2022.10.06
南魚沼市
自分の生活を豊かにするための工夫=ライフハックとして新潟にUIターンし、地方だからこそ実現できる暮らし・多様な働き方を楽しむ「にいがたライフハッカーズ」。
今回ご紹介するにいがたライフハッカーは、東京のデザイン会社に就職ののち、コロナ禍を経て南魚沼市にUターン移住。フルリモートワーカーとして勤務している芳川大樹さん。
移住後にはフリーのデザイナー・ビデオグラファーとしても活躍しています。
その生い立ちから学生時代、就職からUターン移住の軌跡、そして田舎暮らしのメリットデメリットについてじっくりお話を伺いました。
1991年生まれ、新潟県南魚沼市出身。
日本工学院専門学校を卒業後、大手デザイン会社「メタ・マニエラ」に就職。
TV情報マガジン『ザテレビジョン』のページデザインなどを担当。
地元、南魚沼市の移住促進フリーペーパー『雪ふるまち』の製作を担当したのち、2020年10月にコロナ禍を経てフルリモートワーカーとしてUターン移住。
2021年からはフリーのデザイナー・ビデオグラファーとしても独立開業。
TSUTAYAなどを展開する「トップカルチャー」のドキュメンタリームービーを制作。
少年時代はサッカーに打ち込み、中学時代にはモーグルの選手としてジュニアオリンピックに出場した経験のある、文武両道な新進気鋭のクリエイター。
南魚沼市出身のカメラマン&ライター。37歳で広告代理店「ジンボラボ」を立ち上げる。
南魚沼市周辺の飲食店を紹介したグルメブログで紹介したお店は150店舗を超える。
2022年にカメラマンとして本格的な活動を始め、飲食店のメニュー撮影、個人のポートレート撮影などを手がける。
新潟の好きなところは「雪がたくさん降って四季が存分に味わえるところ」。
ジンボ
子どもの頃はどんなことに興味がありましたか?
芳川さん
ちょうど僕が小学4年生の頃に2002年の日韓ワールドカップがあって、その影響を受けて地元の少年サッカーチームに入りました。
もちろんベッカムヘアも真似していましたね(笑)
ジンボ
私も20歳くらいでしたけど、ベッカムヘアでしたね(笑)
芳川さん
ほかにも学校のグラウンドで野球をしたり、川で魚を捕まえたり……とにかく体を動かすことが大好きでした。
それとやはり雪国ですから、スキーも3歳から始めていました。
ジンボ
モーグル競技でインターハイに行かれたとお聞きしましたが。
芳川さん
中学2年生のときに越後湯沢のモーグルチームの方に声をかけてもらい始めました。
インターハイに出たといっても、モーグルって競技人口が少ないからエントリーすれば、全国大会に出れるんですよね(笑)
結果は30人中18位だったかな、と。
ちなみに北京オリンピックに出場した星野 純子選手は同じチームの先輩で、いつも一緒に滑っていました。
ジンボ
すごいですね!高校時代はいかがでしたか?
芳川さん
高校ではサッカー部に入部して、相変わらず体を動かすのが好きでしたね。
部員30人くらいの小さなチームでしたけど、レギュラーをとるために一生懸命練習したり、仲間と喧嘩したり、とにかく楽しかった記憶しかありません。
今でも連絡を取り合ってよく飲みにいきますね。
ジンボ
高校時代の友人って大切ですよね〜。
高校生の時は「将来やりたいこと」というのはまだ考えていなかったですか?
芳川さん
そうですね。
特になくて……むしろ美術とか絵を描くのは苦手なタイプでした。
よくグラフィックデザインしてると「絵が上手なんでしょ」って言われるんですけど、アンパンマンは妻の方が上手に描きますね(笑)
ジンボ
(笑)
そこから大学に進学。
一年で大学を辞めてしまったということですが……
芳川さん
高校が地元の進学校だったので、周りもみんな大学進学だったし、親のすすめもあって東京にある経済系の大学に進学することにしました。
経済系の大学なら卒業したら、どこかに就職できるだろう……と。
あの時は何も考えてなかったですね。
それでも東京での生活は刺激的で楽しかったです。
美術館もたくさんあるし、電車に乗れば広告が目に飛び込んできたり。
そういったものに触れているうちに「こういうことがやりたいのかも」とデザインや広告に興味を持つようになりました。
そこでいてもたってもいられなくなり、大学を一年で中退しました。
ジンボ
そこから一度南魚沼に戻られて、アルバイトをしながら再度上京するための資金を貯めていたんですよね。
芳川さん
はい。
地元の建設会社にお世話になって、ニッカ履いて土木作業をしてました。
戻ってきたら、やっぱり地元って居心地がいいんですよね。
実家もあるし、友人もいるしで、東京に戻るモチベーションを保つのが大変だったという記憶があります。
ジンボ
ご飯もおいしいですしね(笑)
そこから日本工学院専門学校のグラフィックデザイン科に入学されるわけですが、入学後はいかがでしたか?
