2026.10.23 掲載
竹林 莉菜さん
胎内市
所属:胎内市地域おこし協力隊
着任時期:2025年4月
活動内容:開志国際高校・新潟食料農業大学と地域との連携促進、
学生活動の応援
出身:岡山県
趣味::お散歩、ライブに行くこと、美味しいご飯を食べること
(お芋や栗系が大好きです!)
岡山県で生まれ育った竹林さんは、高校卒業後は就職することを前提に、「地元での就職に強い」という理由で畜産や米、野菜づくりなどを学ぶ農業高校に進学されました。
「早く就職したい」と思っていた理由を聞いてみると・・・?
竹林さん:「自分で使えるお金を増やしたくて笑。私は生粋のオタクなんですけど、小中高って、親からもらうお小遣いやアルバイトで得られるお金って微々たるものじゃないですか。ライブにもなかなか行けないし、イベントにも行けない。だから、早く自立して、自分で自由に使えるお金を手に入れようって。」
そんな「生粋のオタク」を自称する竹林さん。
幼いころから、アニメや舞台などジャンルを問わずさまざまな作品を楽しんでいたそうです。
竹林さん:「小学生の頃、劇団が学校に来ることってあったじゃないですか。それを観て『すげーーー!』ってなって。その後、中学生になると3DSをもらって、YouTubeを観るようになって。『世の中にはこんなに面白いものがあるんだ!』って思って、そこからオタクの人生が始まったんです。」
そして高校時代には、舞台が好きだったことをきっかけに演劇部へ。
当時は部員が少なく、廃部寸前(!?)だったという演劇部。そんな状況だったからこそ、竹林さんは演者だけでなく、音響や照明などの裏方まで、一通りすべての役割を経験することになりました。
そして一度、演者として舞台に立った際にあることを思ったそうで・・・?
竹林さん:「声も張れるし、演技もできるっちゃできるんですけど、好きじゃないかもって思って。
何かこう、楽しんだりとか、演じたりしてるのを一歩引いたところから見て、支えるっていう方が楽しいって思うってことかな。前に出るのも、やればできるんだけど、進んでやろうとは思わないというか。」
演者として前に立つよりも、一歩引いた場所から全体を見ながら、舞台を支える。そんな「裏方」の面白さに気づいたことが、その後の進路を大きく変えるきっかけになりました。
当初は「早く就職して、自分で自由に使えるお金を増やしたい!」という理由で農業高校へ進んだ竹林さん。
しかし、高校生活の中で見つけた「音響や照明をもっと学びたい」という思いから、卒業後は音響・照明を専門的に学べる専門学校へ進学することに。
演劇部での活動を通じ、竹林さんは、自分が「前に出る」よりも、
「一歩引いたところから誰かを支える」ことに楽しさを感じることを知っていきました。
そして、このときに見つけた「支える側の楽しさ」は、
現在、学生のサポートに取り組む協力隊活動にもつながっていくことになります。
そんな竹林さん、専門学校卒業後は学んだことを活かしたい、という思いで
イベント・ケーブルテレビ局・地域の保守業務など幅広い事業を手掛けていた会社に就職。
竹林さんは2年間ほど照明・音響・舞台監督などを担当されていました。
その後、別の部署へ異動したタイミングで、
竹林さんは退職を決意します。その理由は、なんと・・・
「ここにいたら、私の『好き』が好きじゃなくなってしまう!!」
と思ったから。
「『好き』が好きじゃなくなる」とは、一体どういうことなのでしょうか……?
竹林さん:「好きなことを仕事にすると、しんどいっていうのが一番大きかったかなと思って。好きなアーティストのライブに行ったときも、アーティストを見ずに照明とかを見ちゃう癖がついちゃって。『面白くないな』って思ってしまったんですよね。
『アーティストを見るためにライブに来てるはずなのに、なんで私、照明の動きを見てるんだ?』って感じになっちゃって。それは人生、面白くないんじゃないかなって思って辞めました。まだその職業病は抜けてないですけど。笑」
「好き」を仕事にしたからこそ、改めて気づいた「好き」の大切さ。
仕事として関わるからこそ見えるものがある一方で、ただ純粋に楽しむからこそ見える景色もある。
そんな経験をした竹林さんは、自分らしく「好き」を楽しみ続けるために、仕事と「好き」との距離を見つめ直すことにしたのでした。
こうして会社を辞めた竹林さんですが、そこからどのようにして胎内市の地域おこし協力隊になるに至ったのでしょうか?
