2013.04.04 掲載
美容院「HAIR Garden」オーナー
小林康弘さん
37歳 上越市在住
上越市生まれ。高校卒業後、都内の美容学校へ進学。卒業してからは、代官山の美容院で3年間経験を積み、24歳でUターン。上越の美容院で4年程勤めた後、28歳の時に独立。現在の場所にお店を開き、今年で10年目を迎える。
中学生の時に、姉に連れられて初めて美容室で髪を切ってもらい、今までとは全く違う髪型になった自分を見て、美容師にあこがれを持つようになりました。それからというもの、ずっと同じお店で髪を切ってもらうようになり、高校生の時にはオーナーに相談して、掃除や接客などのアルバイトもさせてもらいました。高校生だった私にお客様がやさしく声を掛けてくれたことが嬉しく、今思えばこの経験も美容師を目指すきっかけになったのだと思います。
その美容院で3年程アルバイトをした後、美容師になりたいと両親に話したのですが、最初は猛反対されました。当時、実家は兼業農業で、土日は勿論のこと、帰ったら家を手伝える仕事を選んで欲しかったようです。美容師は土日は休めませんし、夜も遅い職業であることが反対の理由だったのかもしれません。
なんとか両親を説得して、都内の美容学校に進学させてもらい、卒業した後も3年間代官山の美容院で働きました。24歳の時に上越にUターンして地元の美容院に勤め、28歳の時に独立。今の場所に念願だった自分のお店「HAIR Garden」をオープンさせました。
また、妻とは上越にUターンして勤めたお店で出会い、「HAIR Garden」をオープンさせる一年前に結婚しました。ふたりで頑張れたのでここまで来られたのだと思います。
東京から地元に戻ってきたばかりの頃は、ずいぶん自分の中で葛藤がありました。美容師はファッションの業界なので、流行に敏感でなくてはなりません。東京にいれば、時代の流れをすぐに感じ取れる。一方で地元には愛着があり、自分自身の生きるベースがあると思う。若かったからかもしれませんが、「東京にはあって、新潟にないもの」、逆に「東京にはなくて、新潟にあるもの」という漠然としたものにこだわり、仕事をする上で何か満たされないものがありました。自分ひとりで何かがしたい、独立して社長になりたいという思いもあってこの職業に就いたのですが、モヤモヤしたものを抱え、足りない何かを探す日々が続きました。
モヤモヤしたものがふっ切れたのは、地元にいながらも、色々な髪型やファッションを勉強してお客様に提案し、より満足していただける美容師になりたいと本気で思うようになってからです。それからは、月に1,2回は東京に行って勉強し、新しいカット技術はもちろん、ファッションブランドや店舗ディスプレイ、街を歩いている人達からも吸収しています。ファッション誌やインターネットで勉強することもできますが、その場所で肌で感じないと分からないことがたくさんあるので、お店のスタッフにも積極的に勉強に行かせています。
最近は、夢を持つ若い人が少ないと思うことがあります。若いお客さんと話をすると、よい会社に就職するために何となく進学することが目標になっていて、何かになりたいということが無いような気がします。夢や目標がないと、何をすればいいのか分からなくなるので、ぜひ夢を持って前進してほしいと思います。
若い時は誰でも悩みますし、不安にもなります。途中で夢破れることもあるかもしれませんが、それでも頑張れば必ず何かを掴めるはずです。新潟には、都会にくらべて足りないものがまだまだあるので、チャレンジできる可能性が沢山あると思っています。
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