2023.07.24 掲載
神田 圭奈さん
胎内市
◎活動開始
2017年4月
◎経歴
・出身:埼玉県秩父市
・専門学校卒業後、東京の映像制作会社に就職。消耗する生活を脱しようと転職&地方移住を決意。胎内市の地域おこし協力隊に応募。3年間で「軸ができた」と実感し、任期終了後も胎内で暮らし、観光振興推進サポーター、NPOの代表を務める。
◎世帯構成
一人暮らし
東京で、目指していた映像制作の仕事に就いた神田さんですが、仕事に悩みを感じるようになっていました。「次から次へと仕事を任され、時間に追われて、手応えを感じる余裕がなくなっていたんです」。消耗していると感じた神田さんは転職しようと決意します。
「ちょうどその頃、仕事も欲しいモノも自分で作れば心豊かに生きていける、と書かれた本に出会い、単なる転職ではなく、新しい場所で何かを創り出す仕事をしたいと思うようになりました」。サイトで地域おこし協力隊の存在を知り、「全国移住女子サミット」に参加して先輩と出会い、その力をもらって、新潟県への移住を目指すことにしました。埼玉にはない海と雪へのあこがれ、食の豊かさ、埼玉からのアクセスがいいことに加え、「行政の方が『一緒に成長していきましょう』と言ってくださったのが心強くて、胎内市に決めました」。神田さんは2017年4月に胎内市に着任しました。
新潟県の北部に位置する胎内市は、米はもちろんチューリップの生産地としても有名です。神田さんは山間の鼓岡集落に暮らし、周囲の2集落も合わせたエリアで活動を行いました。中でも力を入れたのは、地区が特産化を目指しているマコモダケのPRと販路拡大です。「隣に住む大家さんが栽培していたこともあり、地域のマルシェで販売したり、収穫体験イベントを開催したり、新潟市の飲食店とコラボしてメニューや加工品を開発したり、いろいろな機会でアピールしました」。
それ以外にも、地域の夏祭りや「お茶のみサロン」の企画・開催、フリーペーパー「かのん」の制作、田舎暮らし体験のインターンシップに参加する大学生のサポートなどを通して、地域の人たちと交流を深めながら、神田さんは活動を続けました。「周囲の人を巻き込んで楽しい方向に進み続けた3年間でした。協力隊だからできることは一生懸命やってきましたが、最初に思い描いていた『仕事をつくりだすこと』はまだ。自分自身で生活できる力を付けたいと思いました」。神田さんは胎内への定住を決めました。第二章の始まりです。
2020年4月、神田さんは胎内市の観光振興推進サポーターに就任。今度は胎内市全域に守備範囲を広げて、観光振興によって地域を活性化する役割を担うことになりました。観光PR誌「いろどり胎内」の編集、移住体験イベントや胎内らしいアクテビティの企画・運営など行っています。「もともと胎内はスキー、海水浴、釣り、川遊び、パラグライダーなど多彩なアクテビティが楽しめるので、ここをもっと打ち出していこうと思っています」。
新しく企画した一つに「棚田SUP」があります。ハワイ生まれのマリンスポーツを田植え前の水を張った田んぼで行うという、なんとも楽しいアクテビティです。「農家さんに話してみたら面白そうじゃないかと快く田んぼを貸してくださって」と神田さん。周囲の理解や協力は、地域おこし協力隊の3年間の交流があったからこそ。地域に溶け込み、築いてきた関係性をこれからも胎内の活性化のために活かしていきたいと神田さんは考えています。
神田さんの胎内暮らしは6年目を迎えました。「私は地域おこし協力隊としては、特別なこと、すごいことをしてきたわけではないんです。集落の人と関わって、楽しみながら自分ができることをやってきただけ。それが徐々に育って、他の人とつながって、今があるという感じです」。だから、協力隊を目指す人へのメッセージは「気負わずに」だと言います。
「山奥の一軒家に一人でいて、孤独だなと感じる夜もありました。それでもなぜここにいるかといえば、ここにいる自分が一番しっくり感じられるから。自分の軸ができたと感じています」。楽しむことが仕事に繋がり、自分のやりがいや成長にもまる――それはまさに神田さんが目指していた「自分の時間をお金と交換するのではなく、自分で仕事をつくり、自分らしく生きる」こと。胎内という自らが選んだ故郷で、神田さんの時間は続いていきます。