2011.07.25 掲載
吉本興業お笑い芸人(バックスクリーン)
星野 和之さん
23歳 小千谷市
高校を卒業後、18年間生まれ育った小千谷をあとにし、単身上京。吉本興業グループのお笑い芸人養成所「NSC」の門を叩く。入所間もなく現在の相方とコンビ「バックスクリーン」を結成。芸歴5年を迎えた今年、同社の地域貢献プロジェクト「あなたの街に住みますプロジェクト」の新潟担当芸人として地元小千谷にUターン。家族と地域の人方々に支えられながら、地元に根を張り芸人をやれる幸せを噛み締めている。
人を笑わせることや、笑顔にすることが好きで、昔からお笑い芸人になろうと決めていました。独り暮らしも初めてのことでしたし、不安だらけの上京でした。これから芸人になろうというのですから、安心できる要素なんて一つもありませんでした。高校を卒業後、1年間養成所で稽古を積んで卒業し、芸人としてデビューしたときは、言葉にならない喜びを感じました。
デビューしてからは、ライブ中心の活動を行っていました。といっても、駆け出しの僕たちは月に2、3本、2分程のネタ見せを許されるくらいでした。それでもお客さんの前に立って仕事ができることはとても嬉しかったですね。
会社が始めた地域貢献の「あなたの街に住みますプロジェクト」の話を聞いたとき、迷わず手を挙げました。このプロジェクトは、吉本の芸人が47都道府県それぞれに住んで「住みます芸人」として、地域活性化に貢献しようというプロジェクトで、自分を育ててくれた新潟に恩返しするチャンスだと思いました。いつかは新潟で生活しながら芸人として生きていきたいと考えていたのですが、芸歴5年目で早くも実現できたので驚いています。新潟への帰郷について、相方には事後承諾だったので、かなり驚いていましたけどね(笑)
新潟県内の様々なイベントに参加して、ネタを披露したり、メディアへの出演をしています。そして、全国各地の「住みます芸人」が地元のおもしろ情報を配信する「YNN」(Yoshimoto Neta Network 毎日22時~23時)で、我々バックスクリーンも新潟の情報を配信しています。「YNN」はユーストリームを活用して、全世界に配信していますので、是非ご覧ください。
新潟での仕事で印象的だったのは、長岡の南部体育館で慰問を行ったことですね。僕は高校時代に中越大震災で被災し、避難生活を経験したことがあります。その時、芸能人の方々が訪問してくれたことで勇気づけられたことを覚えています。僕が芸人を目指すようになったのはこの経験があってのことです。東日本大震災で避難された方々に慰問を行ったときは、あの時の経験がよぎり、何だか不思議な気持ちになりました。会場のお客さんが笑ってくれている。中越大震災の恩返しができたかなと考えると同時に「新潟でお笑いをやる」という僕の夢を叶えることができたと思っています。
新潟というと食が満喫できる土地と思われる方が多いかもしれませんが、僕は新潟に住まう「人」が魅力的だと思います。地元に住んでいると、家族はもとより近所の方も応援してくれます。多くの方に支えられているとひしひしと感じることができるのは、地元ならではのことではないでしょうか。また、僕の相方は千葉から新潟に移住してきたのですが、食事をご馳走になったり、食材をおすそ分けしてもらったりと、地域の方々から何かと面倒を見てもらっているようで、新潟の人情味あふれる方々にお世話になりっぱなしのようです。
芸人を目指すと両親に相談しときは猛反対されましたが、今では応援してくれています。何をやるにも両親の後押しはとても力強いものです。何かに挑戦したい気持ちのある方は両親の応援がもらえるよう、熱意をもって説明してあげてください。また、やらないで悔やむよりもやってみたほうがいい。迷ったらとりあえず行動してみる!これがとても大事なことのように思います。
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