実は前職の頃、地域おこし協力隊を特集する番組の制作に携わっていた竹林さん。
その際、そこで知り合った協力隊員から
「あなた、協力隊に向いているんじゃない?」と言われたことを、
退職後にふと思い出したそうです。
そこで退職後は、旅行を兼ねてさまざまな地域を訪れ、協力隊の現地見学にも参加。その中で新潟県内の募集を見ていた際、たまたま見つけたのが胎内市でした。
竹林さん:「胎内市のチラシの書き方が、『現地見学、いつでもいいですよ~。日程も合わせます!』って感じだったんです。他の自治体は『〇日と〇日です』みたいに日程が決まっているところが多くて。」
そんな経緯から、胎内市を訪れることになった竹林さん。
そして迎えた現地見学当日。待ち合わせ場所だった中条駅に降り立つと、
なんと、市職員の方や受け入れ先団体の方、現役の協力隊員など、総勢5名もの方が出迎えてくれたそうです。
竹林さん:「現地見学って1日がかりなんですが、5名もの方が私のために1日を空けてくれて。協力隊になるとも決まっていない人に、こんなに時間を使って大切にしてくれる場所なら、これからもきっと楽しく過ごせるだろうなと思ったんです。」
その時点で、すでに気持ちは固まっていたのかもしれません。
そして、胎内市を選んだ大きな決め手はもう一つあったそう。
竹林さん:「地元と似てるんですよね。地元には海はないんですけど、山、川、森はあるし、交通の面でも似ていて。ちょっと出れば都会だし、ちょっと中に入れば山がある。でも車があればそんなに不便じゃない、みたいなところが地元とすごく似ていて。私は車も運転できるし、『ちょうどいいやん』って。」
岡山で生まれ育った竹林さんにとって、胎内市は初めて暮らす場所でありながら、どこか「知っている場所」のような感覚があったのかもしれません。
現地見学を終えた竹林さんは、その帰りの電車の中で履歴書を書き、そのまま応募。その後ご縁があり、採用✨
こうして竹林さんは、胎内市の地域おこし協力隊として、
新たな一歩を踏み出すことになりました。
昨年の4月から胎内市の協力隊として活動を始めた竹林さん。
現在は主に、開志国際高校と新潟食料農業大学の学生を中心に、
学生と地域をつなぐ活動に取り組んでいらっしゃいます。
開志国際高校の生徒に向けては、胎内市の魅力や地域の取り組みを知ってもらうための広報誌を作成。
新潟食料農業大学の学生とは、地域の子どもたちに向けたお料理教室を定期的に開催しているほか、毎週木曜日には市内の交流センターで「むすびね」という居場所を開いています。
「むすびね」には大学生や地域の方々が集まり、世代や立場を越えて交流できる場となっているそう。
ちなみに、「むすびね」は市外・県外の方も利用OKなので、
気になった方はぜひ足を運んでみてください。
このように、学生たちが地域を知り、地域の人たちと関わる。そのきっかけをつくることが、竹林さんの現在の活動の大きな柱となっています。
そして、様々な活動の中でもお料理教室は特に力を入れているそうで・・・?
もともと食育・フードロスに関心のある食料農業大学のある学生さんから、
「子どもに向けたお料理教室をやってみたい!」という要望を受け、
それを形にすることで始まったお料理教室。
これまでに小学生を対象に、長期休みやハロウィンなど、
イベント時期に合わせて4回開催されました。
昨年の秋には、アレルギーについて知ってもらうことを目的に、米粉ピザづくりを実施。
微細米粉発祥の地でもある胎内市ならではの食材を使いながら、楽しんで料理をすることを入り口に、アレルギーについて考えてもらう機会をつくったそうです。
そして、料理教室を開催する中で竹林さんが特に大切にしていることがあります。
それは、「子どもに指示をしない」こと。
竹林さん:「おうちで料理をすると、親御さんから『こうしなさい、ああしなさい』って言われるじゃないですか。ここは家じゃないからこそ、まず『料理って楽しい』っていうのを感じてもらいたくて。」
そう考えるようになったきっかけには、ある出来事がありました。
ピザを作る中で、具材の乗せ方や組み合わせがとても独創的な子がいたそう。
竹林さん:「『それ、多分おいしくないかも(笑)』って思いながらも、楽しそうだしなぁって。口を出そうか迷っていたら、一緒に企画した大学生の子に『楽しそうなんで、いいんじゃないですか』って言われて。」
その一言に、竹林さんはハッと気づかされたそう。
竹林さん:「そこで、おせっかいってやらないほうがいいこともあるんだって。もし失敗したとしても、結局みんな自分で作ったものを楽しそうに食べるから。自分が思っているより、心配しなくてもいいんだなって。」
それ以来、子どもたちへの接し方にも変化が。
竹林さん:「子どもたちがいつでも声をかけられる位置にはいるけど、危ないことをしていない限りは口を出さずに、まず自由にやらせてみる。それを大事にしています。大学生から学んだことですね。」
子どもたちに料理を教えることを通して、竹林さん自身も、学生さんとの関わりの中で新しい気付きを得ている。そんな素敵な場になっているお料理教室は、リピーターの方も多いそう✨
料理教室一つをとっても、子どもたちと関わる中で工夫をこらしている竹林さん。そんな竹林さん、協力隊の卒業後は大学生と一緒に駄菓子屋を開きたいとのこと!!
