2022.01.31 掲載
上田 幹久さん
新潟県新発田市 板山地区
◎活動開始
2019年7月
◎経歴
・出身:北海道札幌市
・高校までを札幌市で過ごし、大学進学のため青森へ。その後上京し、システムエンジニアとして就労。2019年から、新潟県新発田市の板山地区で、地域おこし協力隊として活躍。
◎世帯構成
ひとり暮らし
北海道札幌市に生まれ、大学は青森県の弘前大学に進学。就職を機に上京し、システムエンジニアとなった上田幹久さんが地域おこし協力隊の存在を知ったのは、地方移住を考え始めたのがきっかけでした。
「東京でも郊外の方に住んでいましたし、職業的にも人と接する機会が少ない業種でした。このまま東京での生活を続けることに疑問を持ち始め、地方への移住を考えるようになりました。そんなときに『JOIN』というサイトに出会いました」。
JOINは全国の地域おこし協力隊の情報や移住関連の情報がまとめてあるサイトです。上田さんはここで気になった5市町村をピックアップし、実際に訪問。東京で開催された移住フェアなどにも参加したり、役場職員の話を聞き、新発田市に強い興味を持ったそうです。
「市のサイトには、先輩の協力隊の方が体験したことが事細かく書いてありましたし、移住フェアでも担当者の熱意を感じました。当初は同じ新発田市内の別の地区への移住を考えていたのですが、たまたま訪れた板山地区の優しい雰囲気が気に入り、こちらへの応募を決めました」。
「この地区は猿が非常に多くて、農産物への被害が出ています。そのため、雪がない時期の私のメインの仕事は鳥獣害対策です。罠用の檻や電気檻を設置したり、それらを整備したりしています」。
そんな上田さんが2020年の夏、板山地区周辺の全25集落が属する川東地区を対象にイベントを企画、開催しました。
「小学生、中学生を対象に、フォートナイトという人気ゲームの世界観をリアル化しようと考えました。ゲームに登場するアイテムを制作し、そのアイテムを使って遊ぶ、という二部制のイベントでした。参加者は30名ほどと、この地区としてはかなり多くの方に集まっていただけたと思います。保護者の方も10名ほど集まっていただき、『楽しかった。また開催してほしい。川東にこんなことを企画してくれる人がいてうれしい』などの声をかけていただきました。前職ではあまり人と触れ合うことがなかったので、直接感想やお礼の言葉をかけていただいたのは本当にうれしく、自分にとっては大きな体験でしたね」。
毎週地域の人と行っているソフトバレーボールや高齢者向けの健康体操など、さまざまな交流を通じて新発田愛、板山地区愛が芽生えてきたと上田さんは続けます。
地域おこし協力隊となってから2年半が経過。任期の3年まで残すところ半年となった上田さんに、どんな夢を持っているのか、お伺いしてみました。
「新発田に来る前には、スパイスカレー屋さんをやりたいと思っていましたが、新発田で働く日々の中で、新発田の役に立てる仕事に興味が移るようになりました。ですので、スパイスカレーはあくまでも『趣味』として地域の方に振る舞う程度に留め、将来的には『仕事』として新発田のまちづくりに関わっていきたいと考えています。新発田を移住者や若者が活躍できる街にしたいですね」。
地域おこし協力隊として活動する中で芽生えた板山地区、新発田市への愛着。これと「カレー屋さんをやりたい」という自分の思いをいかに融合させるかを上田さんは熟考したそうです。まずはその夢に向かって、ひとつずつステップを刻んでいきます、と上田さんは強い口調とキラキラとした目で話してくれました。
地域の方と過ごす時間が増えてきたことで、上田さんの食卓に並ぶ食材にも変化が出てきたそうです。
「カレーの材料もそうですが、この土地に来たばかりのころは、当たり前のようにスーパーマーケットで野菜を買っていました。それが徐々にみなさんから野菜をいただくようになりました。『そんなの買わないでいいから、うちにあるのを持っていきな』と、玉ねぎや大根など、ひとり暮らしでは食べ切れない量が玄関においてあることも日常的です。東京に住んでいたときは、近所の方から何かをいただくなんて考えられないことでした。最初は戸惑うこともありましたが、今では本当にありがたいと感謝しています」。
最後に、これから地域おこし協力隊を目指す人たちに向けたアドバイスを上田さんにお伺いしました。
「協力隊を希望する前にまずは自分が何をしたいのか、はっきりと目標を持つことが大切だと思います。これまで県内外含め100人ほどの協力隊の方と出会いましたが、結局都会に戻ってしまう人も少なくありませんでした。自分の人生の中の3年間をどう過ごすのかは非常に大きなことだと思います。何も考えずに来てしまうと何も得るものがないまま、3年間を過ごすことになるかもしれません。必ず目標を決めて、そのための計画をきちんと立てた上で移住したほうがいいと思います」。
移住当初、「こんなところにいないで東京に帰ったほうがいい」と高齢者から言われたという上田さんですが、今では「残ってくれるんだよね、上田さん?」と、声をかけられるそうです。自分の軸をしっかりと持ち、真摯に地域と接したからこそ、こういったコミュニケーションが生まれたのかもしれません。