2014.06.04 掲載
vol1
合同会社 直送計画 代表
谷 俊介さん
新潟市在住
vol1
東京都出身。大学在籍時からITベンチャー企業に勤務。2011年、妻の実家のある新潟市に、高校からの友人や、IT企業の後輩らと共にIターン。独自の視点で、新潟の魅力的な商品を県内外に紹介するショッピングサイト「新潟直送計画」の運営を行っている。
初めまして。合同会社 直送計画の代表をしています、谷です。1987年生まれのゆとり世代の筆頭。出身は東京都の港区です。
2011年の4月、23歳の時に、前職の同僚や、同級生などの友人などを連れて東京から新潟に移住し、4人で独立、起業しました。現在は、WEB制作などの請負をする傍ら、新潟の生産者に焦点を当てながら、新潟の特産品を販売するサイト「新潟直送計画」の運営を行っています。
「新潟らしく、新しい働き方」ということで、私達がどういう経緯で新潟に来て、起業に至り、どのような生活をしているかをお話ししたいと思います。
私は元々、上智大学在学中から、新宿にあるIT関係のベンチャー企業で働いていました。創業期だったこともあり、内定者アルバイトとして働いていた大学在学中から様々なプロジェクトを任され、一般的な大学生のアルバイトでは考えられないくらいの濃い社会経験を積むことが出来ました。
大手の就職を捨てて、創業期のITベンチャーで働き始めたのは自分なりの訳がありました。皆同じようなリクルートスーツを着て、何の興味もない会社を回って、ありきたりな面接トークを繰り返す就職活動を見て、嫌気がさしたのも事実ではあるのですが。それなりに考えた結論でもあります。
1987年生まれの僕らは、リーマン・ショック直後の就職氷河期にあたった世代。そんな不況の時代、大手に勤めれば安泰かといえばそれは違う。TwitterやFacebookが浸透し、セルフブランディングという言葉が定着した時期でもあり、組織や会社の看板に頼らなくても「自分の力で生き抜ける力」が必要だ、と直感的に感じていました。
元々将来の夢もなく、特にやりたいこともなかった当時の私ですが、IT関連ビジネスには未来を感じていましたし、その中でも少人数のITベンチャーであれば、若くして必然的に多くのチャンスが巡ってくる、その経験があれば、仮にその会社が上手くいかなくてもその後自分の力で生きていくこともできるだろう。そのためには、少しでも早く、大学在学中からでも、とにかく仕事をして、認められて、多くの経験をしておきたい。そのような思いで、とにかくがむしゃらに働きました。大手とは違い、研修制度がしっかりしている訳ではなく、自分で本を買ったり、インターネットで勉強し、昼も夜もなく業務をこなす毎日。創業期のITベンチャーはもう本当に忙しかったです。大学を卒業する入社時には役職も頂き、新入社員にして、人をマネジメントする立場に置かれました。
会社自体の業績はすこぶる好調でしたが、そのような中、多くの先輩・同期・後輩達、仲間が次々と辞めていきました。元来、IT系企業での労働条件は過酷で、人材の移動は著しいと認識していましたが、特に創業期だったこともあり、それは顕著なものでした。東京近郊には様々なIT関連ベンチャーがひしめき合い、競うように躍進を図る中、気づけば皆、無理をしていたと思います。仲間が一人、また一人と辞めていくのは本当に寂しいものです。古くからの仲間が辞め、新しい人が入ってくる度に、人間関係は希薄化し、仕事のやりがいを見失っていきました。
その頃から、IT企業の新たな在り方を考えるようになりました。本来、企業というのは、個性的な一つのアイディアや、強力なマンパワーだけで育っていくのではなく、地域社会とのコミュニケーションの中であったり、地道な人とのつながりの中で企業は存続していくものではないのか。それは、IT企業だって同じではないのか。地域の方から誇りに思われるようなIT企業。こういったものを目指すことはできないのか。
そのようなことを考えていた時、親しい後輩に「辞める」と相談されました。そこで、「じゃあ一緒に何かやるか!」と、自分も会社を出ることにしました。その時は何をするかも決めていませんでした。それでも、会社を辞めて縁も所縁も無い新潟までついてきてくれた仲間の存在を大切に感じています。いまだになぜついてきてくれたのかわかりませんが。そのような仲間を含めて、「半径5メートル」くらいの人間関係を大切にしながら、仕事をしていきたいと考えています。
次回はなぜ新潟を選んだのか、新潟に来てどう思ったかといったことを書いてみたいと思います。
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