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新潟で夢にチャレンジ 第120回

選手としても一人の人間としても、新潟の温かさに助けられた
- 若手選手の育成に尽力することが恩返し -

2019.03.15 掲載

アルビレックス新潟U-15監督

内田 潤(うちだ じゅん)さん

新潟市

 1977年生まれ。兵庫県尼崎市出身。桐蔭学園高校、駒澤大学を卒業後、Jリーグの名門「鹿島アントラーズ」に選手として加入。6年半を過ごし、2006年6月に事実上の戦力外通告を受けた内田さん。どんな生活を送ることになるのか不安な日々を過ごす中、アルビレックス新潟からのオファーを受け、即、新潟行きを決断。

 内田さんの新潟での人気は高く、試合ではゲームキャプテンを務め、2013年から2014年にかけて行われた新潟J1昇格10周年記念のサポーター投票では「夢のイレブン」にも選出されています。

 2013年シーズン終了後に現役を引退し、同時にアカデミー世代のコーチに就任。現在はアルビレックス新潟U-15の監督として、中学生年代の選手の育成に力を注いでいる内田さんのこれまでの歩みと、これからの目標をお伺いしました。

新潟への移籍を即決断

 兵庫県尼崎市で生まれ、小学生のときに地元のスポーツ少年団でサッカー人生をスタートさせた内田さん。桐蔭学園高校、駒澤大学を経て、2000年にJリーグの名門クラブ、鹿島アントラーズへ加入。2000年、2001年とJ1リーグ2連覇を経験するも、出場機会は少なく、2006年6月、シーズン途中に事実上の戦力外通告を受けます。

 「体力が落ちないよう、フィジカルトレーニングをしていましたが、“このままどこのチームからもオファーがなかったらどうしよう”と、いろいろ考えて焦り、現役引退も頭をよぎっていました」と当時の心境を振り返ります。

 戦力外通告を受けて1週間ほど経ったころ、アルビレックス新潟からオファーが届き、すぐに新潟への移籍を決断。「ぜひ来てほしい、とお話をいただいて、次の日に新潟市内で家を探し、荷物をまとめ引越し作業を済ませました。オファーをいただいてから3日後には新潟での生活をスタートさせていました」。

 かくして、新潟での生活をスタートした内田さん。2006年8月26日に行なわれたJ1リーグ第20節、大分トリニータ戦に途中出場し、その後、チームのレギュラー選手として活躍していくことになります。

新潟での生活を家族も気に入ってくれた

 「新潟については、“食べ物がおいしそうだな”くらいのイメージしかなかったのですが、その“食”に関しては本当に感動しましたね。住む場所に関しては、以前いた鹿島(茨城県)より、新潟の方が都会だなと思いました」と内田さん。

 環境が変わることに不安はなかったようですが、当時、子どもがまだ1歳だったため、ご家族のことは少しだけ心配していたようです。「妻は慣れ親しんだ場所を離れることに不安はあったと思うんです。サッカーにもあまり興味がなくて“アルビって何?”っていう認識でしたから、新潟のことはさっぱりわからなかったと思います。関越道を通って新潟県に入ったときは、自然しかないなと思っていたのですが(笑)、1時間弱車を走らせて到着した新潟市内はかなり都会的な印象でした。自然があったり街があったり、バランスがよくて“いいところだね”と妻も気に入ってくれたので良かったです」。

人の温かさに感謝

 アルビレックス新潟の選手として、キャプテンマークを巻いていたこともある内田さん。その責任感あふれるプレーと気持ちの熱さからサポーターにも愛され、2013年から2014年にかけて行われた新潟J1昇格10周年記念のサポーター投票では「夢のイレブン」にも選出されています。

 試合でも、プライベートでも、新潟の人の温かさを感じる瞬間があったそう。「選手時代、試合に負けたときにサポーターの方々に挨拶に行くと、“次の試合は頑張れ”と声をかけていただくことが多かったです。きっと、胸の内ではイライラしているだろうに、それをグッと堪えて応援してくれたことに、すごく助けられました」。

 自身が試合に出始めたことで、ご近所さんや同じ町内会に住む人たちは徐々に内田さんのことを認識し始めます。「僕がサッカー選手だと気づいてくれて、当時住んでいた町内会の方々が横断幕を作ってくれたり、食事会を催してくれました。そのときの輪の広がり方というか、いろんな方々と繋がっていく感じは、すごく感動しましたね。関東ではそういう場面はなかったですし、そういった心遣いや気配りって、なかなかできることじゃないと思うんです」。

 内田さんがシーズン開幕前にキャンプ地へ行き、家を空けることが長く続くと、近隣の住民の方が、内田さんのご家族を気にかけてくれることもあるとか。「妻は、近くに住んでいる人の家でお茶をしたり、子どもの幼稚園でママ友の方々にも仲良くしてもらってますね。今後、僕が仮にクラブから必要とされなくなって別のところに行くことになっても、きっと妻も子どもも、ついてこないと思います(笑)。そのくらい、新潟での生活や人になじんでいます。僕も妻も、新潟に拾っていただいたと思っているので、これからはいろいろな形で新潟に恩返しをしていきたいです」。

 内田さんは2013年12月30日をもって現役を引退し、アカデミー世代のコーチに就任。「7年半過ごした新潟で選手を引退し、“指導者として力を貸してほしい“と、声をかけていただきました。仮に“新潟に住むのは大変だなあ…”と思っていたら、その時にどう決断したか分からないですが、僕も家族も、新潟が大好きなので、その後も新潟にいられるのはすごくうれしかったです。何より、この街で暮らし続けたいと思えたのは、ほかならぬ、周りで公私ともにサポートしてくれる方々の温かさだと思っています」。

都市と自然のバランスのよい街が好きに

 アルビレックス新潟に移籍してきた選手は、選手同士はもちろん、その家族同士も仲が良く、新潟の観光地や飲食店などの情報交換をしているそうです。「お店とか、環境とか、それらを含めて新潟の街になじむことができずに新潟を去っていく選手ってあまり記憶にないですね。それくらいみんな新潟の街が好きになっています」。

 移籍という形ですが、新潟にやってきて感じる良さを内田さんはこう話します。「街の充実度に関しては東京とか、都会から来た人も困らないと思います。それに、ちょっと車を走らせれば海や川もあるし、山もある。そういった、街と自然の距離感とか、すごくぎゅっと密にまとまっていてバランスがいい土地ですね。あとは食の質の高さ。“米なんて全国どこも一緒だろ”なんて思っていたのですが(笑)、段違いでお米も、他の食べ物もおいしい。それは子どもたちもわかるようで、県外にいったときに“パパ、ご飯おいしくない”って言うくらいですから。食べ物のおいしさは大々的に伝えたいですね」。

若い世代をしっかりと育てていく

 現役を引退後、U-15世代やトップチームのコーチを経て、現在はU-15世代の監督として、思春期真っ盛りの中学生と日々接している内田さん。今後は、指導者としても一人の大人としても、この時期の子どもたちとのコミュニケーションの取り方を学んでいきたいとのこと。

 「15歳以下の彼らは、選手としてだけでなく、一人の人間としても大人への過渡期という大事な時期を迎えています。プロ選手を育てるとか、強いチームを作るとか、それよりももっと重要な、人間として成長できる環境を整えていきたいです。その環境を発展させていって、サッカー選手としても人間としても“アルビレックスに任せれば大丈夫だ”と認識してもらえるクラブにしていきたいです」。

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