2016.04.06 掲載
三条ものづくり学校事務局長
斎藤広幸さん
31歳 新潟市在住
新潟市出身。高校卒業後、東北芸術工科大学でプロダクトデザインを学ぶ。卒業後、メーカーで設計や企画を担当。7年間新潟・東京勤務を経て退社し、その後、長野市の江戸時代から続く家具店で1年2か月勤務。契約期間満了に伴い、2015年6月新潟市にUターン。知人の勧めもあり、2015年8月より三条ものづくり学校事務局長として、新たな関わり方でものづくりに向き合っている。
生まれも育ちも新潟市。高校時代は毎日勉強と部活に勤しんでいました。
進路を考え始めた時、大学ではデザインやものを作る勉強など、本当にしたいことをしようと思い、色々悩んだ結果、山形県にある東北芸術工科大学に進学しました。
大学を決めた理由は2つあって、一つは学費が安かったこと。第三セクター運営だったので、私立芸術系大学の中ではかなり安い方だったんですよね。
二つ目は大学も学生も面白そうだったこと。色々調べていた時に、大学のホームページを見たらすごく面白そうだったんです。地方にある大学は校舎も敷地も広いから、スペースがたくさんあることも魅力的でした。
山形での大学生活はすごく充実していて、楽しかったです。田舎なので、大学の周りには遊ぶところがないんですけど、その分みんな自ら遊びをつくり出して楽しんでいました。「ない」ことは、「つくりたい欲求」を刺激してくれるみたいです。
大学卒業後の進路を考え始めた頃、就職と大学院への進学で悩み、いろいろな先輩方に相談しに行っていました。
ちょうどその頃、卒業制作展の打合せのため、毎月東京にも通っていたんですが、頻繁に行くようになってから、都会での遊びはなんだか「つくられている」感じがして。つまり、遊ぶ方法が限られていると思ったわけです。でも、山形にいる時は、遊び自体がつくれたんですよ。自分はできているものを使うより、つくる方がやっぱり好きなんだなと思ったし、身近な人と共有したいと思ったんです。
その気付きといろいろな方のアドバイスをもらった結果、地元である新潟で就職することに決め、大学4年生の夏に就活を始めました。
就職説明会は地元新潟県開催のものだけ参加し、県内に拠点のあるメーカーに応募を決めました。
ご縁あって就職が決まり、初任地は新潟、その後東京転勤3年、新潟に戻って3年、合計7年間勤めました。
メーカーに勤めていた7年間は、とても面白かったし充実していました。
大学で学んだ知識も活かせる部署でしたし、自分の考えたものが製品になって誰かの手に渡り、使ってもらえることは素直に嬉しかったですね。
新潟と東京どちらも充実した日々でしたが、新潟県内の拠点のひとつが海外に移ったことがきっかけで、「大きすぎるものづくりは正しいのか、小さい輪の中で循環するものづくりはできないものなのか」と考えるようになり、退職することにしました。
その後、1か月ほど人に会いに行く旅に出ました。知人や勧めてもらった人を訪ね歩くという感じで、今まで行く機会の少なかった西日本を中心に回りました。
関西から、本州の端っこの山口県や四国、九州と20か所くらい行ったかな。人に会うなかで、ものづくりは地域の環境や風習によってつくられていくと知り、「もの」が生まれるまでの前段階を知ることができた、とてもいい旅でしたね。
旅から戻った後、知人の紹介で長野市善光寺近くにある家具店に、勤務することにしました。ここは江戸時代から続く家具屋で、100年続くものをつくっている店なんです。契約期間の決まっている仕事だったので、少し迷いましたが、今までとは違ったものづくりを勉強する日々が自分には必要だと思い、飛び込みました。
ここでは、販売・家具メンテナンス・配達・展示会の手配から地域の行事参加などいろんな仕事をしましたね。
一見、地域の行事に参加することって仕事と関係ないと思うかもしれないですが、そんなことはない。100年もその土地に根付いている仕事ですから、やっぱりつながっているんです。
どんなに立派で丈夫な家具でも、長く使っていれば、もちろん傷もつくし壊れたりします。でも捨てたりしません。直したり、磨いたりお手入れをすることで、その家具を「育てていく」んです。共に時を重ねていくというか。そうすると傷も味になるんです。
「使い手の人生と共に、時を重ねていけるものをつくる。使い手とつくり手が顔の見える距離でつながっている。」ぐるぐる回って私の辿り着いた答えは、心の奥にあった「小さい輪の中で循環するものづくり」の思いと変わりませんでした。
自分なりの答えを持って新潟にUターンしたのは、契約が終わった2015年の6月です。知人の勧めやご縁が重なり、同年8月から三条ものづくり学校(※)の事務局長として働いています。
事務局長の仕事は多岐に渡り、施設の管理・来館者向けのイベント企画・テナント入居者同士の交流会など、今は技術者としての立ち位置ではなく、ものづくりの川があるとしたら、源流の方にいるのかなと思っています。
今後は、IID世田谷ものづくり学校(※)や外部と連携して、県外でも三条のものづくりに触れてもらい、発信できる仕組みをつくりたいですね。ぜひ、高校を卒業して、新潟を出た人たちに見てもらいたい。
実際、高校生の時は地元のことを何も知らなかったと思うんです。実は、世界に近い技術がこの新潟にあると知らせたい。出たからこそ感じることがきっとあると思いますよ。
[お知らせ]
三条ものづくり学校1周年記念感謝祭が開催されます!:2016年5月22日 (日) 10:00-16:00
貴重な逸品、廃材などに手を加え新しい価値を生み出したアップサイクル品などのマーケットや、ものづくりを体験できるワークショップなどを開催。詳しくは下記ホームページを御覧ください。
※ものづくり学校とは、世田谷・隠岐の島・三条にある閉校を利用した施設。三条ものづくり学校は、「働く・学ぶ・遊ぶ」をキーワードに、❝カッコイイものづくりの職人❞の世界観を次世代に開くため、アイディアやデザインなどを加え、子供や学生、次世代の三条市を担う若者たちに、ものづくりの魅力を体験してもらうワークショップや地域交流イベントなどを開催している。
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