2017.05.02 掲載
保健師
大原 絵里子さん
長岡市在住
1985年生まれ。新潟県上越市出身。上越の看護大学を卒業した2008年に「一度は地元を出て暮らしたい」と、東京の病院に看護師として就職したが、「地元に帰ってきてほしい」という両親の意向もあり、いずれUターンするとは決めていた。7年間東京で働いた後、2015年に新潟県の保健師としてUターン。現在は長岡地域で感染症対策を担当する一方で、地域の交流イベントなどに積極的に参加し、つながりをひろげている。
東京の病院に就職したのは、地元を出てみたかったから。いずれは新潟県に帰るつもりでしたが、仕事のやりがいもあり、東京の生活も快適で、あっという間に7年。その間、両親からのプレッシャーもすごかったです…(笑)。友達もたくさんいて、買い物に行ったり、飲んだり、東京生活を満喫していたのですが、年々「山登り」や「釣り」などアウトドアを楽しむことが増えてきました。もともと田舎で生まれ育ったので、心が自然を求めていたんでしょうか。仕事でも夜勤が体力的に厳しくなってきたり、知人の話を聞いたりしているうちに「そろそろ環境を変えたい」「ゆっくりした生活をしたい」と考えるようになりました。
これからの生活を考えると、家族を大切にしたい気持ちや、生まれ育った新潟で結婚したいという想いが強くなり、2014年にUターンの準備をはじめました。
大学で看護師と保健師の資格を取っていたので、また病院に勤めるか、市町村または県の保健師として働くか迷っていました。県立病院の説明会に行ったり、両親から地元上越市の保健師をすすめられたり。いろいろと悩んで、タロット占いに行って相談したりしていました(笑)。病院の仕事は東京の病院と同じような仕事内容という印象で、「せっかく環境を変えるのだから、仕事内容も変われば面白いかな」と、保健師を目指すことにしました。上越市ではなく、県にしたのは、佐渡や村上など自然豊かな場所で働きたかったのと、異動でいろいろな場所に行けるのが面白そうだと思ったからです。それが2014年の4月末頃で、6月には公務員試験があったので必死に勉強して、無事に県の保健師になれました。
とにかく「田舎に行きたい」「自然の中でゆっくりしたい」と思っていました。そのためには、看護師のように不規則な働き方でなく、土日休みの働き方をしたいと思っていたので保健師を目指したという面もあります。ただ、田舎への配属の希望を出したのですが、実際に配属されたのは県内で2番目に人口の多い長岡市だったので、当時はちょっとガッカリしました。けれど、実際に生活が始まると、都会過ぎず、田舎過ぎず、自然も近くにあり住み心地がよいなと感じています。
UIターンする際には、「どんな仕事をしようか」、「仕事探しが大変」といったことを聞きますが、私の場合は看護師・保健師の資格がプラスに働きました。病院か行政かなど、職場の選択肢は限られますが、職場(勤務地)さえ決まれば、後はどんな暮らしをするかは自分次第かなと思っていました。
保健師という仕事は、一般の人にはわかりにくい仕事かもしれません。特に、市町村ではなく県の保健師となるとさらに「何をしているかわからない」のではないでしょうか?私も就職するまでは正直よく分かっていませんでした。
保健師は、地域で生活する皆さんの健康のため、家庭訪問や健康相談、検診や健康教育、地区組織の育成等をする仕事です。私の現在の担当は、地域の感染症対策です。冬に流行するインフルエンザなどの感染症に対しては、地域の中で感染が広がっていくことを防ぐため、感染予防の知識を普及・啓発したり、病院、保育所等の施設と連携しながら予防対策に取り組んだりしています。それとは別に、家庭に訪問する仕事もあり、住民の方に寄り添って、じっくりと話を聴き、住み慣れた地域の中でその人らしく生活していけるよう支援を行っています。
また、保健所には保健師だけでなく、医師や薬剤師、放射線技師などの専門職がいるので、上司や同僚に相談しながら仕事ができる強みがあります。その中で個人の健康の支援から、地域全体の健康作りのための仕組みや体制作り等、幅広い仕事ができる事にとてもやりがいを感じています。
病院のオペレーションを知っているので、コミュニケーションをとりやすいことや、採血など病院勤務で身につけた知識や技術も現在の業務に役立っています。また、東京では医療関係だけではなく、いろいろな立場の友人がいたので、別の業界や世界を知ることができました。立場ごとにさまざまな価値観があるということを理解しながら仕事を進められるのは、東京での経験がプラスに働いているのかなと感じています。
長岡市に配属された当初は、プライベートも職場の人と過ごしていました。同期と仲がよく、新しい土地での生活の支えにもなってくれ、楽しかったのです。ただ、長岡でも知り合いがほしいと思っていました。悩んでいる中、30歳になった人たちの成人式「三十路人式in長岡」というイベントを知り参加してみることにしました。そこで知り合った人たちが開催している交流イベントに足を運ぶうちに長岡市でどんどんと人の輪が広がっていきました。地方では、なにか面白いことをしている人が目立っているからか、その人とつながると一気に知り合いが増えますね!自然と遊びに行ける人たちが増えて良かったです。
つながった人たちの紹介で、若手農家さん達が企画した「世界えだまめ早食い選手権」というイベントのお手伝いをしました。実は昔から農業に興味があったので、農家さんとつながることができて嬉しかったです。新しい土地に来て「知り合いができるかな…」と不安でしたが、「きっかけさえあれば新しい人間関係は簡単につくれるんだ!」と感じています。そして、つながりの中から結婚相手と出会うこともできました!新しい環境での生活を満喫しています。
私は、都会に憧れて東京の病院に就職しました。「東京に行ったらすごく違うはず!」と思っていたんです。確かに、東京の生活は楽しかったし、刺激的でした。ディズニーが好きなので、最初はディズニーへの距離が近くてすごく嬉しかったです。買い物も気軽にできるし、ちょっと時間を潰す場所もすぐ見つかる。
けれどある日、「ディズニーに行くのも、買い物に行くのも、新潟県に住んでいても、あまり変わらなくできるな」と思ったんです。自分がやりたいと思ったことは、新潟に住んでいようが、都会に住んでいようが、「やろうと思えばできる」。昔は「地元には何にもない」と思っていて、それが嫌でした。けれど、行こうと思えば東京でも海外でも、どこへでも遊びに行けるし、やろうと思えばなんでもできるじゃん!と、気づいたんです。
地方は都会よりも情報量が少ないので、何かをするのに「ちょっとした工夫」や、「知恵」、「手間」がかかることはあります。でも、新潟に戻って、その手間さえも楽しんでいる面白い人がいっぱいいることを知りました。そんな人たちと楽しく充実した日々を過ごせています。
今は転勤のある仕事なので、たくさんつながりのできた長岡市から引っ越す日もいつかくるかもしれません。でも、他の土地へ行っても、地方では「目立っている人」がすぐ見つけられるので、まずその人と仲良くなる!そして、その人を経由して、人から人へとつながれば新しい土地での人間関係は築いていけると思います。
Uターンしてすぐは、その土地の人とのつながりはなかなかできませんでしたが、交流会などで知り合いができてからは、一気に広がりました。地方はそういったイベントが多いので、自分から積極的に顔を出してみるのがおすすめです。新しい環境に飛び込むからと言って、そんなに気負わずに、気楽に行動してみるのが良いのではないでしょうか。