芳川さん
デザインに使うイラストレーターやインデザインなどのソフトを使えるようになったのはとても大きかったです。
現役で活躍されているデザイナーさんが講師として手とり足とり教えてくれて、あのときに学んだことが今でもしっかり活かされています。
ジンボ
卒業後、現在在籍しているデザイン会社「メタ・マニエラ」にはどのような経緯で入社を?
芳川さん
メタ・マニエラとの出会いは合同事業説明会でした。
フリースキーやモーグルの情報を紹介している『ブラボースキー』という雑誌を作っていることを知って一気に興味が湧いたんです。
小・中学時代によく読んでいた雑誌で、僕にとってはルーツのようなものでした。
そんなこともあって「この会社で働きたい!」と強く思ったのを覚えています。
ジンボ
どのような会社なのか簡単に教えていただけますか?
芳川さん
皆さんが知っているところだと『ザテレビジョン』というTV情報の雑誌を作っています。
ほかにもパンフレットやポスターなどの紙媒体はもちろん、WEBデザインなども幅広く扱う1987年創業の老舗企業です。
そのなかで僕は「雑誌をつくるチーム」に所属していて、エディトリアルデザインを担当しています。
ジンボ
エ……エディトリアル、デザイン??
芳川さん
あまり聞きなれないですよね。
エディトリアルデザインは雑誌の誌面全体のレイアウトや文章や写真の配置などを考え、より読みやすくより美しいデザインを構築する仕事です。
ジンボ
なるほど……勉強になります。
今では映像事業も担当されているということでしたが、映像に興味を持ったきっかけを教えてください。
芳川さん
僕が動画に興味を持つようになったのはYouTubeでドローン撮影をしている動画を見たのがきっかけです。「自分もドローン撮影をしたい」と衝動に駆られ、妻に内緒でドローンを買って飛ばしたのがはじまりですね(笑)
ジンボ
どのような流れで動画を自社事業にしようと考えたんですか?
芳川さん
正直、雑誌などの紙媒体の業績は右肩下がりなんです。
このままでは定年まで食べていくのは厳しいなぁと考えたときに動画を事業化できないかと思いました。
ジンボ
デザインのスキルを高めながら、新しいことにもチャレンジしてきたんですね。
それでは地元に戻ってくることを考えるようになったきっかけを教えていただけますか?
芳川さん
25〜26歳から趣味でキャンプを始めるようになったんですね。
近くのキャンプ場へよく出かけるようになって、自然に身を置くようになると地元に想いをはせることが多くなりました。
またお盆や正月に地元に帰ると「心地いいなぁ」と思うことも増えてきて。
「雪が降るから」ということをネガティブにとらえる人もいるとは思いますが、もともとスキーをやっていたこともあるので、そういった印象は僕にはありませんでした。
そんなこともあって30歳になったら戻ろうかな……とぼんやり考えていました。
ジンボ
なるほど。
ちょうどその頃に奥様と入籍されたということでしたが、奥様からの反応はいかがだったでしょうか??
芳川さん
28歳の時に地元の同級生と入籍しました。
妻の仕事は保育士だったので「地元に戻っても仕事はできるだろう」ということもありUターンには賛成してくれました。
ちょうど30歳の年、2020年に東京オリンピックが開催されることもあり「オリンピックを見たら帰ろうか」なんて話をしていました。
ジンボ
そうだったんですね〜。
さて、ここからがインタビューの肝になってくるところですね。
そこからどのように移住について会社にお話をしたのか教えてください。
芳川さん
社長にはじめて話をしたのは2019年の忘年会のときでした。
お酒の力も借りて「会社に籍を置いたまま、地元に戻って働きたいです」と伝えました。
でも当時僕に直接指名があっての仕事はほとんどなかったですし、動画もまだ趣味程度のスキルだったので、まったく説得できる材料はありませんでした。
それからしばらくしてチームリーダーでもある直属の上司にも移住について相談したんですね。会社を辞めることも考えている、と。
そしたら「辞めなくてもなんとかしよう」「新潟に帰ったらまたアシスタントからのスタートになるだろうから、もったいない」と言ってくれたんですね。
その言葉に勇気づけられ「まずは自分じゃなきゃできない仕事をつくろう」と心に決めました。
ジンボ
えぇ話やぁ……(笑)
芳川さん
僕が新潟にいても、頼んでもらえるようなモノをつくらなきゃ……と。
それで動画事業を加速させたというのもあります。
プラス、デザインでも自分中心に仕事をいただけるようにならないと、とも思いました。
そんなタイミングで南魚沼市議会議員の方に声をかけてもらって、南魚沼市の移住推進フリーペーパー『雪ふるまち』のお仕事をいただきました。
僕がメタ・マニエラに入社するきっかけになった『ブラボースキー』の編集長がその市議の方と知り合いで、地元出身のデザイナーを探していると聞いて声をかけてもらったんです。
ジンボ
すごい!出会いって大切ですね。
芳川さん