竹林さん:「駄菓子屋っていう空間がもともと好きで。で、胎内市に駄菓子屋さんがなくなっちゃったから、じゃあ自分が作ればいいんじゃないかって。大学生にも協力してもらって、レイアウトや何を売るかっていうのを一緒に考えて、みんなで作ってみんなの居場所になるような駄菓子屋を開きたいです。」
そしてなんと!既に駄菓子屋となる家の候補は決まっているよう。
今後は、竹林さんがそこに住みながら、大学生にも店主をやってもらったり一緒にDIYをしたり。そしてその様子をSNSで発信できたら!と考えているそう。今はまだ企画段階だそうですが、協力隊3年目となる来年頃から実現に向けて動き出す予定とのことです。楽しみですね!
岡山で生まれ育ち、一度は好きなことを仕事にするも、
そこに違和感を覚えて退職。
そして胎内市で地域おこし協力隊になり、
未経験の「教育」の分野に挑戦し、地域に根付いて学生さんと関わる日々。
竹林さん:「協力隊になるまで、教育に関わることなんて何もやったことがなかった。でも、やってみてすごく自分に向いているなと思います。
あとは、実際の教育現場を知らないからこその距離感を作れる。
教員の方からするともしかすると邪道なやり方をしているかもしれませんが、だからこそできることもある。
胎内市の大学生と向き合うには、理論や理屈でうだうだやるよりも体当たりの方があっているというか。」
本心を隠さずに、本音で学生と関わる。
だからこそ、学生も竹林さんに心を開いていくのかもしれません。
一方で、竹林さんは「寄り添う」という言葉には、少し違和感があるといいます。
竹林さん:「『学生に寄り添ってますね』って言ってくれる方もいるんだけれど、少し違う。私の中の『寄り添う』ってもう隙間なくくっついてますよって感じがしていて、それが嫌で。
私は距離を一歩空けて、大学生からも私からも『ねぇねぇ』って言える距離に立ってる。けど体当たりはしてるみたいな。矛盾はしているんですけど。」
近すぎず、遠すぎず。必要なときには一歩踏み込むけれど、学生自身が動く余白も残しておく。
そんな絶妙な距離感で学生たちと関わっている竹林さん。
その姿勢には、高校の演劇部時代から続く、「一歩引いて支える」というスタンスも重なります。
また、竹林さんは「前例がないことをやってみる」ことを大事にしているそう。そして、それは今関わっている大学生にも伝えていらっしゃいます。
竹林さん:「自分自身、前例がないことも結構やってきたからっていうのも大きいのかもしれないですね。毎回参考にはしなくてもいいけど、一個の例として、私のような大人もいるんだな、って受け取ってくれたらって思っています。
『やりたいことはあるけどできないかも・・・』って思ってる子たちは結構いると思うんですけど、
『ないなら作ってみよう!やってみよう!』っていう精神の人で賛同してくれる人もいるよっていうのはこれからも伝えていきたいですね。」
その時々で、「こうすべき」よりも「こうしたい」という自身の気持ちに正直に人生を切り開いてきた竹林さん。
前に出ることもできるけど、でも自分は一歩引いたところから人を見て、支えるほうが好き。
そうやって、高校の演劇部時代から自分の「らしさ」を見つめ続けてきた竹林さんだからこそ、学生たちにも「あなたはあなたのやり方でいい」と伝えられるのだろうなと思いました。
これからも、前例がなければ自分でつくる。
面白そうなら、まずやってみる。
そんな竹林さんの「やってみた」の先に、また新しい誰かとのつながりが生まれ、その背中を見た学生が、また一歩新しいことに挑戦していく。
「自分の気持ちに素直に、やってみる」。
そんな輪が、胎内市から少しずつ広がっていくことが
これからも楽しみです。
竹林さん、インタビューのお時間をいただきありがとうございました!
※本記事は2026年8月にお話を伺った内容を元にしています。