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ニイガタビト

ITで新潟の空気を変える!
- 新潟発メガベンチャーを目指す起業家の挑戦 -

2017.08.30 掲載

株式会社ユニークワン 代表取締役

立川和行さん

新潟市

2014年に颯爽と登場し、新潟のインターネット業界をリードする広告会社のひとつ「株式会社ユニークワン」。
創業4年目にして県内にとどまらず、富山県・石川県などでも事業を拡大する新潟発のベンチャー企業を立ち上げたのは、「農家のセガレ」立川和行さん39歳。
慶応大学卒、NTTドコモ経営企画部出身の経歴。お話を伺えば、飄々とした雰囲気と、ここぞという時のパワフルな決断力が印象的なナイスガイ。
立川さんのこれまでの歩みをお伺いしました。

偏差値47からの大学受験。両親説得のために猛勉強

立川さんは1978年、中蒲原郡横越村の沢海(現:新潟市江南区)生まれ。県内でもいち早く農産物直売所を立ち上げたことで有名な「カガヤキ農園」の四人兄弟の長男です。「本来は家業を継がなければいけない立場なのですが、稲刈りを手伝えば怪我をしたり、手先が不器用なので自分に農業は向いていないと思っていました」。両親も無理に継いでほしいとは思っていなかったとのこと。自分の進路を考えはじめた高校時代、このまま大人になりたくないと考えていた立川さんは、「大学に行けばまだ働かなくていい!」と思い、大学進学を希望しました。

しかし、両親は大学進学に猛反対。「両親ともに大学に行っていなかったし、農家の息子が大学で勉強することが必要だとは思っていなかったようです。“高校まで出したのだからいいだろう”と」。
そんな父親を説得するために、文句を言われないくらいの大学に合格しなければと思い猛勉強したそうです。高校2年生の時には偏差値47だったものが、最終的には偏差値78まで伸び、慶応大学の総合政策学部に進学することになりました。

就職人気ランキングの上位企業へ

都会に憧れ、1996年に大学進学した立川さん。「都会だと思っていたら、総合政策学部は田舎にキャンパスがあった(笑)当時は新潟に帰る予定もなく、大学生活を満喫していました。楽しみすぎて4年半通うことになりましたが…」。
4年半の大学生活では「やりたいこと」が見つからなかったそうですが、就職活動が目の前に迫ってきます。

「漠然とIT関係の仕事に憧れはあったのですが、就職先についてはちゃんと考えていなかった。就職氷河期だったし。あまり就職する気もなくて、最悪実家に帰ればいいかなって。とりあえず“就職人気ランキングを上から順に受けてみよう”と就職活動をはじめました(笑)ランキング上位の企業数社の採用試験を受けていたのですが、当時人気ランキング2位だったNTTドコモに内定をもらえました。ラッキーでした」

大企業の中心で、経営の中枢に関わる

2001年4月にNTTドコモに入社すると、最初の配属先は埼玉支店。埼玉県域のドコモショップの販売支援、販売店に対するインセンティブ制度の設計や、販売分析などを担当しました。「当時、FOMAが出た頃で、ドコモはすごい勢いがありました。取り扱う金額も大きく、めちゃくちゃ忙しかったですが、やりがいがありました」

2003年には本社の経営企画部に異動。各事業部や支店の業績評価や全社横断的なプロジェクトに従事しました。「日本を代表する大企業の経営戦略を決める場に関われたのは、とてもためになりました。自分たちの決めた方針が何万人ものスタッフに影響を与えるという責任の重い仕事はなかなかできないと思います。また、経営会議や取締役会議にも参加することができたり、ここで『本当にすごい人』にたくさん出会えたのも良かったです」

経営に関する知識はゼロで、最初は皆が使っている用語もわからなかったそうですが、大企業の経営の中枢で揉まれ経験を積みました。

30代をどう過ごすか?誰も選ばないキャリアを選びUターン

本社経営企画部で3年勤めた後、現場強化という会社の方針から千葉支店の法人営業部に異動。携帯電話市場の競争が激化する中、営業と企画を経験しました。4年後、本社に異動となるタイミングで退職を決意します。

「30歳くらいから、ドコモを辞めようかどうか迷っていました。30代はビジネスパーソンとしてのピーク。この10年をどう過ごすかで将来がすべて決まると思っていたんです。やりたい仕事ができる環境に身を置きたかった」。
とはいえ、すぐにUターンを決意したわけではありませんでした。「最初は転職を考えました。IT系、経営コンサルタントなどを探していたのですが、キャリアとして面白くないなと思ったんです。人と違うキャリアを選んでみたいと。最初に思い描いた転職先は、どれも先行者がいるものばかり。ドコモからコンテンツ系の企業へ移る人も多い中で、『立川お前もか…』と言われるのが嫌だった」。

そんな時に思い出したのが「親父の会社」でした。経営企画部で学んだスキルを現場で試してみたいという思いもありました。「地方の農業法人で経営に関わり、その実績をもって再び東京に戻って転職するというキャリアは、他に誰もいなくて、自分にしかできないので面白いと思いました」。
「出世コースで辞めるやつはお前が初めてだ」と周りに言われながらも、2011年6月にドコモを退職し、Uターン。実家のカガヤキ農園(有限会社エーエフカガヤキ)で働き始めました。

カガヤキ農園へのリンク

新潟に残ることになった、「結婚」と「起業」

新潟にUターンすると、カガヤキ農園では販売部長として、インターネット通信販売や、社内システムのIT化に着手。IT導入のモデルとして経済産業省の中小企業IT経営力大賞・審査委員会奨励賞を受賞するなどの実績を上げました。プライベートでも2013年に結婚し、第一子を授かりました。当時は子どもが生まれたこともあり、「東京に戻って転職する」という計画はなくなり、家業のカガヤキ農園でこのままやっていくものだと自身も思っていたそうです。

