2023.03.10 掲載
LA CUCINA LIBERA ー自由なキッチンー オーナーシェフ
古関 悠さん
新潟市
佐渡生まれ新潟市育ち。大学時代は関東で野球に打ち込み、卒業後はUターンしてラジオ局に就職。26歳で食の世界に飛び込み、東京の名店での修業を経てイタリアへ。トスカーナ地方で料理学校&修行の1年間を過ごし、2017年新潟市にレストランを開店。妻と子の3人家族。
【Q.レストランのオープンはいつでしたか?】
2017年12月です。これまでお世話になった人たちが立ち寄りやすいように、JR新潟駅南口という立地を選びました。鳥屋野中学の出身なのでこの辺りは馴染みもありました。実際に中学時代の友人たちが「近くて便利」とよく来てくれます。狙い通りです(笑)。
【Q.イタリア料理ではなくトスカーナ料理のレストランなのですね。】
イタリアにはイタリア料理というジャンルはないんです。それぞれの地域で地元の素材を活かした料理が作られ、食べる方も自分の街にプライドを持っているので「その土地に根差した料理」が地域ごとに確立しています。
トスカーナはイタリアの中部にあり、州都はフィレンツェ。ここはルネッサンスの中心地で華やかなのですが、ちょっと郊外に出ると一気に田舎の雰囲気が漂うのどかな地域です。トスカーナ料理は貧乏人の料理なんて言われるほど、素材を余すことなく使った気取らない料理が特徴です。代表的なのは牛の内臓をトマトソースで煮込んだトリッパ、野菜とさまざまな種類の豆のスープなどを当店で提供しています。
【Q.いつからシェフを目指していたのですか?】
実はけっこう遅いんです。関東の大学に進学し、経済学を学びましたが、この頃までは野球一筋。野球をやめる決断をして新潟に戻り、興味のあったマスコミの仕事に就きました。ラジオ局で仕事は楽しかったのですが、取材などで職人やアーティストの方にお会いする中で、自分でも何か手に職をつけて、その道を極めてみたいと考えていました。そういうときに「食べることが好き」「一生続けられる」「独立できる」のすべてが叶う料理人っていいなと思うようになったんです。日頃から相談に乗ってくれていた先輩が新宿の有名レストランを紹介してくれ、26歳で料理人人生を始めました。完全にゼロからのスタートです。この決断に一番驚いたのは両親でしょうね。それでも「やってみたいことをやるのが一番だ」と応援してくれ、送り出してくれました。
新宿の店で1年、新潟の店で3年、その後1年間ビザの申請をしながら軽井沢、越後湯沢、小豆島、佐渡など全国を回って経験を積み、本場の料理を身に付けようとイタリアへ。料理学校で2ヶ月学び、その後はインターンとしてトスカーナのレストランで修業しました。最初は他の地方でも学ぶ予定でしたが、トスカーナ料理が想像していたよりも奥深く魅力的で、気がつくとトスカーナから動けなくなっていました。海も島も山もあり、食材は豊かで料理法は多彩。この辺りは新潟に似ているなと感じていました。いつかは新潟に帰って店を持とうと思っていたので、共通項があるトスカーナで学べることは多いと考えたのも理由の一つです。
【Q.帰国してからの経緯を教えてください。】
帰国して3ヶ月でこの店をオープンさせました。それは自分の力というより、周囲の協力のおかげです。自分としては、もう少し修行をしてから店を持とうと思っていたのですが、料理人の先輩方は「イタリアでの経験が新鮮なうちに店を持つべきだ」と助言してくれ、資金面では高校の野球部時代の先輩が金融マンの立場から親身に支えてくれ、とんとん拍子に話が進みました。新潟県のUターン補助、 NICOのUIターン創業応援で資金補助をいただいたり、新潟市の創業サポートで創業計画について相談に乗っていただいたり、様々な補助制度も助けになりました。こういうことを教えてくれたのも、空き店舗だったこの店の賃貸を掛け合ったくれたのも先輩です。新潟でなかったら、このスピードで店を持てていなかったと思います。
【Q.お店のモットーを教えてください。】
できるだけ新潟の食材を使って、日本に寄せない本場のトスカーナ料理を作ることです。言うまでもなく、新潟は魚介も野菜も肉も良い素材が揃っていて、水もいい。また、新潟にはチャレンジ精神の旺盛な人も多いから、全国的に珍しい西洋野菜やハーブも県内産で揃えられます。素材の特徴や季節感を活かして、その日その時に最高においしいものをお出ししています。
【Q.今後の抱負を教えてください。】
店は6年目を迎えることができました。この間にはコロナ禍があり、本当に厳しい状況を経験しました。閉めてしまう店もあるなかで持ちこたえられたのは、知人や野球部の先輩、母校の先生方が来てくれたり、テイクアウトの料理を利用してくれたり、支え続けてくれたからです。本当に助かりました。
先輩から「みんなで集まる場なんだから、なくすなよ」と言われたら、「はい」か「YES」しかない。体育会出身ですから、先輩の言葉は絶対なんです(笑)。これまでの感謝を返せるように、この先も店を続けていかなくてはと、強く思っています。
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