2014.06.18 掲載
イタリア語講師(まちなか応援マネージャー)
石本史子さん
34歳 三条市在住
三条市出身。高校卒業後、進学のために上京。大学在学中に何度かイタリアへ行き、卒業後はイタリア食材を扱う商社に就職。数年間の勤務後、イタリアに留学。その後新潟へ帰郷。さまざまな仕事を経験したのち、現在は新潟県三条市の商店街にある交流施設「みんくる」のマネージャーとして地域を面白くする活動を行っている。
高校生だった当時は地元をつまらなく感じて、テレビや雑誌などから発信される「都会にあこがれ」を持った、普通の女子高生だったと思います。「カワイイ洋服が売っています」、「代官山では美味しいワッフルが食べられます」、そんなマスコミからの情報と、東京の自由な雰囲気にあこがれていました。「進学」の原動力に「都会へのあこがれ」が大きかったといえます。すでに、姉が首都圏に住んでいたこともあり、東京でいろんな刺激を受けて来なさいと、むしろ進学に対して親からの反対はありませんでした。
東京での学生生活はとても刺激的で楽しいものでしたが、大学在学中に一ヶ月程行ったイタリアに、すっかりハマってしまいました。イタリアの空気、色、人、すべてが私にとって新鮮な驚きとともに、居心地の良さが感じられたのです。そのこともあって、卒業後はイタリアの食材を扱っている商社に就職。ワインやパスタなどのイタリア食材の販売を行っていました。でもイタリアで生活したいと、2年程で会社を辞め、あらためて、留学というカタチでイタリアに行くことにしました。
イタリアで生活を始めて、あらためて感じたのがイタリア人のホスピタリティでした。イタリア人の思いやりや、やさしさに触れ、どんどん好きになっていきました。それと同時に、出会った、イタリア人や日本人にとても縁を感じました。大学も全国のさまざまな地域から入学してくるので、学内での出会いもあったのですが、イタリアで出会えた多くの方との繋がりが外国ということもあって、自分のモノの見方を大きく変えました。いままで自分が見てきたのは、モノクロの世界だったと思うほど。日本に居るときは気付かなかったのですが、いろんな考え方の人がいることを実感しました。すべての繋がり、その場所での出会い。偶然のように感じても、出会いは『縁』。そんな思いから私が三条市に生まれたのも『縁』なんだと考えるようになり、新潟に帰ろうと思う様になりました。自分の頑張る居場所は、地元三条でいいんじゃないかな?と思う様になったのです。
地元で自分の経験を活かしたいと考えるようになり、2年前から関わっているのが、三条市の「みんなのまち交流拠点 みんくる」の運営です。「みんくる」は三条市の中心市街地・一ノ木戸商店街にある交流拠点で、将来開業を目指して、物販や飲食店を目指すチャレンジショップやワーキングスペースとして活用することができる、市民の交流施設です。そこでマネージャーとして施設を運営させて貰っています。若者に限らず、さまざまな年齢の方から活用して貰えるように週末はイベントを企画し、情報発信も定期的に行っています。もともとこの場所は歴史のあるお米屋さんで、奥にある煉瓦づくりの建物はお風呂屋さんでした。東京駅と同じ大正時代に建てられた建物で、100年ほどの歴史があります。そんな歴史にも触れてもらえるとうれしいです。起業を考えている方がいれば、ご相談に乗りますのでいつでもご連絡ください。
地元には両親も含めて家族がいるということが、大きいと思っています。学生時代の友人も大切です。それこそ、休みの日は地元に戻って来た人たちと、食事に行ったりします。燕三条地域の若手農家でつくる燕三条イタリア野菜研究会があり、そこでも新しいことを始めている若者もいます。そういうところからも刺激を貰っています。
今は小さな子どもがいるので、その子を満員電車に乗せたり、自然、四季を感じづらい都内で生活させることにも、抵抗がありました。子どもは地域が育ててくれると、感じています。私が地元に住んでいた時も、隣のおばさんやおじさんに声を掛けて貰ったことを思い出すと、両親以外にも地域が私を育ててくれたように思います。地元の良さ、人の縁を三条で活かしていきたいと思います。
今、首都圏で頑張れる人は、どんどんがんばって欲しいと思います。でも、少しでも悩んでいる方がいれば、あらためて地元を見つめてみると、いろんな発見があるので、一度帰ってくるのも選択肢だと思います。それこそいろいろな考え方があるのですから、自分らしい居場所が地元だというのも、考え方のひとつだと思います。だってここで生まれたのですから。
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