2019.02.01 掲載
魚沼暮らしコーディネーター
島田 久美子(しまだ くみこ)さん
魚沼市
埼玉県出身の島田久美子さん。専門学校卒業後、都内や関東各地で販売や事務などの仕事を経験してきました。そんな日々の中で、ふと都会での生活に疑問を感じ、なんと魚沼市で茅葺(かやぶき)屋根修復のインターンシップをスタート。
次第に魚沼という地域に魅せられ始めた島田さんは、魚沼市の地域おこし協力隊に着任しました。そして、任期終了後の2018年から「魚沼暮らしコーディネーター」としての活動を開始。魚沼市での暮らしや、今後についてお話を伺いました。
「昔からあまり考えずに行動しちゃう性格で…」と自身の性格を話す島田さん。子どもの頃からお菓子づくりが好きだったため、高校卒業後は都内の製菓の専門学校へ進学。卒業後は、その専門学校が運営するスイーツショップで製菓販売の仕事に就きました。
その後は都内での事務職へ路線変更し、さらにお茶の販売員へ転職。神奈川、東京、茨城、千葉など関東圏を転勤・転居しながら生活していました。ある日、仕事終わりに都内で夜道を歩いていた時、ふと「なんで夜なのに、自分の影が見えるんだろう」と疑問に思ったそうです。夜なのに街がこんなに明るい、という今まで当たり前だった生活に、突然違和感を覚えた瞬間でした。そして、お茶の販売員の仕事を辞めて埼玉の実家に戻りました。「それまで人と多く関わる仕事をしてきたので、次は自然に触れる仕事を探そうと農業系の求人サイトに登録したところ、たまたま魚沼市で茅葺屋根修復のインターンシップを発見したんです。とても興味が沸いたので、とりあえず動いてみようと思い飛び付きました」。
これまでも住む場所には重きを置かずに自分のやってみたいことを大切にしてきた島田さん。自身の気持ちと偶然の出会いに引き寄せられ、31歳の秋に魚沼市での生活が始まりました。
2013年9月、魚沼市の中心街である小出から、車で約30分の場所にある山間地域・入広瀬の農家民宿に住み込み、茅葺屋根の修復インターンが始まりました。期間は1か月。「実は、農家民宿のご主人夫婦が東京出身の方だったんです。移住された方ならではの視点で、この地域のことをいろいろ教えてもらいました。仕事内容はなかなか経験できるものではありませんでしたし、興味のある内容だったので、とても充実していました」。
契約期間が終わる頃、ここでの生活が名残惜しくなり、インターンシップをさらにもう1か月延長してもらい、魚沼市に滞在しました。「自分でもちょっと意外だったのですが、ひと月で魚沼での暮らしがしっくりきたんです。中心街の小出までの距離感や入広瀬の山の感じなどが、私の地元ととても似ていました。住むほどに親近感が湧いてきて、住み心地がよかったんです」。加えて、米もおいしく、人もまじめ、と魚沼を好きになった理由はほかにもたくさんあったそうです。
すっかり魚沼市での暮らしが気に入り、今後も住み続けたいと思い始めた島田さん。「どうしたら魚沼に住み続けられるか?」を考えていた時、小出スキー場のスタッフに誘われてスキー場でのアルバイトをスタート。「こちらで暮らし始めて数か月で冬を迎えることに、周りの皆さんはとても心配してくれていました。けれど、『逆にやってやる! 私は魚沼に住むんだ』って燃えちゃって(笑)。魚沼に来る前は、冬の新潟はどの家も2階の窓から出入りしていると割と本気で思っていました(笑)。その年は思ったよりも雪は積もらなかったので安心しました。魚沼の冬は道路もきれいに除雪されていて、車の運転もなんとか大丈夫でした」。
そして知人の勧めで2014年の春、島田さんは「魚沼市地域おこし協力隊」の第一期生に就任します。地域の活性化に取り組むべく、担当地域である横根集落での生活が始まりました。横根は住民120名ほどの集落で、入広瀬駅から車で5分の場所にあります。
