2015.05.29 掲載
vol1
佐渡市地域おこし協力隊
小川佳奈子さん
佐渡市在住
vol1
神奈川県横浜市出身。大学を卒業して、社会人を経験した後、英国に2年滞在。英国で無農薬野菜と出会い農業を仕事にと考えるように。そんな折、佐渡の地域おこし協力隊を知り応募。2013年10月から協力隊メンバーとして活動をスタート。新穂地区を担当。
佐渡島は、私の母の生まれ育った土地です。そのため、小さい頃から夏休みになると、家族で祖父母の家へ帰省するのが我が家の習慣でした。新潟まで新幹線に乗り、そして船で海を渡らなければ行けない特別な場所。そんな島に、私のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいることが、子ども心に私の大の自慢でした。
大学を卒業し就職するまでは、毎年欠かさず佐渡を訪れていました。これと言ったアクティビティに夢中になるわけでもなく、ただ、海へぼ~っとしに行ったり、満点の星空を見たりすることが、気兼ねなく容易にできる環境がとても貴重で、大好きでした。ただ、当時の私にとって、佐渡は「サードプレイス」のような場所であり、生活のベースを置こうと思えるほどではありませんでした。子どもの頃から積み重ねられてきた佐渡での楽しい思い出や経験が、移住への後押しをしてくれたことは事実ですが、佐渡で暮らしてみたい、ここを私の場所「マイプレイス」にしたいと思うようになったのは、「農業」との出会いがあったからでした。
大学を卒業して約3年勤めた会社を退社後、2010年~2012年の間ワーキングホリデービザでイングランドに滞在していた時のことです。向こうでは、スーパーで当たり前に「オーガニック」と冠の付いた野菜や加工品が手に入る環境で、ふと、それが本当に信用できるものなのか、オーガニックとはそもそも何なのか、疑問を持つようになりました。そこから、無農薬で野菜作りをしている農場の元でお手伝いをするようになり、自分たちの手で一から育てた野菜を食べられる安心感に感激し、又、自然に囲まれた田舎での生活にすっかり身体も心も魅了されてしまったのでした。日本に帰国する頃には、いずれ実家の横浜を離れ、どこか自然豊かな土地で、農業に携わりながら生活をしたいと思うようになりました。
田舎への移住候補地として、佐渡が一番に頭に思い浮かんだことは言うまでもありません。帰国してすぐ、雪化粧の金北山が美しい初春に、母と一緒に佐渡を訪れました。幸い祖母は健康に暮らしていましたし、祖父が残してくれた田んぼと納屋も荒地になっていましたが残っていたため、何とか夢を叶える足掛かりは整っているかのように思えました。しかし、今まで帰省客で賑わい、青い空と海が輝く夏の佐渡しか知らなかった私は、どんよりと暗いお天気と寒さ、人気がなく殺風景な街や海岸にショックを受け、すっかり意気消沈して横浜へと帰ってきたのでした。その時初めて、佐渡島が直面している厳しい現実に気づかされました。
総務省の取り組む地域おこし協力隊の存在を知ったのは、それからちょうど1年が経った頃でした。私と同様、地方へIターン希望の友人から、佐渡市でも募集をしているよと聞き、興味半分で東京の表参道で行われた説明会に参加しました。そこで、農業支援なども含めた協力隊の仕事内容を見て、自分のやってみたいことと合致する部分があり、そして、何より一般的な仕事に就くよりも、地域へより溶け込みやすく、人とのつながりを深めていける仕事なんじゃないか!と思ったのです。迷わず応募書類を提出し、2013年10月に新穂地区担当の地域おこし協力隊員として採用されました。地域おこしの難しさとやりがいを日々味わいながら、やること成すこと全てが無駄なことは一つもなく、この土地に定着するための足掛かりになっていると感じています。
単に移り住むことは勢いがあればできることかもしれません。でも、その土地に馴染んで暮らしていく、定住していきたいと思えば、近道はなく、時間が必要だと佐渡に来て実感しています。そういった時間を大切に、地域の人と模索しながら歩んでいけるのが、私たち地域おこし協力隊に与えられた貴重な3年間だと思っています。
佐渡市では、現在16名の隊員がそれぞれの担当地区を中心に活動しています。佐渡を選んで来た理由は人それぞれ。佐渡の山に一目ぼれして、島暮らしに憧れて、また一度島を出た若いUターンの子もいます。皆共通するのは佐渡が大好きだということ。その気持ちを共有できる新しい仲間も募集中です。皆さまのご応募お待ちしています。
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