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ニイガタビト

継いでわかった、農業の奥深さ

2017.10.12 掲載

米農家

齊藤康成さん

新発田市在住

1985年旧紫雲寺町(新発田市)生まれ。代々続く米農家の3人兄弟の末っ子次男。

新潟大学人文学部卒業後、東京の不動産会社へ就職。
東京で4年半生活するも、父親の「後継ぎがいなければ規模を縮小しようと思う」という言葉がきっかけで2013年に家業を継ぐためにUターン。

父親の元で学びながら27歳から農業の仕事をスタートした。
Uターンは結婚のタイミングでもあり、2015年には長男が誕生。公私ともに充実した生活を送る。

ほとんど考えていなかった、農業を継ぐこと

旧紫雲寺町(現新発田市)で、5代ほど続く農家の次男として生まれ育ちました。作っている作物は米で、野菜を少しやっている典型的な米農家です。高校卒業まで地元で過ごし、その後は新潟大学人文学部に進学。大学進学のタイミングでは、自分が農家になるとは全く思っていませんでした。とは言え、将来どんな職に就きたいといった展望もなく、何となく人文学部で学べることに興味があるということで進学を決めました。大学に在学中は、里帰りした際に父の手伝いをしてはいましたが、農業を継ぐかどうかは分かりませんでした。

私は3人兄弟の末っ子です。兄と姉はそれぞれ明確に自分の進みたい道があり、「家業は継がない」ということを早い段階から話していました。そうなると、後継ぎ候補は私のみ。しかし、父は私にも「農業を継いで欲しい」とは言わず、まずは自分がやりたいことをやってみたらどうかというスタンスでした。将来的に農業を継ぐにしても、ゆっくり考えてからでいいよ、と。なので、就職活動が始まっても、一般企業を目指しました。

東京の不動産屋で4年半。高校の同級生だった妻と再会

兄が生活していることから一度は住んでみたいと思っていた東京で就職。学生時代から内装やインテリアに興味があったので、そういった仕事を希望し不動産会社に勤めたのですが、実際の仕事はマンション建設の用地買収や、マンション販売と全く違う内容でした(笑)

就職を決めたちょうどその頃、いわゆる「リーマンショック」がありました。不動産価格が大幅に変動するなど、業界への影響はとても大きかったです。私も当初配属された用地買収の部署から、いきなり営業の部署に異動になるなど、会社も混乱していました。それから4年半、大変なこともありましたが、学びも多く、仕事を通じて成長することができたと思います。

東京に出たかった理由のひとつに、学生時代に軽音楽部に所属していたこともありました。ライブや音楽フェスに足を運びやすくなりましたので、大好きな音楽を楽しむ機会は増えました。高校や大学の友達も東京に出ている人が多かったので、飲みに行ったり、一緒に遊んだり都会生活を満喫していたと思います。高校時代の同級生でもある妻とは、上京した当時に共通の友人を通じて再会しました。付き合って2年ほど経ったころから結婚を意識するようになっていました。

父からのひと言、そして妻の後押しでUターンを決意

家業を継ぐことになったきっかけは、父からのひと言でした。里帰りした際に農業の話をする機会が多かったのですが、ある日「このまま跡継ぎがいなければ、事業を縮小しようと思う」という話になりました。それは寂しいことだと思い、自分が継ごうと決意しました。

もともとその頃、「いつかは新潟に帰りたいな」という思いが芽生えていましたし、東京での仕事も大変で、ずっとこれを続けてはいけないなと思っていて。そして、妻と結婚したいと考えるようになっていたこともUターンを考えるきっかけでした。妻も東京より新潟で生活する方が良いと考えていたので、結婚するタイミングで新潟に戻り、農家を継いで生活していこうと。

しかし、いざ帰ろうと決めても、会社の仕事が忙しく、なかなか辞めるタイミングをつかめなくて……。そんな私を妻がプッシュしてくれたんです。「はやく帰ろうよ!」と(笑)お尻を叩かれて、即・会社に退職願を出しました。そして2013年にUターン。父のもとで農業を学びながら働くことになりました。