しかし、2014年に自分でも「予定外だった」という起業に踏み切りました。後押しとなったひとつは、県の産業の活性化を支える公益財団法人にいがた産業創業機構(NICO)の創業支援制度でした。「もともとカガヤキ農園でIT化を進める際にNICOに相談に行っていたんです。カガヤキ農園で使える補助金やサポートを調べるうちに、起業に関する補助金や支援体制の手厚さを知りました」。

カガヤキ農園の経営は順調で、立川さんがUターンしてからも順調に売上規模が拡大中。また、60歳になったら引退すると言っていた父が、辞める気配がないことも気になっていました。「うまくいっていない会社は改革が必要ですが、売上が順調に伸びて成長している企業ではトップを変える必要もないんです。この調子でいくと、自分が経営を任される頃には“新社長55歳、先代は80何歳で引退”、なんて可能性もあってそれは嫌だなと(笑)会社も順調で現社長もうまくやっているのであれば、会社としては今のままが一番いいと思ったんです」

公益財団法人にいがた産業創造機構(NICO)へのリンク

新潟のIT業界の空気を変えたい。一点特化の経営戦略

2014年4月にインターネット広告会社・株式会社ユニークワンを創業。「ドコモの中心にいたときには、日本はIT大国だと思っていたけれど、新潟に帰ってきたら全然違った。特に新潟県は全国的に見ても遅れている。そういう空気を変えたいと思いました」。

ユニークワンでは、GoogleやYahoo!の広告、ソーシャルメディア広告・運営代行などを中心にインターネットでの広告に特化した事業を実施。起業当初から、広告代理店を中心に多くの仕事が舞い込んできました。「リアル店舗で考えてみると、カッコイイお店をつくるのと、お店に人を呼ぶのはまったく違うスキルが必要です。インターネットの業界もそうで、ホームページをつくるのと、ホームページに人を呼ぶのは違う仕事です。けれど、新潟ではホームページ制作会社が片手間で集客も手がけていることがほとんど。ネット集客に特化した会社がなかったんです」

インターネット広告の世界はデータ分析がモノを言う。いくらお金を使って、何人がサイトに来て、何人が買ったのか?滞在時間はどれくらいで、どう反応したのか?がデータとして全て取れるのが特徴です。データの分析力といったロジカルな「左脳」的な能力が求められます。
「僕はデザインやアートと言った右脳的な能力は自信がないですが、データ分析はドコモでかなり叩き込まれてきました。その分析力を活かして広告の最適化を図るのが当社の強みです。そして、経営資源を全てそこに特化したことで、顧客が広がりました」

地方の広告業界は、ホームページ制作からチラシデザインまで「何でも屋」が求められる傾向があり、ついつい目先の売上のために仕事の幅を増やしがちです。そこをぐっとこらえ、インターネット広告に一点集中したことでノウハウが蓄積され、「結果の出せる会社」になれたそうです。

株式会社ユニークワンへのリンク

データに裏付けされた堅実さと、変化を恐れない柔軟性

一見すると、自由闊達に見える立川さんですが、堅実な一面もあります。
「起業と聞くと“リスクを取ってすごいね!”と言われることが多いですが、実はちゃんとリスクヘッジもしているんです。最悪、失敗したら家業に戻れば良いと思っていたし、創業時は補助金を活用させてもらい、自己負担は極力小さくなるようにしました」。
その堅実さは、データを重んじる会社の事業にも現れています。起業時に「にいがた通信」という地域情報サイトを立ち上げ、どうすれば効果的なインターネット広告が打てるか、ユーザーはどう反応するかなど、あらゆる広告効果を自社で実験。そのデータを活用してクライアントに効果的な広告戦略を提案しているのです。自社メディアは、今では月間150万PVを誇るメガサイトに成長し、「インターネットで集客できるという一番説得力のある事例」として会社の大きな広告塔となっています。

「ドコモの経営企画部に勤務し、日本でトップクラスに頭がいい人たちと仕事をした経験が大きいです。頭の回転の速さも知識量もまったくかなわなかった。その中で、あるテーマについて考え続ける“深さ”だけは、諦めずに積み重ねていけば自分も勝負できると思いました。それがデータを重んじて実績をコツコツと積み重ねていく今のスタイルの基本になったのだと思います」

その一方で、「慶応大学に進学できたのも、ドコモに入れたのも、カガヤキ農園に戻ったのも、起業したのも、社員が20名に増えたのも、全て想定外(笑)」と笑う立川さんは、変化することを恐れない軽やかさも兼ね備えています。

にいがた通信へのリンク

自分にしかできない形で、地元に貢献を

もともと、会社を大きくする気はなかったと言う立川さんですが、スタッフも増え、さらには他県にも事業を横展開するなど、今新潟県で最も勢いのあるベンチャー企業のひとつとなっています。ただ、立川さんは、経営拡大についても、「無理して拡大するものではなく、まずは目の前の課題をコツコツとクリアし、結果的に市場から求められるから大きくしただけ」と語ります。その一方で、「ドコモの同期のやつらに負けたくない」という熱い想いもあるといいます。

「インターネットの世界では都会である優位性はありません。もちろん、新潟にいるからといって有利だということもない。新潟にはグローバルに事業展開する有名メーカーも多いですが、新潟で創業したから全国・世界に進出できたわけではなく、良い商品をつくっていたから成長できたのだと思います。自分も同じことができれば楽しいですね。この土地で自分にしかできないことを真剣にやれば、それが一番の地域貢献になると思います」

目指すは新潟発のメガベンチャー、日本の広告代理店トップ20入り。日本の超一流を知る立川さんとユニークワンの今後に注目です。

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