2023.12.19 掲載
柳都振興株式会社 芸妓
志穂さん
長野県白馬村出身。和裁士になるため新潟市の専門学校に進学。在学中、地域の文化イベントで古町芸妓の存在を知ったことがきっかけとなり、就職活動時に芸妓の道を選択。2017年4月柳都振興株式会社に入社し、5月にデビュー。休日は推しバンドの追っかけも。
【Q. 長野生まれと伺いました。】
長野県の白馬村です。母が和裁士で、自宅で和裁を仕立てていたので、私も自然と和裁関係の仕事を目指そうと思うようになりました。地元には養成学校がなかったので、新潟市の和装士養成の専門学校に進学し、国家検定「和裁技能士」を目指して勉強していました。
【Q. 芸妓を目指そうと思ったきっかけを教えてください。】
初めて古町芸妓を知ったのは、在学中に地域の文化イベントで踊りを見たときです。ただその時は、先輩たちと「すてき!」と盛り上っていただけで、目指そうとまでは思っていませんでした。しかし、卒業を前に、迷いが出てきたんです。和裁士は一人で黙々と和装を仕立てる仕事ですが、いろいろな人と関わって仕事がしたいと思うようになり、その時にはっと「芸妓」を思いだしました。調べてみると、会社に入って社員として芸妓になれるということだったので、普通の就職活動と同じように入社試験を受けました。
【Q. ご家族はどうおっしゃいました?】
内定後に「芸妓になる」と伝えたのですが、予想通り、最初は反対されました。母の頭の中では、時代劇の悪代官と芸妓のくだりが浮かんでいたみたいです(笑)。当社は、芸妓養成と派遣を行っている株式会社です。そこに社員として所属するため、社会保険も就業規則もあることを伝え、安心してもらいました。ちょうどその頃、先輩の芸妓が選挙のPR広告に出演していたこともプラスの安心材料になり、応援してくれるようになりました。
【Q. 入社前に踊りや唄は習っていましたか?】
いいえ全く。茶道を習っていたので和服を着て歩くくらいはできましたが、踊りの経験はありませんでした。楽器も学校でリコーダーをやったくらいで、入社後にゼロからのスタートです。最初の3カ月間は踊り・長唄・三味線・鼓・太鼓をみっちりお稽古。音階は独特だし、カウントもないし、最初は戸惑いました。
【Q. 一人前になるのはいつですか?】
初夏のお披露目会の後、お姐さんたちと一緒にお座敷に出る半玉、いわば研修期間を経て、いよいよお座敷に出る日がやってきます。これで一人前と思われがちですが、芸事にもおもてなしにも「ここで終了」という限りはないので、勉強は続きます。会社が設定してくれるお稽古は、踊りは月8回、長唄と鳴り物はそれぞれ月3回。それ以外に個人で習ったりもしていて、勉強が日常です。
若手の「振袖さん」としてひと通りの芸事を身に付け、「留袖さん」になるときこそ一人前と思い、精進しています。
【Q. 現在の仕事について教えてください。】
お座敷が中心ですが、踊りの会やイベントへの参加も多いです。お座敷では、踊りなど芸事を披露し、会話やお座敷遊びで座を盛り上げます。新潟の方が県外のお客様をお招きすることが多いので、県外のお客様がいらっしゃるときは、新潟のいいところもしっかりPRします。
【Q. どういうときにやりがいを感じますか?】
お客様が楽しそうにしていらっしゃるときですね。新人の頃から見ていてくださる方が、芸事の上達を褒めてくだるのも嬉しいです。この仕事を続けてきてよかったなと思います。
やりがいとは少し違いますが、踊りの途中で扇子を落としたとしても、演出のひとつのように美しく拾い上げてにっこりできるようになった時に、自分自身では成長したなと実感しました。
【Q.今後の目標を教えてください。】
県外のお客様に「新潟にも花柳界があって、芸妓がいるんだね」とおっしゃる方が多いので、もっと広く古町芸妓の存在を知ってほしいと思っています。歴史のある料亭もありますから、そこで粋な世界を味わっていただきたいです。
私自身でいえば、独立が一つの目標です。これからも芸妓として新潟を盛り上げていく役割を果たしていきたいと思っています。
【Q. 新潟での暮らしはいかがですか?】
新潟は、都会的なところと自然いっぱいなところの両方があって暮らしやすいです。そして、何よりも食の水準が高いです。県内の友人は「おいしいところを知らない」とよく言いますが、ふらっと入ったお店でも、居酒屋やカフェでも、全部おいしい。もっと自信をもてばいいのに、PRすればいいのにと思うことが少なくありません。
【Q. 新潟での就職活動を考えている人へのメッセージをお願いします。】
仕事を選ぶときは、できる・できないよりも、まずは興味があること、自分が楽しんでできるかどうかを考えるといいのではないかと思います。好きなことならがんばれます。「やってみよう」という気持ちがあれば、周囲は温かく支えてくれます。私も一人も知り合いのいない花柳界に飛び込みましたが、社内の先輩や同期、踊りや三味線の先生方、お客様など多くの方々に面倒を見ていただきながら、6年間やってきました。この後は、私も支える側に回って役に立てたらと思っています。
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