2024.05.28 掲載
渡邉 泰治さん
魚沼市横根地区
◎活動開始
2016年10月
◎経歴
・出身:埼玉県
・東京で広告代理店に30年勤務し、早期退職制度を活用して退職。偶然の出会いに導かれ、2016年10月に魚沼市横根地区に着任。地元産「よこね米」のブランド化を中心に活動し、19年9月の退任後は魚沼市の地域おこしアドバイザーとして、魚沼の関係人口創出に努めている。
◎世帯構成
一人暮らし(家族は東京在住)
「さて、何をしようか」。54歳で早期退職した渡邉さんは、次の進路を決めかねていました。退職後の1年間は、かねてからの約束通り、奥様に家事全般を教えてもらいながら、「何かできそうだ」と「何者でもない自分」の二つの思いが交錯。ある日、「再就職もピンとこないし、東京にいる必要もないと感じている」と友人に打ち明けたところ、有楽町の交通会館に移住相談窓口があると教えてもらい、その足で訪問。すると、ちょうどその日、魚沼市地域おこし協力隊の募集説明会が開催されていたのでした。
魚沼市についても、協力隊という制度についても知らなかった渡邉さん。たまたま居合わせた横根地区の初代地域おこし協力隊員から熱く強く語りかけられ、たちまち県のインターン制度で1か月滞在することを決めていました。2016年初夏、入広瀬の古民家に宿泊しながら、茅葺屋根を修復するという人生初の経験をすることに。「それまでの価値観が一転する、いわゆるOSが書き換わるような感覚にとらわれました。全く知らない世界だけれど、こういう暮らし方もあり!」と思った渡邉さんは移住を決意。2016年10月に赴任しました。
赴任した魚沼市横根地区は、標高300mに位置する中山間の集落です。魚沼コシヒカリの産地ですが、農家の多くは高齢化が進んでいました。協力隊としてのメインの任務は、横根産コシヒカリをテコとした地域活性、つまり「よこね米」のブランド化を進めて横根地区の魅力を知ってもらい、地域外に横根のファンをつくることでした。
渡邉さんが考えたのは参加型の米作りです。おいしい米を買うだけでなく、1年を通して田植えや稲刈りなどの農作業に関わり、地域の行事や祭りに参加したら、愛着が高まり交流が根付くはず。「それに自分で作った米がおいしいければ、他の人に自慢したくなるし、食べさせたくなる。これ以上の宣伝はありません」。そこで、1口3万円でよこね米30キロのオーナーになれる『米のオーナー制度』を発案。地域と協力して約20アールの圃場を確保して制度をスタートさせました。
オーナーになった人を集落全体で受け入れ、おもてなしをする『米のオーナー制度』は好評を博しました。個人だけでなく、研修の一環としてこの制度を活用する企業もあり、波及効果も上々。「それだけでなく、オーナーの中から2名が協力隊で魚沼に来てくれました。一人が三代目として私の後任に、もう一人は会社を早期退職後に別の地域に着任しています。うれしかったですね」。
渡邉さんは協力隊退任後、魚沼市の初代地域おこしアドバイザーに就任。協力隊のサポートのほか、現在では魚沼市全域に守備範囲を広げ、関係人口の増加に力を注いでいます。「人を引き付けるには、自然が豊か・食べ物がおいしいだけでは足りません。人が興味を持つのはやっぱり『人』。人との出会いこそ人を動かすのだと思います。私自身がそうでした。横根の初代協力隊や茅葺屋根の職人との出会いがなければ、ここに来ていなかったでしょう」。
渡邉さんは、イベントや講座などの機会に、東京でのキャリアを手放し、なぜ縁もゆかりもない魚沼に来たのか、そして、どのように新たなキャリアを築いているのかという自身の経験を伝えています。「水先案内人のようなものですね」と語る渡邉さんが狙っているのは、セカンドキャリアを模索しているミドルシニア層。「この動きはまだ他にはありません。チャンスだと思っています」。
渡邉さんの魚沼暮らしは8年目になりました。『魚沼・大人の気づきの里』をコンセプトに、東京で閉塞感や将来への漠然とした不安を抱えている人に、東京以外にも生きる場がある、効率や便利さ以外の価値観があることに気づいてほしいと渡邉さんは考えています。「東京の引力圏を離れると見えるものがきっとあります。だから、何をしようとか、できるかとか考えすぎずに、まずは動いてほしいです。人や課題と出会うことで、新しいことが始まるのではないでしょうか」。
そうはいっても不安だという声には次のようにアドバイスをするのだそうです。「それまで培った知識や専門性、スキルは新しい場所ではすぐには役に立たないかもしれません。が、社会人としての経験、たとえば段取り力やコミュニケーション力は必ず活きます。協力隊や移住のハードルが高いなら、まずは交流イベントやインターン制度を利用して出かけてみましょう。もちろん米のオーナー制度もおすすめですよ」。