2019.01.21 掲載
新潟県女子野球連盟、株式会社エヌエスアイ
頓所 理加(とんしょ りか)さん
新潟市
埼玉県出身の頓所さんは21歳の時、結婚をきっかけに夫の地元である新潟市に移住しました。小学生の時から野球が大好きでしたが、プレーができる機会に恵まれず、学生時代はソフトボール選手として活躍しました。
新潟に移住して7年が経ったタイミングで家族に「野球がしたい」という思いを告白。学童野球のコーチに就いたことをきっかけに女子野球の普及活動を始めました。そのかいあって、2016年には新潟県女子野球連盟が誕生。連盟の会長として、新潟の女子野球の普及に全力を注ぐ頓所さんの熱い言葉をお届けします!
埼玉県さいたま市(旧浦和市)で生まれた頓所理加さんは、小学4年生の時、阪神甲子園球場での高校野球大会をテレビで見て、野球が大好きになりました。「キャッチャーフライを飛び込んで捕る選手の姿を見て、『カッコいい!私はこれをやりたい!』と思い、地元の小学生の野球チームに入りたいと申し出たのですが、『女の子はソフトボールだよ』と言われ、チームに入ることはできませんでした」。野球ができず、残念な気持ちがあったものの、それに近いスポーツということでソフトボールを選び、小学生から高校卒業まで選手としてソフトボールを続けました。
しかし、あくまでソフトボールではなく、野球が大好きで、野球をやりたかった頓所さん。ソフトボールではモチベーションが上がりませんし、でも女子では野球はできない。「このままズルズルとソフトボールを続けるくらいなら、いっそのことどちらにもかかわらないところに行こう」――頓所さんはソフトボール部も野球部もない短期大学へ進学しました。
高校までは部活女子として過ごしたので、大学時代は遊ぼうと思い、しばらくの間過ごしましたが、やはり根っからのスポーツ好きだった彼女は、いつの間にかユニフォームを着て、週末にはかつて自身が所属していた地元のソフトボール少年団の少女の部でコーチをしていました。「短大を卒業して社会人になって仕事がひと段落したら、絶対にどこかで草野球をやろう」――そんな思いを胸に東京で就職をしました。
都内の商社に就職した21歳の時、人生の転機が訪れました。当時、仕事の取引先の担当者だった現在の夫と出会い、すぐに結婚・妊娠。会社を退職して、夫の地元である新潟市に移住することになったのです。しばらくの間は、子育てに専念し、あえてテレビの野球中継も観ないように過ごしていました。農家である夫の実家でその両親や弟と同居していたこともあり、いざ嫁いできたものの、最初は長男の嫁という立場で辛い思いもしたようです。「“いいお嫁さん”を演じなければいけない」――そう思い込んでしまい、だんだん新潟での生活が息苦しくなっていきました。
数年が経ち、ある年の正月に埼玉の実家に里帰りした頓所さんは母親から、「今のあなたは、なんか楽しそうじゃないよね。大人になったら野球をやるって言っていたのにやっていないじゃない」と言われ、「二人の子どもを育てながら働いて、家事もこなしているのに野球なんかできるわけがないじゃない!」と頓所さん。するとお母さんは「じゃあ、この子たちが大人になったら、“あなたたちのお母さんは自分の夢を捨てて、君たちを育てたのよ”と言うわけ?」実の母と大喧嘩をして、里帰りもそこそこに新潟に戻ったのでした。
実の母からの言葉を冷静に考えてみると合点がいきました。「いつの間にか、妻はこうあるべき、嫁はこうでなきゃという枠を作ってしまって、新潟に来てしばらくは本来の自分でなかったと思います。妻となり、母となれたことはもちろん最高に幸せなことです。でもそこで、私は野球がしたかったことを思い出したのです」。
そして、夫とその両親、子どもたちまで家族全員を集め「野球をやらせてください!」と宣言。夫の両親から見ても、その頃の頓所さんは元気がなく、夫婦のケンカも多かったように見えたため、頓所さんが家族を集めた時、離婚を切り出すのではと思っていたほどでした。ところが彼女の口から出たのは、意外や意外、「野球をやらせて欲しい」という言葉でした。「どうぞ、どうぞ。好きにやればいいじゃん!」みんな口を揃えて、そう言ってくれました。それは新潟に来て7年。28歳の時でした。
ついに大好きな野球を始めるスタートラインに立ち、まずは地元の少年野球のコーチに就きました。最初は必要とされるのか不安がありましたが、いざ加わってみるとチームの監督やコーチ、選手や保護者の皆さんから大歓迎を受けたのです。「頓所さんが来てくれてチームが良くなったとか、お母さんみたいでうれしいという声をいただきました。その時、初めて女性として野球が好きでよかったと思えたのです。いざ野球をやりたいと声を出して、学童野球のコーチになったら、女性だからこそ男性の監督やコーチと違った面で必要としてもらえることに気づいたんです」。
