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ニイガタビト

夢をかけての帰郷

2010.11.24 掲載

STUDIO CANDLE主宰

柳下容子さん

新潟市

 東京女子体育短期大学で創作ダンス部に所属。卒業後はテーマパークに2年間勤務した後、ロサンゼルスに3ヶ月間滞在しジャズダンスを学ぶ。2001年アルビレックスチアリーダーズオーディションに合格し、チームリーダーを務める。2003年からNFLサンディエゴチャージャーガールズ、2005年からNBA L.Aクリッパーズスピリットダンサーとしてアメリカで活躍。2006年にアルビレックスチアリーダーズのチームディレクターに就任。2007年に新潟市にダンススタジオ「STUDIO CANDLE」を設立。
 現在はダンススタジオの活動を中心に、ダンスイベントの企画・開催、アルビレックスチアリーダーズのパフォーマンスアドバイザー、全国での講演活動、著書の出版等々、様々な分野で活躍中。

新潟にUターンする前は何をしていましたか?

 短大生のときにダンスへの関心が高まり、表現することを仕事にしたいと考え、テーマパークに就職しました。そこで様々な人と接するうちに、もっといろいろな世界に触れてみたい、そしてその世界にはどんな表現方法があるのか知りたいと思いました。テーマパークで2年間の経験を積んだのち、自分のダンスを磨くためにもロサンゼルスに渡りました。
 ロスで3ヶ月滞在した後で東京に戻り、アルバイトをしながら、日々ダンスのレッスンに明け暮れました。そして、時々ダンスの仕事をさせてもらうという生活が約3年間続きました。その頃、私は24歳で周りには結婚する友人や、会社勤めをしている友人が多くおり、好きなことをして走り回っている私は、自分勝手でただのわがままな人間で社会の道に反しているのだろうか、などと考えるようになりました。自分の中で「ダンスでいろいろな人を喜ばせたい、笑顔にしたい」、「この夢をあきらめたくない」という強い想いと「これでいいのだろうか」という気持ちが葛藤していました。

新潟にUターンした理由(きっかけ)

 「2001年アルビレックスチアリーダーズ結成、オーディション開催案内」のファックスを母が送ってきました。そのときはチアリーディングには全く興味がなかったのですが、将来は新潟でダンススタジオをつくりたいという夢があったので、せっかくのチャンスなのでオーディションを受けて新潟のダンス需要を探ろうと思いました。自分の今までのダンスの評価も知りたかったし、その会場で新潟のダンス友達も作ろうと思いました。
 実はオーディションに合格したとしても、新潟に帰る気持ちは全然ありませんでした。ところが一次、二次と一番に選んでいただいて、当時のディレクターから「あなたが必要です。あなたのダンスで一緒に新潟を盛り上げてください。」と言われました。この二言が自分にとって魂を変える言葉になりました。こんなに誰かに認められ、必要とされたのは初めてで、素直にうれしい気持ちになりました。
 それまでは200%東京に戻るつもりだったのに、その言葉をもらった瞬間、「がんばります!がんばらせてください!」という気持ちに変わっていました。母からもらった一通のファックスをきっかけに、夢をかけての帰郷になりました。

Uターン後に渡米

 チアリーダーとして、がむしゃらに走り続けている日々の中で、ある日ディレクターから「柳下の夢は?」と聞かれました。それで数年前にアメリカに行ったことを思い出し、また現地でダンスを学びたいという気持ちを伝えたところ、ディレクターから「NFLに挑戦してみますか?」と言われました。それがきっかけで受けたオーディションに合格し、すぐ渡米することになりました。自分が願ってというよりも、一生懸命走ってきた結果がNFLの舞台だったので、とてもラッキーだったと思っています。
 NFLに一年在籍した後は、アルビレックスチアリーダーズに戻ってくる約束でしたので、帰国後、新潟のチームに戻りました。
 その後、東京でNBAのレイカーガールズのオーディションが開催されることになり、これはチャンスと思い、全力を尽くして挑戦しました。この時の挑戦は、ファイナルで残念な結果に終わり、悔しさだけが残りました。けれども、時間が経つにつれて今まで見えなかったことが見えてきました。両親、家族に支えられて自分がいるということ、アルビレックスがあり、チアリーダーチームがあり、そして応援してくれるサポーターの皆さんがいる、そういう環境の中だから自分が走ることができたことに気づきました。勝手にがんばってきた感覚でしたが、ふと今までの自分を振りかえってみて、新潟の暖かさに本当に感謝しました。
 このオーディションに落ちたことで、そこからまた新しいパワーが生まれました。その後のオーディションでは「ありがとう」という感謝の気持ちをぶつけました。2005年「NBA クリッパーズ・スピリットダンスチーム」のオーディションに合格し、1年間をロスで過ごしました。

