動をはじめました。英語力を生かす仕事だけでなく、デザインや独学で勉強していたカメラの技術が生かせる仕事にも興味があったので幅広く就職先を探し、Webデザイン会社でフォトグラファーをすることになりました。
しかし1年後、家庭の事情で十日町市に帰ることに。ただ、帰るにしても「果たしてやりたい仕事があるのか」が気がかりでした。そんなとき、大地の芸術祭のディレクションをしている会社のことを知りました。イギリス留学の後、大地の芸術祭のボランティアでオーストラリア人のアーティストの通訳や作品制作の手伝いに参加していたのですが、アートとの関わりはもちろん、地元の人との距離感も近くてとても面白く、やりがいも感じました。また、地域を元気にしたい!という思いにも共感し、「アートを通して地域活性化をするお手伝いがしたい!」と、そのアートディレクション会社に問い合わせたところ、現地採用第一号として働けることとなりました。
2007年にUターンすると、アート制作における各種調整はもちろん、主にミュージアムショップなどの物販に関する運営・企画全般を担当する総括責任者として業務を行い、地方の名産品をクリエイターが再デザインし、新たなマーケットに向けた商品を開発する「Roooots 名産品リデザインプロジェクト」にも関わりました。また、イベント写真の撮影や、英語を使っての海外からのお客様対応、展覧会の企画やショップ内の改装なども行い、英語、空間設計、カメラなど、ありがたいことに今までやってきたことが全て繋がるような仕事をすることができました。
十日町市に帰ってきた大きな理由は家族のことでした。やっぱり近くで一緒に生活すると安心できます。建築やインテリアに興味をもったのも、カメラを始めたのも父の影響でした。最近は登山に行くことが多いのですが、実はこれも父の影響です。弟と一緒に父の還暦祝として家族で山に行ったことをきっかけに、道具を揃え山に行くようになりました。自然の中を歩くとリフレッシュできて頭の中がクリアになり、身体の中からリセットされるような感覚になります。20年続けているスノーボードも冬のライフワークの一つで、バックカントリーで林の中をすり抜ける瞬間は何とも言えない爽快感があり、友人たちと自然を満喫しています。生活の不便さもあまり感じません。
今はインターネットで様々なものが手に入る時代ですし、東京も近く日帰りで行けますので、とても快適です。「地方では何も出来ない」ではなく、「地方だからこそ大きな可能性が拡がっている」と実感しますし、特に新潟は魅力的な場所、こと、ものなどが溢れているところだと思います。
大地の芸術祭が地域に与えた変化も大きかったように思います。田舎は閉鎖的なんて言われますが、十日町は2000年から芸術祭を続けてきたためか、外から来る人を受け入れる土壌があります。今では地元のおじいちゃんおばあちゃんが英語はしゃべれないのに外国人に積極的に話しかけたりして交流している風景も見ることができ、「ここは、ただの田舎じゃないなぁ」と感じます。また、芸術祭の運営を通じて、地元の人のお宅にお邪魔させてもらいお茶を飲みながら、貴重な地域の話や歴史を教えてもらうこともありました。世代を超えたつながりが生まれることも十日町市の良さですね。
就職をメインに考えたとき、やってみたい仕事が新潟にはないと思っていました。けれど、2011年からは行政の立場からも関わりたいと思い、十日町市の臨時職員として大地の芸術祭企画係で主に広報PR関係を。2017年4月からは、十日町市の企画政策課で国際交流推進員として、姉妹都市であるイタリア・コモ市との調整役を担っています。
地元で今まで培ってきたスキルや経験をこれほどまでに活かす仕事ができるとは思っていませんでした。今、「東京でこんなに良い条件で良い仕事があるよ」と言われても飛びつきはしないと思います。やはり、自分のベースは生まれ育ったこの新潟の土地や風土であり、また感謝の気持ちもあるので、何か還元できるような形で自分のやりたいことを叶えていけたら嬉しいです。
2度の東京、海外生活を経たからこそ、新潟の素晴らしさを何度も再発見することができました。東京やロンドンは刺激に溢れていて、成長できた部分が大きかったです。しかし働くとなると、息苦しくなる部分もありました。また、外から生まれ育った街を見て「こんなに誇れることがたくさんあるのに!」と思うようになり、沢山の気付きがありました。
実は一つ将来の夢があって。それは、十日町市の着物を着て、ロンドンの街中を歩くことなんです。留学したときに様々な国の人と話す機会が多かったのですが、他国の人は皆、祖国に誇りを持っているんですよね。しかし私は日本や地元について聞かれても当たり障りのないことしか答えることができなくて。この経験をしたからこそ、生まれ住んだ場所に自信と誇りを持ってこれからも生きていきたいと考えています。
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