一気に野球への思いが溢れ出し、コーチとして奮闘。そんな頓所さんの姿を見て、数人の小学生の女の子たちが「私たちも野球がしたい」とチームに加わったのでした。「いつか、この女の子たちを集めて女子だけで野球ができないか」――そこから頓所さんの女子野球の普及活動が始まりました。「家族やチームなど周りのみなさんに支えてもらっていますし、新潟の野球界の方々からの後押しも非常に大きかったです。女子野球ではまだ審判やアナウンスの部隊が整っていないのですが、女子野球で大会をする際、いつも新潟県の野球関係者の方々がご協力してくださり、審判やアナウンスの協力も快くしてくださいます。また、新潟県の女子野球が広まってきた中で、女子野球としてひとつにまとまれる団体を作った方がいいとアドバイスをくださったのも新潟の野球界の理事のみなさんでした。そういった支えがあったからこそ、私は女子野球に全力を傾けられていますし、私以外にも新潟には野球への強い愛情を持った人たちがたくさんいるんです。そして、新潟という地域が女子野球そのものを必要としていたのも事実ですし、そうでなかったらここまでやれていないと思います」。
2008年に新潟の女子野球を広めるための組織、BBガールズ普及委員会を発足させ活動を開始。その年に女子小学生だけの野球チームによる大会「BBガールズフレンドシップマッチ」を開催しました。60名を超える女子児童たちが集まりプレーして、大盛況の大会となりました。活動の輪はさらに広がりを見せ、選抜チームが結成されたり、関東女子硬式クラブチームを招いての練習会を開催したりしました。
これらをきっかけに、県内にも少しずつ女子野球チームが増え、2016年にはついに新潟県女子野球連盟が発足。頓所さんは会長として新潟の女子野球の普及に全力を注いでいます。「初めて女子だけの試合を観た時、本当に感動して、そこで私や関わってくれたスタッフ全員がこの活動を続けていこうという気持ちになれたのです。今は新潟県内で女子野球を盛り上げ、女の子たちが野球を続けられる環境を作ることが私の役割です」。
頓所さんは、普段、新潟市の出版物取次やスポーツを通じたまちづくり事業を行う会社、株式会社エヌエスアイ(NSI)の社員として働いています。「私の女子野球の活動を見てくれていた社長が、新たにまちづくりスポーツ事業部を立ち上げる際に声をかけてくれたのです。スポーツの観点から街を盛り上げることを目的としている部署で、その業務をやって欲しいと言ってもらえました。現在は仕事のひとつとして新潟県の野球協議会のウェブサイトの管理を行っています。まさか仕事でも野球に関わることになるなんて思ってもみなかったですし、この環境と仕事を与えてくれた社長をはじめ会社のみなさんにはすごく感謝しています。オン・オフともに大好きな野球に関われていますし、これからは私が新潟の野球界に恩返しをする番なのです!」と熱く話してくれました。
結婚を機に新潟に移住し、夫の実家に住み、3世代での暮らしを続けている頓所さん。一般的には同居は大変というイメージがありますが、夫の両親と同居して本当によかったと言います。「大前提として、最初はお嫁さんもお姑さんも大変です。だけど、その状況を楽しもうと努力して、楽しめるようになったら、こんなにいいことはないです。3世代で暮らしていると、おじいちゃんやおばあちゃんにとってはその日々そのものが生きがいや楽しみになる。私たち父母には、いろんな場面での大いなる助けになる。そして、子どもたちは、自然におじいちゃん、おばあちゃんを大切にするように育つんです。だから、いいことばっかりなんですよ。もちろん、難しい部分も多分にありますから、移住したら誰もかれも同居が絶対いいなんて言いません。けれど、新潟という場所はそういう選択肢が選べる場所だと思うんです。新潟は東京に比べて安価に住宅を持てるので、二世帯住宅という形で暮らすことだってできますから」。
女子野球の普及だけでなく、プレイヤーとしても女子早起き野球チーム、ヒロインズでキャッチャーとして活躍している頓所さん。「もう今では、ユニフォームを着たまま台所に立っていても、家族は何も言わないくらい当たり前の光景になりました(笑)。同居がうまくいく秘訣は、私のようにお嫁さんが好きなことをすることだと思います。そして、ひとつ屋根の下で暮らす家族全員が、自分らしく、自分の人生を生きることが大事なのだと思います」。
これからの夢は新潟に女子のプロ野球チームを作ることと、硬式野球ができる女子のクラブチームを作ること。「サッカーやゴルフ、バレーボールなどに比べたら、まだ女子野球の知名度は低いです。でも、プレーしている女子たちはみんな本気なんです。だから、もっと女子野球自体を盛り上げていきたいです。そして、私自身も野球大好き人間として長く続けていきたいです。目指すは私の野球の神様、古田敦也捕手です!」
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