継いでから分かった農業の魅力

家業に入って、最初は父の従業員という形で給料をもらいながらの生活でした。会社員時代と同様に毎月一定の収入があるという点では安心感がありました。その後、父から経営を引き継ぎ、現在は事業主となっています。

これまでのようなお手伝いではなく、本格的に農業をやりはじめて「奥が深い仕事だな」と思うようになりました。たとえば、作物によって肥料をあげるタイミングが違ったり、時期によってやるべき作業は変わってきたり。もちろん1年を通してやる作業が異なります。ルーティーンがほとんど無いので常に考えながら仕事をしないといけなくて、本当に奥が深いです。朝も早いですし、体力仕事なので最初は大変なことも多かったですね。

サラリーマン時代と決定的に違うのは、仕事の進め方は完全に自分次第ということ。いつ、どんな作業をするのか。どんな方法でやるのか。作業時間はどれくらいにするか。など、すべて自分でコントロールしています。もともと何でも自分でやりたいと思う性格でしたので、自分で自由に物事を決められる現在の環境は向いていると感じます。

自分で考えて工夫してやるからこそ、新しいことをすぐに試せる。上手く行けば嬉しいですけれど、収穫が少なかったときなどは悔しさも大きい。何かあってもすべて自分の責任という意味では大変ですが、楽しいですね。

自然豊かな地元での子育て生活。

生活環境が変わったことで、ストレスは激減しました。私が住む地区は都市部から少し離れた自然豊かな環境です。当初は新発田市街にアパートを借り、そこから実家へと通勤するという形でしたが、父から経営を継いだこと、2015年に長男が生まれたことを機に家を新築しました。自宅からはスーパーが遠く、日用品を揃えるにも車で20分ほどかかるなど、不便に感じることもありますが、静かで自然豊かな環境を楽しんでいます。

今、2歳になる長男は田んぼへ出かけるのが大好きです。自然豊かで遊ばせる場所にも困らないのは恵まれていますね。Uターンしてきた当初は、都会的な刺激が少なく、物足りなさも感じていましたが、子どもが生まれて、子ども中心の生活になってからは気にならなくなりました。

今の仕事は基本的に休みは日曜日だけ。自然相手の仕事なので休みが取れないこともあります。仕事の飲み会も比較的多く、また地域の集まりもあり、家族に負担をかけることもあります。けれど、地域のさまざまな人とのつながりが家族を支えてくると思います。また、日が暮れれば仕事ができないので、夜は家族と過ごす時間が多く取れるのは、良いところです。

後継ぎだけでなく、「農業」を選択できるように

農家のイメージというと「一人でもくもくと」と思う方が多いかもしれませんが、同じ地域の農家さんたちと日頃から「今年どうだった?」「どういう風に作物を作っている?」など、情報交換をしています。そんな中、農家の人手不足、後継者不足は深刻だと感じています。高齢化も進み、農地を管理してくれる人がどんどんいなくなっている。なので、私のような若手のところに、「管理してくれ」と声がかかるなど、農地を預けたい人も多い。

ただ、そうすると農家一人ひとりの管理する土地が広大になり、手が回らなくなってきます。その対策として、一つの農家でなく、地域で連携して農地を管理していく「集落営農」という手法が広がっています。私たちも、地域の農家が連携して一緒に田畑を管理する集落営農に取り組んでいます。他の地域もそうですが、農家が減っている以上、農業経営の大規模化はこの先の大きな流れになっていくと思います。

昔は農業を仕事にしたいと言っても、親や先祖から引き継いだ農地がないと難しかった。けれど、近年は農業法人など経営力のある担い手が増えてきていて、普通の会社と同じように求人を出しています。農家の後継ぎだけでなく、「本当に農業をやりたい人」が仕事として選べるようになって来たのは良いことだと思います。

自然の中で、自分なりに工夫しながら働ける農業の仕事は、やりがいもあるし、すごく楽しいと感じています。「やりたい」と思う人が、気軽にチャレンジしてくれるようになれば嬉しいですね。

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