今後の構想は?

 帰国後、アルビレックスチアリーダーズ・アシスタントディレクター、2007年にディレクターになり、2009年からパフォーマンスアドバイザーとして所属しています。
 そしてアルビレックスチアリーダーズの仕事と並行して、2007年に新潟市にダンススタジオ「STUDIO CANDLE」を設立しました。
 実は最初は新潟でテーマパークを作りたいと考えました。もちろん、すぐに実現する事は難しいので、自分にできるそれに近いものは何なのかと考えたら、それがスタジオでした。当時の新潟には、普通に踊れる場所や、ダンススタジオがほとんどなかったので、スタジオを開設し、多くの人から暮らしにダンスを取り入れてもらうことが、私の役目だと思いました。
 将来的にどうなるかわかりませんが、今もテーマパークを夢見ています。夢は人間にとって必要なもので、現実ばかりを見ていると行き詰まり、笑顔をなくすこともあります。現実から少し離れた世界をリアルに体験できる場所が、生きていく上では必要だと思います。
 今後の展開としては、新潟ならではの「食とパフォーマンスのコラボレーション」など、全国や海外からも多くの人が足を運んでくれるような名物だったり、地元の人から「私の街にはこれがある」と誇りに思ってもらえるような場所をつくることを目標にしています。

スタジオでの仕事は?

 スタジオのレッスンはほとんどインストラクターの先生達が担当しています。現在は私もクラスを一つ担当していますが、私の主な仕事は生徒さんとのコミュニケーションです。
 通常のレッスン以外に、これまでイベントを企画したり、先生達と一緒に大きな舞台で公演もしました。私が目指しているのは人の心を動かせるパフォーマンスであり、舞台です。観ていただいた方に自分も夢を持とう、自分も挑戦してみようと感じていただけるよう、ダンス、演出にも力を入れ舞台を制作しています。
 ダンスの新しい企画にも力を入れています。けれども、自分自身で踊っていた現役時代と違い、プロデューサーという立場として、頭の中のイメージを形にして伝えていくことは簡単なことではありません。現在も試行錯誤の毎日ですが、チアリーダーの頃に培った「できないものはない」、「苦しいときこそ笑顔」ということを大切に、仲間の力を借りながら頑張って走っています。

メッセージ

 「新しいものを生み出す」という事はとても大変ですが、同時にやりがいも大きいです。これまでにないものを創り出すことは、最初は不安だし、問題もたくさん出てきます。しかし、それを乗り越えた先には、感謝の気持ちで包まれた素晴らしい世界が待っているはず。新しいものだからこそ、それを生み、育て、耕すという楽しさ、喜びも一層大きくなるのです。新たなものをつくりだす過程では、仲間とのコミュニケーションが深まり、それがパワーになります。つらいこともありますが、それ以上に笑顔と感動が生まれ、その先には奇跡が必ず起こる。どこに行ってもできないことはないと強く信じています。
 そして、自分が生活するこの街を盛り上げ、活かしていくことが、新潟で楽しく生きていくことにつながると思っています。これからも夢を大きく持ち続け、一つ一つを「願い」、「決断」し、「実行」することで、自らの夢をかなえていきたいです。そして、夢を持つことの大切さ、頑張れば夢はかなうということを私自身の姿を通して多くの人達に伝えていきたいと思っています。

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