2019.02.27 掲載
丸正ニットファクトリー株式会社 ニットエンジニア
茂出木 創平(もでき そうへい)さん
見附市
丸正ニットファクトリー株式会社 ニットエンジニア
安藤 香織(あんどう かおり)さん
長岡市
茂出木創平さんは1991年生まれ、埼玉県所沢市出身。大学卒業後に都内で就職したものの、元々やりたかったファッションの仕事に就くため、都内の服飾専門学校に入学。在学中にニットを専攻していた中で見附市の丸正ニットファクトリーを知り、インターンシップを経て卒業後に入社。2018年4月から見附市にIターンした。
安藤香織さんは1991年生まれ、長岡市出身。高校までを地元で過ごし、卒業後は都内の服飾系大学に進学。大学卒業後は都内の百貨店にてアパレル販売の仕事に就いた。その後、次は洋服を作る側の仕事がしたいと思い、転職活動を開始。2018年1月、地元・長岡市にUターンし、丸正ニットファクトリーへ入社した。
ーーー茂出木さんはIターン、安藤さんはUターンで、ともに見附市の丸正ニットファクトリーでお仕事をされています。入社までの経緯や新潟県で暮らすようになったきっかけを教えてください。
[茂出木さん]
僕は大学卒業後に一度別の業界に就職しました。その上で、やはり元々好きだったファッション業界で働きたいという気持ちが強くなり、服飾専門学校に入りました。洋服作りを学ぶ中で特にニットがおもしろかったですし、ニット作りの現場に行きたいと思うようになりました。そこで就職先を探していた時に知ったのが、新潟県の見附ニットや五泉ニットだったのです。
専門学校は3年間だったのですが、3年生の時、見附市役所と見附ニット工業協同組合が主催していたインターンシップに参加し、当社も含めて1週間ほど見附市のニット会社で働く経験ができました。中でも丸正ニットファクトリーには最新のニットマシーンが揃っていて、ここならスキルアップできそうだと思い採用試験を受けたところ、内定をいただくことができました。
[安藤さん]
私は服飾系大学を卒業した後、都内の大型百貨店の中にあるアパレルショップで販売の仕事をしていました。数年間働く中で、次第に洋服を売る側から作る側になりたいと思うようになりました。
そこで転職活動を始め、表参道・新潟館ネスパスにある「にいがた移住支援デスク・ココスムにいがた」、「にいがたUターン情報センター」を訪ねました。窓口担当の方が非常に親身になってくださり、私の希望する仕事ができる会社を探してくれました。
その際に提案をしてもらったのが丸正ニットファクトリーだったのです。裁断や縫製の工程がなく、ほぼ製品に近い状態の編地がニットマシーンから出てくる「ホールガーメント(無縫製)」という新しい技術で洋服作りができるところなどが私にとって魅力的でした。
加えて、私の地元・長岡市のすぐ隣にある見附市の会社でしたし、それも安心感につながりました。現在は長岡市の実家から車で通勤をしています。
ーーー見附市や長岡市での暮らしが始まって約1年が経ちましたが、都内での生活と比べて一番の違いはどのようなところですか?
[茂出木さん]
都内との一番の違いは満員電車に揺られる時間がなくなったことです。僕の持論かも知れませんが、東京にいるとほとんどの人が朝と夕方に満員電車に乗ることでイライラしてしまっているんじゃないかと。
新潟の人は通勤でのストレスがない分、日々のゆとりがあるように思いますし、みなさんすごく優しいです。新潟県に来る前から「地方の人はやさしいよ」と耳にはしていましたが「本当に?」と疑う部分もありました。ですが、見附市に来て1年が経ち今は本当だと確信しています。
[安藤さん]
私も都内での毎日の通勤に少し疲れと嫌気がさしていました。最寄り駅と自宅の間を歩くだけでも膨大な数のお店が立ち並び、意識しなくても視覚情報だけで疲れてしまっていたように思います。今は車での通勤になり、そういうストレスがなくなったのは都内の生活との大きな違いです。
ーーー仕事をしている中で、どのような面でやりがいを感じていますか?
