2014.04.03 掲載
vol1
佐渡太鼓体験交流館「たたこう館」勤務
宮崎正美さん
佐渡市在住
vol1
熊本県出身。1998年1月、佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団鼓童の研修生面接のため、佐渡へ。その年の4月から研修生として佐渡島の生活を始める。その後、鼓童の正式メンバーとして全国はもとより各国で演奏活動を行い、この春から佐渡太鼓体験交流館「たたこう館」のスタッフとして勤務。
当時、奈良に住んでおりましたので、電車で新潟をめざし、そこから船に乗り、佐渡島へと一人やってまいりました。もう16年も前になります。目的は佐渡を拠点に活動する太鼓芸能集団鼓童の研修生面接試験です。
熊本出身の私は白波が立つ冬の日本海を見て感動し、慣れない雪道に転びそうになりながら、宿を目指しました。せっかく佐渡島に来たのだから、とガイドブックを片手に路線バスに乗り相川へ。無名異焼きと裂き織りを体験し、宿では加茂湖の見える温泉を独り占め。雪が降り積もるだけでもわくわくする九州の人間には、その壮大な景色の中、温泉でひとり平泳ぎが出来るなんて。
かなり満足した試験前日。
しかし、当日は吹雪。迎えに来てくれた鼓童の公用車に乗せられ、港から試験会場である研修所まで向かう途中、1メートル前が見えず道路で何度も止まりました。そして通常の3倍ぐらいの時間をかけて着いた柿野浦にある研修所はこれまた山の中。真っ白の道なき道を進むとき、こりゃまたエライところに来てしまったと正直思いました。
これが、佐渡と私の初めての出会いです。
その年の4月、鼓童研修生として佐渡島での暮らしが始まりました。ただ太鼓を叩きたくて佐渡に渡ってきたので、佐渡のことなど何も知りません。
一番驚いたのは、やはり鬼太鼓でした。鬼太鼓という芸能そのものにも目を見張るものがありますが、祭に臨む集落の皆さんの意気込みたるや、1年に1度のハレの日を、それはそれは楽しみに、そして大事にされています。
集落の家々を回る「門付(かどづけ)」が私は大好きです。その年選ばれた鬼と太鼓を叩く役の人の後を、集落の人やその親戚や友達がぞろぞろついて行きます。どなたかの家の庭先や玄関先に太鼓がすえられると、鬼が一打ち。あとはお花が上がればその度に、ローソ(司会者のような役割)が口上を述べ、鬼や、その家に所縁のある人々が太鼓の音に合わせて鬼太鼓を舞います。その様子を見ている周りの人たちの笑顔といったら、本当に幸せそう。「あそこん婆さんは元気にしとるんか」「1番下ん子はもう中学生になったか」など、この日、集落のみんなの現況報告があちこちで行われます。島外に一度出て、戻ってきた人や、普段は集落を離れて住んでいる人にはとても有意義です。私のような新参者も顔見知りに紹介してもらい、みんなに顔を覚えてもらえます。とても便利です。都会では考えられないでしょうね。
田舎には田舎のシステムがあります。佐渡は決して大都会ではありません。しかし、いろんな場面で、人間として必要な生き方を教えてくれるような気がします。佐渡で生活をしていると、人と人との深いつながりを感じます。祭り一つをとっても、お年を召した方から子どもまで、みんなが一つのことに取り組むことで、思いやりや労わり、尊敬する心を自然に学びます。農家の暮らしを見ても、実に、自然界の理にかなった生き方をしています。夏は、朝早く涼しいうちに田んぼの様子を見に行き、一仕事を終え、朝ご飯。午前中の仕事を終え、お昼ご飯を食べたら寝る。涼しくなった夕方から暗くなるまで一生懸命働く。冷房を効かせた部屋で、寒いからとひざ掛けをかけ、パソコンに一日中向かいあうより、かなりエコな暮らしです。なにも「田舎で農業を始めよう」というのではありません。学ぶことがたくさんあると思うのです。
今春、佐渡生活も17年目を迎えます。その間、鼓童の正団員となり、住まいは島内を転々としましたが、羽茂大崎に移り住んで10年。ずいぶん地元の方々との交流(一緒に遊んでもらう機会)も増えました。仕事柄、島外に出ていることも多く、島暮らしを「丸々16年間」してきたわけではありません。しかし、この春より、佐渡太鼓体験交流館(たたこう館)勤務になり、暫く島にいることになりました。漸く腰を据えて島暮らしが始まります。自分がまだ行ったことのない場所にもドンドン行きたいし、今後「たたこう館」においで下さる方々との出会いも楽しみです。
「下記鼓童のサイトからたたこう館ウェブサイトもご覧いただけます」
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