自分にしかできないこと「あるじゃん」って。
一冊まるまる担当させてもらって出来上がったものを社長に見てもらい、地元にもこういう仕事があるので、と話をさせてもらいました。
そんなこともあって2021年の1月に地元に帰るということは了承してもらったのですが……このタイミングでコロナが猛威をふるいはじめたんですね。
仕事も完全にリモートになって、家に閉じこもって仕事をしていたのですが「東京にいる意味ないじゃん」って(笑)
仕事も減ってしまい時間もあったので、南魚沼市の「まちづくり推進機構」という移住について相談できる場所があったので、そちらに相談をしたりしていました。
本来は2020年中は東京にいる予定でしたが、少し早めて2020年10月にUターン移住することにしました。
ジンボ
よかったのか、悪かったのか……なかなかのタイミングでしたね。
戻ってこられ諸々大変な中、次はフリーとしても仕事を始められたと聞きました。
芳川さん
はい。ウチの兄は地元にずっといたので割と顔が広く、帰ってすぐに同年代の友人を紹介してくれました。
なかには『雪ふるまち』を見てくれてデザインの依頼をくれた方もいましたね。
大きなところだと2022年5月にはTSUTAYAを運営するトップカルチャーさんのドキュメンタリームービーを制作させていただきました。
新潟のサッカーチーム「アルビレックス新潟」のトップカルチャーサンクスデーの際に、ビッグスワンの大型ビジョンで放映されたのは嬉しかったですね。
ジンボ
フリーでも大活躍、素晴らしいですね。
移住前に想像していたイメージと、いま実際に移住してみての率直な感想を聞いてみたいのですが。
芳川さん
そうですね、仕事という面で考えると想像以上に充実しています。
東京にいたらできなかったおもしろい仕事もたくさんできていますし。
このままの状況をあと2〜3年は続けていきたいなぁと考えています。
最近では色んなことをやりすぎて、体力的にしんどいと感じるときもありますが(笑)
ジンボ
プライベートにはどのような変化がありましたか?
芳川さん
ストレスが極端に減りましたね。
通勤もないし、人混みもないし。
あと趣味のスキーやキャンプへのアクセスが容易になったのは最高ですね!
冬場は前日に天気予報を見て、調子よさそうなら朝7時に起きて3時間滑って午後から仕事、なんてこともできちゃいますし。
東京にいた頃は、キャンプに行くにもレンタカーを借りたり、道が混んでたりでキャンプ場に到着するのが夕方になることがよくありました。
でも今は車は家にあるし、キャンプ場までは約1時間で行けちゃうので、午前中からキャンプが楽しめるんですよね。
趣味に対するフットワークが軽くなったのは大きいですね。
デメリットがあるとしたら……自宅でずっと仕事をしているので、ダラダラしちゃうことくらいですかねぇ(笑)
ジンボ
たしかに。わかります(笑)
それでは最後に移住を考えている同世代、また少し若い世代の方々にメッセージをお願いします。
芳川さん
僕も最初は不安でした。
なんだかんだいっても、東京って最先端な情報が集まるじゃないですか?
田舎にいて目に映る情報量って、東京の100分の1くらいだと思うんですよね。
そこから離れてもクリエイターとして成長し続けることって可能なのかって……。
でも、コロナ禍でテレワークが広く普及したことで、東京との繋がりが保てるようになったんです。
さらに僕の場合は東京の会社に所属していることで、地元にいながら東京クオリティーの仕事ができるのもありがたいと思っています。
継続してクリエイターとしてのスキルを高めることもできているので、当初感じていた不安は払拭されたと感じています。
そのために東京にいるとき以上に情報収集には力を入れています。
ジンボ
さすがですね。
芳川さん
それとやっぱり地方にいることで、地方でしかできない仕事ができるのは魅力ですね。
いい意味で地方って狭いと思うんです。
ちょっとでもおもしろそうなアクションを起こせば、それをきっかけに色々な人とフットワーク軽く繋がれる……。それがまた次の仕事に繋がっていくことがよくありますね。
「狭いけど速い」。これも地方ならではの魅力かと。
自らの生活をより豊かにするために、新潟で暮らすことを選んだ「にいがたライフハッカーズ」。そんな彼らの生活を彩る新潟のモノ・コト・ヒトについて、とっておきの「ニイガタライフハック」をお聞きしました。
仕事柄自宅で作業をすることが多いので、週末は外に出かけたくなります。自然豊かな新潟には趣味のキャンプやスキーができるスポットがすぐ近くにあるので、妻や友人と、時には一人で、リフレッシュをしにいろいろな場所に出かけます。
2021-22シーズンは毎週のようにスキーをしに行きました。雪の降った次の日はパウダースノーを求めて、人の少ない平日朝イチにゲレンデへ行き、一滑りしてから仕事をすることも。雪国新潟にいるからこそできる贅沢ですね。今年の冬も楽しみです。
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