2019.09.10 掲載
山の駅 胎内高原ビール園
住山 祐次郎さん
胎内市
\インタビューのポイント/
●東京である必要はない
新潟で自分のやりたいビール造りに奮闘!
●強い決意と柔軟な考え方
すぐに開業するのではなく、一度会社員として働くことを選択
●住んでみてこそ分かることがある
未知の土地で生活してみることが次へのステップになる
<プロフィール>
1986年生まれ。東京都世田谷区出身。川崎市で育ち、大学卒業後に都内のIT企業に就職。4年ほど働いた後に退職し、元々好きだったクラフトビール造りをしたいと都内の小さなブルワリーに就職しビール造りの基本を学んだ。2016年に新潟出身の恋人(現在の妻)のUターンをきっかけに、自身も新潟市に移住。
クラフトビール醸造所の開業準備を進める中で、たまたま胎内高原ビール園からの求人を見つけて就職。
現在は醸造部係長として、飲みやすさを追求したクラフトビール造りを行っている。
住山さんは東京都世田谷区で生まれ、大学卒業までを川崎市や都内で過ごしました。大学卒業後は都内のIT企業に就職し、システムエンジニアのサポート業務を担当。「自分がやりたいことよりも、IT分野の重要性や今後の成長という点を優先して就職活動をしたので、入社して頑張って働いたのですが、その仕事自体を好きになるまでには至らず、4年ほど経ったときに退職をすることにしました」。
一方で、当時から音楽を聴くのが好きで特にアナログレコ―ドを集めるのが住山さんの趣味でした。「通っていたレコード店の中に、バーが併設されていてクラフトビールが飲めるお店があったんです。そこでクラフトビールっておいしいなと思ったのがビールに興味を持ったきっかけです」。
まさか自分がビールを造ることになるとは思っていなかったという住山さん。しかし、IT企業を辞めて一度立ち止まった時、自分の好きなことをとことんやってみようと思ったと言います。「どんな仕事に就いたって、その仕事ならではの辛さや大変さがある。それなら大好きなクラフトビールに関わりたいと思いました。ビールを提供するお店、販売する仕事などいろんな形がありますが、どうせならビールを造る仕事がしたいなと」。
ちょうどその頃、都内ではビールを造るブルワリーとそれを提供するお店の機能を併せ持った“ブルーパブ”と呼ばれるお店が出始めていて、住山さんはその中の一軒で働くことになりました。「ひたすらビール造りに明け暮れ、ビールを提供するお店の店長も経験しました。そこでの仕事は心の底から楽しかったです。造りたてのビールをその場でお客さんに飲んでもらうので、“うまい!”という評価も、“ダメだ”という厳しい意見も直接聞くことができ、やりがいを感じていました」。
26歳からビール造りの世界に飛び込み、3年の月日が流れました。住山さんが働いていたお店では、おおよそ3年ほど働いてノウハウをマスターしたら、ほとんどの人が独立して開業するのが主流。住山さん自身もそんな夢を持ち、その時期を考えていました。ところが、29歳になった時、住山さんは東京から新潟に移住することになります。
「自分の中では都内から出るという考えはまったくありませんでした。事実、東京での生活が好きだったし、東京には何でもある。それが当たり前の中で育ってきましたから。そんな自分の考えを変えてくれたのは、現在の妻。24歳の頃に出会いお付き合いをしていた新潟市出身の彼女でした。ある時、彼女が新潟に戻って暮らしたいと言ったんです。最初にそう言われた時は正直どうしたらいいのか分からなくなってしまいました。でも彼女とは将来結婚したいと思っていたし、そのことをきっかけに、“じゃあ、なぜ自分は東京じゃなきゃダメなのか? 東京である必要性は?”と冷静に考えるようになれたのです。そうすると、何も東京でなくたって、自分のやりたいビール造りはできる、と気づくことができた。そこで、故郷に帰りたいという彼女の気持ちを受け入れ、僕の新しいチャレンジの場所として、新潟で暮らすことを決めたのです」。
2016年の5月に都内のブルーパブを退職。そして暑さの厳しい8月に、彼女との結婚、自身の店の開業という2つの大きな目標を胸に新潟行きの新幹線に乗った住山さん。「新潟で暮らし始めてすぐに、お店をやる場所を探したり、飲食店を回って新潟の業界の状況を聞いたりして開業の準備を始めました。でも、見知らぬ土地で、店舗用の空き物件探しもなかなかうまくいかなくて…。そんな僕を見て、妻の父が“まったく知らない土地でいきなり事業を興すのではなく、しばらく住んでみて新潟が肌に合うか合わないかを確かめてからでもいいんじゃないか”と言ってくれたのです」。その言葉に住山さんは冷静さを取り戻したと言います。すぐに開業するのではなく、ひとまず新潟という場所で会社員として働いてみようと、柔軟に気持ちを切り替えたのです。「求人サイトで新潟のビールに関係する仕事を検索して、最初に出たのが胎内高原ビール園だったんです(笑)。すぐに働くことが決まり、気づいたら胎内市にいました。妻からは胎内市がどこか分かっている?と言われましたが、今となれば新潟の市町村の位置関係をまるで分かっていなかったことが功を奏したと思っています(笑)」。
胎内高原ビール園は飯豊連峰の伏流水と厳選素材、伝統製法にこだわり、丁寧に醸したクラフトビールを提供するメーカー。住山さんが働いていたブルーパブに比べ、大規模な製造設備があります。そういった会社でビール造りを学びたいという気持ちもあり、働くことを決めたのでした。
現在は醸造部の係長という立場で、製造工程を管理し、後輩の指導もしながら日々奮闘。「会社はアットホームな雰囲気で、やりたいことにチャレンジできる環境なのでありがたいです。自分を含めた醸造部のメンバーでアイデアを出して造った限定ビールもあるんです」。県内外のクラフトビールメーカーや、飲んでくれる人たちと会う機会を積極的に作り、ビール造りのアイデアのインプットを増やしていきたいと言います。「ビールのうまさにゴールはない。常に新しい味やおいしさ、新潟らしさを考えて、飲む人に感動を与えられるビールを造っていきたいです。」
「住んでみて実感したのですが、新潟はとても緑が豊かですよね。都内にいる時と比べて自然と外で過ごす機会が増えました。僕も妻もお酒が好きなので、休日はふたりで新潟の食とお酒を楽しんでいます」。ただ、冬の雪にはかなり苦労させられたと言います。「東京で生まれ育った自分には、雪かきという概念がないわけです。だから、最初の頃は“これは雪国に暮らす人だけに与えられた試練なの?”と思いながらやっていました(笑)。でも2度の冬を越えたので、今は体力づくりだとポジティブに考えてやれるようになりました」。
新潟への移住を考えている人に向けて、住山さんからこんなメッセージをもらいました。「僕がそうだったように、東京でなくても、自分のやりたいことができる場所はきっと見つかります。だから、まずは一度住んでみるとよいと思うんです。妻の父に言われたことのままですが、まずはその土地の空気を吸って、生活してみることが次への大きなステップになると思います」。
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