[安藤さん]
先ほどもお話ししましたが、「ホールガーメント」というニット製造の技術で洋服を作ると、裁断や縫製の工程がなく、ほぼ製品に近い状態の編地がニットマシーンから出てきます。自分が考えて作ったデータをマシンに入力すると、すぐにそれを見ることができるのです。
一着のニットが製品になるまでを見届けられるのが何よりのやりがいであり、楽しさだと感じています。
[茂出木さん]
たまたま展示会の仕事で東京に行った時に立ち寄ったGINZA SIXのショップで、自分の会社で作られたニットが販売されていたのを見た時は、すごく嬉しかったです。また、今まで自分が好きで着ていた洋服ブランドから当社にオーダーをいただくこともあり、それもやりがいのひとつです。
ファッションシーンのトレンドは東京ですが、実際に製品を作っているのは新潟県の見附市――この場所でニット作りに携わる人間として誇らしい気持ちになりました。
また、僕たちの会社の先輩が中心になって、見附のニットを「MITSUKE KNIT」というひとつのブランドとして、これから本格的に売り出していこうという動きがあるんです。それは僕たちもワクワクすることですし、会社単位の枠を超え見附のニット関連企業が協力して発信していくことは、これからの地域産業の活性化につながると思います。
ーーー仕事以外の生活環境やプライベートで、今の暮らしはどのように感じていますか?
[安藤さん]
私は東京にいた頃と比べ、休みの日の過ごし方が大きく変わりました。会社の仲間でバーベキューやキャンプをすると気持ちがリフレッシュしますし、誘われて登山もするようになりました。アクティブな休日が過ごせているのは、Uターンして長岡で暮らしているからこそだと思います。
[茂出木さん]
僕は音楽が好きで、東京にいた頃から湯沢町で行われるフジロックに行っていました。苗場から東京に帰るには、越後湯沢駅で新幹線に乗るために長蛇の列に並ばなくてはならないんです。
でも、見附市に移住した昨年は反対方向に帰るので、長蛇の列を横目にすいすいと電車に乗ることができ、優越感がありました(笑)。
ーーー仕事や日々の暮らしで、これからどんな未来を描いていますか?
[安藤さん]
経験を重ねて、いずれは自分自身でデザインを考えたニットを作れるようになりたいと思っています。「MITSUKE KNIT」でそれを実現できたら嬉しいです。
私が新潟県に戻ってニット作りにチャレンジしてみたいと思ったように、見附市にはそういう環境が整っている企業が当社をはじめいくつもあります。洋服が好きで洋服作りをしたい若い人たちが働きやすく挑戦しやすい環境だと思います。
[茂出木さん]
私も同感です。ファクトリーブランドだからこそのモノづくりができる。通常であればファッショントレンドは東京から生まれて発信されますが、僕らのようにモノ作りの現場にいて、ニットに関しての知識と確かな技術を持っているからこそ生み出せるアイデアや製品が必ずあると思うのです。
モノづくりの現場からファッションのトレンドを生み出す――それを実現したいと思います。
また、僕は今年結婚をして、見附市で妻と暮らし始める予定です。これまで以上に仕事も頑張って、笑顔のあふれる家庭を築きたいと思っています。
ーーーこれから新潟県での暮らしを考えている人たちへのメッセージをお願いします。
[安藤さん]
8年間東京で暮らしていたため、新潟県へのUターンを検討した時も正直なところ迷いはありました。けれど、今はとてもゆとりのある暮らしが実現できているので、思い切って決断して良かったと思っています。
プライベートな面では、東京に比べて物足りなさを感じてしまうのではないかと思っていましたが、そんなことは全くありませんでした。キャンプや登山、フィッシング、野菜作りなど東京では難しいことが当たり前のように楽しめますし、遊びの幅が広がりました。それによって自分の考え方にゆとりができ、生き方が豊かになったと感じています。そんな日々を過ごしたいという方には、新潟県をおすすめしたいです。
[茂出木さん]
洋服作りの技術を学びたいなら、見附や五泉などニットの産地がたくさんある新潟県はおすすめだと思います。人の優しさが溢れていますし、人間らしい幸せに触れられる場所だと実感できるはずです。