2022.02.28 掲載
㈱MIMIGURI デザイナー
明間隆さん
新潟市秋葉区
\明間さんってこんな人/
◎出身など:新潟県秋葉区出身、在住
◎移住時期:2011年4月
◎経歴:高校までを新潟市秋葉区で過ごす→長岡造形大学へ進学、グラフィックデザインを学ぶ→東京のデザイン制作会社へ就職→3年後に新潟へUターン、その後デザインの仕事を中心に3度の転職→現在は家族3人で地元の新潟市秋葉区に住み、東京のデザイン会社に所属しながらフルリモート勤務中
◎暮らし:妻、長女と3人暮らし
◎にいがた暮らしのおすすめのポイント:公園が多く、子どもが遊ぶ場所に困らないところ!
小学生のとき、ジュニア展覧会で賞をとったことをきっかけに絵に興味を持ち、高校生のときには美術部に入っていたという明間さん。絵と向き合ううちにデザインへと興味が広がり、長岡造形大学に進学しました。
「美術ではなく、デザインの大学という点が決め手でした。進学した当時は、いろいろな視点でデザインを学ぼう!という思いが強かったですね」。
大学でグラフィックデザインを学んだ明間さんは、卒業後、東京のデザイン制作会社にデザイナーとして就職。
「当時は紙ベースの広告制作がメインでした。しかし、仕事をしていく中で、これからはウェブが中心の世界に変わっていくことを実感し、電子ベースの広告制作にも挑戦してみたいと思いました。大学時代から付き合っていた妻とは、『仕事の経験を積んだ区切りで、新潟に帰って暮らしたい』と決めていたこともあり、転職を決意しました」。
東京の会社で3年間勤め、スキルを磨いた後に、2011年に新潟市にあるウェブ開発会社に転職し、故郷である新潟市秋葉区へUターンしました。
「Uターンしてきた2011年は、東日本大震災があった年だったので、まずは新潟に戻ることで精一杯。Uターン支援制度などを調べる余裕はありませんでした」。
ウェブ開発会社でさらにスキルを磨いた明間さんは、3年後に地元に密着したデザイン事務所へ転職。そこでは、お客さまとの距離感が近く、コミュニケーション力が問われる現場を経験しました。その後再び転職し、東京に本社を持つデザイン会社の新潟のオフィスに勤め始めました。
デザイナーとしてさらにスキルアップするため、3回の転職をした明間さん。当時を振り返りこう語ります。
「最初の転職先のウェブ開発会社では、ウェブの基本とチームで仕事をする楽しさを学びました。次のデザイン事務所では、お客さまに寄り添いながらともにデザインを作り上げる面白さを知り、それと同時に少人数でwebの仕事をこなすことの大変さも感じていました。そしてもう一度チームで仕事をしたいと考え、転職。3回目の転職先は東京が本社ということもあり、首都圏のプロジェクトも経験しました。これまでとは違うスキルや視点が必要となり、非常に多くの刺激をもらいました」。
様々な会社で異なる仕事環境を経験しながらデザイナーとしてスキルを磨いた明間さんは、4回目の転職をし、現在に至ります。
「デザイナーとして勤務しているうちに、フルリモートでの仕事に魅力を感じるようになりました。新潟にいながら東京の仕事ができること、デザインという仕事の領域をさらに広げられること、この2つの理由から今の会社に転職を決めました」。
明間さんは新潟にUターンしてきてから一度も秋葉区を離れたことがないそうです。
「生まれ育った場所ですから、やはり住みやすいですし、両親や兄弟も住んでいるので、安心感があります。また、子育てのことを考えても、結婚前から妻と、東京では想像しにくいねと話していました。幼いうちから電車で移動し、高い柵で覆われた学校に通うのは、そういうものがない中で育った自分たちとはあまりにも違う環境で不安を覚えました。だから、『子育てをするなら新潟がいい』と」。
昨年春に、3歳になるお子さんを連れて、秋葉区にある近所の桜並木を歩いたことがうれしかった、と明間さんは話します。お気に入りは、自宅近くにある新潟県立植物園。自然が多く、景色を楽しみながら散歩できることや、いつでもきれいに整備されていて居心地が良いことから、よく行っているという明間さん。家族で行くのはもちろんですが、朝に奥様と二人で散歩することも多いそうです。
「新潟市内には子ども向けの遊具などが設置してある公園が随所にあるのでよく利用しています。県内にはキャンプ場も数多くあるので、娘が大きくなったら一緒にキャンプをしてみたいと思っています。家族と一緒に、新潟の美しい景色を楽しませてもらっています」。
そんな明間さんですが、転職後、一つ悩みができたそうです。
「東京の会社に所属することで、新潟の企業との関わりが少なくなりました。転職前から分かっていたことだったのですが、いざリモートワークという環境に身をおいたら、『地元に住んでいながらも、地元に貢献できていない』という状態に寂しさを感じています。仕事という面で接点はありませんが、その分、プライベートの面で地元新潟との接点を持ちたいと考えています」。
『新潟をよくしたい!』という意識は、東京で働いていた時期にはなかったと話します。しかし、仕事を通して、さまざまな角度から地元を見るうちに、いつの間にか新潟への愛着が芽生えている自分に気がついたそうです。
「忙しい生活を送っていますが、遅くとも娘が小学生になるころには、仕事面でも新潟のためにできることを見つけたいですね」。
基本は在宅勤務をしている明間さんですが、現在は近所にあるカフェ兼家具工房の2階を借りて、そこで仕事をすることもあるそうです。
「妻も私もフルリモートで仕事をしているので、1日中家にいることが多いです。しかし、毎日そういう生活を続けているとストレスが溜まってしまうので、気分転換によく場所を借りています」。
仕事を通じてそのカフェのオーナーと親交が深まったといいます。自宅とは別のワーキングスペースを探していたところ、2階に机一つ分のちょうどいいスペースがあると聞き、ぜひ貸してほしいと無理を承知で申し出たそうです。
「オーナーからは『面白いからいいよ』と笑いながら言ってもらいました。こういう風に他人の力になれる人がいる地元新潟の温かさを感じるとともに、『自分も新潟に貢献していきたい』という気持ちがより強くなりました」。
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