2023.03.27 掲載
鎮野 晃輔さん
小千谷市上片貝
◎活動開始
2020年4月
◎経歴
・出身:神奈川県
・大学卒業後、業務用厨房機器メーカーに3年間勤務して退職。地方移住を視野に、地域おこし協力隊を志望して北海道から四国までを回り、新潟県小千谷市を選択。
◎世帯構成
ひとり暮らし
学生時代にファミリーレストランでアルバイトをしていたことがきっかけで厨房機器メーカーの営業職に就いた鎮野さん。お客様の多くは外食産業で、メンテナンスは営業時間外に行われるのが一般的。現場に立ち合おうとすると仕事が深夜に及ぶことも少なくありませんでした。時間に追われ、人との関係にも疲れ、鎮野さんは地方移住を考え始めました。とはいえ、いきなり移住するのはハードルが高い――調べていく中で、地域おこし協力隊の存在を知ります。「いろいろな地域で募集があり、仕事と住宅を一緒に見つけられるのがいいなと思いました」。
2020年冬に移住のイベントに参加し、偶然、小千谷市のブースを見つけました。「おいしい米や枝豆、錦鯉の産地だと知っていたので、ちょっと話を聞いてみようと思いました」。
実は、この時点では鎮野さんの気持ちは北海道での酪農に傾いていました。
北海道から四国まで、イベントで興味を持った地域を回った鎮野さんが小千谷市上片貝地区を選んだ理由は「人」でした。「イベントの担当者も、下見に来た時に案内してくれた人も、その時に知り合った人もみんなウエルカムな雰囲気で『ぜひ一緒に仕事をしよう』と熱心に誘ってくれたんです。前職で人と人の関係の難しさを実感していたので、みなさんの温かさや前向きな雰囲気が心に沁みました。ここで頑張りたいと思い、応募しました」。
上片貝集落は小千谷市の南部にあり、80世帯の三分の一が農業に従事する農村部です。地域おこし協力隊にも農業を中心としたサポートを求めていました。鎮野さんは2人の世話人にイチから教えてもらいながら地域内の稲作に従事しました。予想以上に大変だったのは夏の草刈りです。棚田では、除草剤で根まで枯らしてしまうと畔が崩れるので手作業になり、「普段何気なく食べていた米はこうして栽培されるのか、無茶苦茶手が掛かっているじゃないかと、驚くことばかり。米の一粒一粒に神が宿ると言われるのがわかりました」。
住居裏の田畑では米や野菜を自作しました。「1年目の米はみんなには『そこそこの出来だ』と言われましたが、自分的にはものすごくおいしかった。枝豆や夏野菜も作って神奈川の家族に送ったら喜んでもらえました」。
鎮野さんが暮らす8LDKの一軒家には、集落の人がしばしば立ち寄ります。野菜やおかずを届けてくれたり、様子を見に来てくれたり、「飲むぞ-」と誘いに来たり、それ以外にもちょっとした頼み事をしてくることも。「パソコンできる?とか、行事を知らせる気の利いたチラシを作ってよとか言われて、気が付いたら一緒に動いていました。このおかげでスムーズに地域に溶け込めたと思っています」。赴任1年目の夏から、祭りの実行委員会のメンバーに加わり、花火大会やウォーキング大会など町内イベントの実施にも参加してきました。
「上片貝には、自分たちが暮らす地域を盛り上げて楽しもうという気運があって、とにかくみんな前向きで積極的。この楽しい雰囲気に巻き込まれちゃいました」。活動の一環で大型自動車やフォークリフトなどの免許を取得し、農作業にはもちろん、町内行事でマイクロバスを運転するなど地域のために活用しています。
ほどなく地域おこし協力隊としての任務期間が終わろうとしていますが、鎮野さんはこのまま上片貝で暮らしたいと考えています。「住んでみて、上片貝の人たちの魅力がより深く分かったからです。困っていると周りが助けてくれる、やりたいと思うことは実現するまで粘り強く頑張る、大人が真剣に楽しもうとする。こんな場所はそうそうないと思います。それに、『いなくなると寂しくなるなあ』なんて言われたら帰れなくなっちゃいますよね」と笑顔を見せます。
鎮野さんが移住の条件として一番に挙げるのは「人」です。どこへ行っても、暮らしは人と人の関係で成り立っていると考えているからです。だから、これから地域おこし協力隊を目指す人へのアドバイスとして、大切なのは地域と仲良くすることだと言います。「自分ができること、やりたいことをするのはいいのですが、まずはしっかりと関係性を築いてから。土台を作ってから活動を広げていくと、思っている以上のことができるようになります。僕自身、この3年間で得たものは、一生かかっても手に入れられないものだと今、感じています」。第二の故郷を見つけた鎮野さんの小千谷での暮らしが続いていきます。