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ニイガタビト

活躍フィールドは無限大 第2回
- 自然豊かな新潟の景色が作品の力になる -

2018.06.11 掲載

イラストレーター

神田亜美さん

新潟市

新潟に拠点を置きながら、県外や世界に向けて活動する女性を2回にわたって紹介しています。2回目はUターンで新潟に戻り、活動するイラストレーターの神田亜美さんです。

クライアントからの依頼を受け、書籍・雑誌・教材・ウェブなど、さまざまな媒体のイラストを手がけている神田さんは、新潟市西蒲区出身。幼いころから絵を描くのが好きで、一度は短大に進学しますが、イラスト表現の道を諦めきれず、東京のセツ・モードセミナーに通い始めます。卒業後は、東京でイラストレーターとしての活動をスタート。仕事も軌道に乗り、10年の月日を過ごした神田さんですが、2012年に決意を新たに新潟へUターン。現在は出身地の新潟市西蒲区を拠点に制作活動を続けています。クリエイティブに関わるトップランナーが集まる東京を離れ、なぜ、神田さんは新潟へ戻ろうと思ったのか。東京での生活で感じた気持ちの変化と現在の生活、そしてこれからの夢について話を聞きました。

絵を描くことに没頭した東京の学生時代

神田さんは1983年新潟市西蒲区生まれ。絵を描くことは、小さい頃から好きだったのですが、決して得意だったわけではないと言います。「自分のペースで、自分の部屋でひとりでできるというところが向いていたんだと思います。今、思春期に描いた絵を見ると、驚くほどモヤモヤしていたんだなと(苦笑)。自分を表現する手段として絵を描くことをやっていたんだと思います」。
高校から短大時代には、ノートの端、教科書の余白、至る所にイラストを描き込んでいました。その頃から「絵を描くことを進路にできないか」と考えていました。紆余曲折があったものの、東京のセツ・モードセミナーに入学。どっぷりと絵を描く生活がはじまります。「どこか商業的な匂いがするグラフィックに比べて、表現の自由度の高いイラストの方が自分に向いていると思いました。セツ時代(セツ・モードセミナー在籍時)は画力や知識を養うのではなく、とにかく没頭して絵を描く環境に身を置けたことが、その後に大きく影響したと思います」。

イラストレーターとしての東京の日々

卒業後はアルバイトをしながら作品を制作し、様々なコンペに応募する毎日。そのひとつが雑誌『イラストレーション』の誌上コンペに入賞し、アートディレクターの佐野研二郎さんの目に留まります。「佐野さんの紹介で初めての仕事をさせてもらいました。それが、ベネッセコーポレーションのこどもちゃれんじのイラスト。本当に運がいいなと思うのは、初めての仕事が大きな会社のもので、それは本当にやりがいがあり、面白いものだったこと。同時に大変さもありましたが、非常によい経験ができました。その仕事が好評で、少しずつ仕事の依頼が増えていきました」。
東京で暮らし始めて10年が経ったころ、仕事での達成感の一方で、追われるように仕事をこなす慌ただしい日々の中で次第に心の余裕がなくなり虚無感が少しずつ神田さんの心に広がっていきました。「東京は、情報があふれていて、その収集をするだけでも時間をとらせ、食事もままならない不規則な生活を私に強いている。そんな中で、時間がなく、心の余裕もない自分が作る作品は、自分らしい表現ができているのか?この仕事は、私以外でも務まるのではないか?という疑問を感じるようになり、どんどん東京での生活が息苦しくなってきました」。

自分らしい丁寧な仕事を新潟で

転機は2012年、ふとした瞬間に訪れました。ひとつは、ロンドンとベルリンへの旅。プライベートの余暇や家族、恋人との時間、芸術表現や食事を心から楽しみ、穏やかで幸せそうに暮らす現地の人たちに触れ、自身の慌ただしい日常生活を顧みたこと。もうひとつは、一時帰郷した新潟市の信濃川沿いにある「やすらぎ堤(てい)」から眺めた景色に心が洗われたこと。新潟に帰ろうと、そのとき決めました。「仕事先の方や仲間からは“せっかくこれからなのに”と言われましたが、自分の中では既に新潟に帰ろうという気持ちが固まっていました。その年のうちに東京から新潟にUターン。生活も仕事も拠点を新潟にしました」。
生まれ育った土地、時間がゆったりと流れる新潟に帰って来てから、仕事への向き合い方が大きく変わります。「東京にいた頃は、一度も顔を合わせずメールだけのやり取りで終わる仕事が多かったんだなと気付きました。まわりもそんなスタイルだったので疑問に思ったことはなかったんです。でも、会ったこともない、話したこともない、どこに住んでいる人かも分からないような仕事の関係って、やはりどこか違和感があるんです」。新潟に戻ってからは依頼主と顔を合わせる機会を多く持つようになったそう。「時間と心に余裕がある状態だからこそ、ひとつの仕事とじっくり丁寧に向き合う。本当にクライアントの意図を汲んだ状態で仕事をしようと思いました。東京にいた頃は打ち合わせもメールで済ませていたのに、今は仕事のあいさつや打ち合わせで進んで東京に行きます。昔の自分に比べて、とても人間らしく仕事ができていると思う。広い空と海と山がある新潟で、大切なことを思い出すことができました」。
Uターン後の神田さんにとって特に忘れられない仕事があります。それは、人気アーティスト木村カエラさんのオフィシャルグッズのタオルやTシャツのデザイン、単行本のイラストを手がけたこと。新潟というローカルな場所にいながら、日本トップクラスのアーティストの仕事ができたことで、大きな達成感と充実感を得たそうです。

新潟の自然や産物を作品の表現に

生まれ育ち、慣れ親しんだ景色だからこそ、その良さは一度離れないとなかなか気付けないのかもしれません。「自然が豊かで食べ物がおいしい。そんな当たり前のことが人間にとってどれだけ大切なのか。新潟は車の移動がメインなので、好きな時に好きなタイミングでどこにでも行ける。フットワークが軽くなりました。もうひとつ、これは意外だったんですが、新潟に帰って来てから出会いの幅は広くなりました。確かに東京は人間の数は多いんです。でも、今思えば自分と近いジャンルの人としか会っていなかったのではないかと思います。新潟では東京では出会えなかったような職種や世代の人たちと会えます」。季節を肌で感じること、ご飯がおいしいこと、そんな日常の充足感や感動は神田さん表現にも反映されるようになります。「野菜などの食べ物や自然の景色、これは東京では絶対に描けませんでした。自然にはかなわないなと感じる毎日です。個人のスペースの広さも心地いい。東京時代、仕事は部屋にこもってするものでしたが、今は図書館や屋外でスケッチを描くことも多いです」。

拠点は新潟。仕事の幅は県外、世界へ

イラストレーターとしての仕事の傍ら、積極的に県外のイベントや展示に参加する充実した日々。「今は、ひとつひとつの仕事を丁寧に、クライアントとしっかりコミュニケーションをとりながらやることが目標。期待に120パーセント応え、喜んでもらいたいです。新潟にいても、日本中、世界中の方たちと仕事ができる時代だから、丁寧さは大切にしたい」。東京にはない、自然豊かな環境に身を置いた結果、イラストレーションの仕事には気持ちや意見のやりとりが大切だと気付いた神田さん。Uターンで、仕事や作品のクオリティを高めることができると教えてもらいました。

前回の塙さんと今回の神田さん、2人の道は違いますが、それぞれが新潟での暮らしから「心の余裕」を得たようです。それが幅広いフィールドで活躍できる秘訣なのかもしれません。

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