「協力隊に就任した直後は、集落の方に顔と名前を覚えていただくため、全戸挨拶まわりをしました。そして、一人で物事を起こすことは難しいと思ったので、仲間をつくろうと、県の事業である『大学生の力を活かした集落活性化事業』に応募。首都大学東京とマッチングすることができ、学生の皆さんや、集落の方々とともに横根の昔の風景写真を使ったデジタルアーカイブを作って集落の紹介をしました。また、事業終了後も横根のお米をブランド化して販売する取組を行いました」都内の大学生が実際に横根に足を運び、現地の人々との交流も生まれ活気づいたと言います。今でもその関係性は続いており、毎年学生が横根を訪れて田植えや稲刈り、お祭りなどに参加しています。
ほかにも、年配の方の見守りの一環で月に一度のお茶会の企画や、集落内にある越後ハーブ香園入広瀬のPR活動として、ハーブ&アロマの講座やお土産の考案などにも島田さんは積極的に取り組みました。
「地域おこし協力隊としての3年間の任期で多くの出会いがありました。地元の方以外に移住者と話す機会もあり、みんな魚沼が当たり前に好きで暮らしを楽しんでいるようでした。ただその一方で、魚沼に移り住んだ人たちが移住者ならではの小さな不安を解消しきれずにいることが気になり始めたんです」と島田さんは当時を振り返ります。
知らない土地での暮らしでは、どんなお店や施設がどこにあって、食べ物は何がおいしいのかなど、いろんなことが気になりますが、こういった情報は地方雑誌やウェブで比較的入手しやすいもの。しかし、住むということは、その地域にもともとあるルールを理解する必要があります。島田さんが気になったのは、そのひとつひとつの小さな暮らしの約束事でした。
「私も移住してきたばかりの頃、戸惑ったのが小さな暮らしのルール。冠婚葬祭のルールやゴミの捨て方など、地域によってそれぞれ異なるんだということを強く感じたんです。ほかの移住者の方と話をしても、こういった小さな悩み事が絶えないんですよね。知り合いがいないから、聞きたくても聞けないですから。地域おこし協力隊の退任後は、こういった移住者のフォローをしていきたいと思うようになりました」。
2017年に地域おこし協力隊としての任期を終えた島田さんは、魚沼市役所の非常勤職員として移住支援の活動に1年間携わりました。さまざまな移住イベントに参加し地域の紹介を行ったり、移住希望者を連れて実際に魚沼市内の案内もしました。
そして、2018年に移住支援を主とする「魚沼暮らしコーディネーター」として独立。「これまでやってきたことを継承しながら、行政ができない細かなフォローをしていきたいです。移住者同士が繋がる場を作ることや、移住希望者を対象とした魚沼市の案内を考えています」。
現在、島田さんはコーディネーターの活動と並行して、日帰り温泉施設「見晴らしの湯 こまみ」でのフロント業務も行っています。「移住と関係ないと思われるかもしれませんが、地元の方と多く触れ合える施設なので、魚沼のことをいろいろ教えていただいていますし、教えていただいたことを市外から来た方に伝えることができます。ここにきて、過去の販売の仕事で培ったコミュニケーション力がいかされているなと感じています」。
自身の今後については「移住は住んでみないと分からないことが本当に多いです。初めは戸惑うことも多く大変ですが、一人では解決できないことも誰かがいればクリアできるかもしれません。ですので、これから移住される方や移住を検討されている方には、新しい土地での出会いを大切にしてほしいです。私は、魚沼という場所でその橋渡し役として、皆さんのお役に立ちたいと思っています。加えて、魚沼の良さをもっともっと広めていきたいです」と話してくれました。
地域おこし協力隊の頃から継続して、今も横根集落で生活している島田さん。可能な限り地元のお祭りやイベントに参加し、集落の人と積極的に関わりこの土地の文化を肌で感じながら暮らしを楽しんでいます。
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