2015.11.26 掲載
歌手、妙高市観光大使
高木いくのさん
40歳 妙高市在住
小学5年生の時に家族で妙高市に移住。高校卒業後、歌手を目指して上京。新人発掘オーディションでスカウトされ、1996年プロデビュー。2002年体調を崩し活動を休止。地元に戻り療養に専念。現在は妙高市を拠点に音楽活動を再開している。
小学生の時、横須賀から妙高に移り住みました。妙高の印象は、やはり雪。父の実家があるので何度か遊びに来ていたのですが、まもなく4月という時期に2メートル近い雪の壁が道路沿いに続いていたのは新しい生活への不安を煽りました(笑)
物心ついた頃から漠然と歌手になりたいと思っていて、東京の音楽系専門学校に進学。学校で行われた新人発掘オーディションで音楽事務所のディレクターから声を掛けられ、トントン拍子で「Jungle Smile」としてプロデビューしました。
「Jungle Smile」として活動するなか徐々に体調を崩し、2002年に活動を休止。ライブやプロモーションと曲づくりを並行して行うことが続き、休みが削られて、どんどん自分にプレシャーを掛けていたのかもしれません。今思うと入院という方法でしか「休む」ことが出来なかったのだと思います。
地元でのんびり過ごして徐々に体調が戻ってきた頃、進学・就職先からUターンしてきた友人たちと会う機会がありました。懐かしい話をしながら、「妙高」の将来、自分たちの将来を危惧し、町や自分たちのために何かしようという話に。地元で働き、地域に貢献する方法を話し合い、「自分たちに出来ることを協力し合いながらやっていく」ことになりました。私自身は何ができるか。やはり、自分に出来るのは「歌うこと」。また歌いたいという気持ちが生まれ、2010年12月に妙高でコンサートを開きました。実行委員は友人たち。コンサートには多くの方が来てくださり、みんなで力を合わせて「歌うこと」の素晴らしさを知りました。
以前はなんでも自分でやらないと気がすまず、自分の決めたスケジュール通りに進めていましたので、田舎暮らしをはじめた頃は、急に人が訪ねてきたり、一緒に作業をしようと誘われたりすることにとまどいを感じたこともありました。でも、寂しくしていないか、冬の保存食は足りているか、最近姿が見えないけど寝込んでないか、そうやって気にかけてくれているんです。一緒に野菜を収穫するのは気兼ねなく食べてもらうため。言葉にしないけれど、そういう温かい気持ちが伝わりました。だから、事前に自分の中で優先順位を決めないことにしました。いままで自分らしくできない場面に我慢という方法で対応していた気がします。田舎は「助け合い」がなければ成立しないと学んだことで、流れに身をまかせて動くのも自分を楽にする方法だと思うようになりました。
普通ライブは自分の歌を聴きたい人が来るものだし、ある程度わたしについて知識のある方たちがチケットを買って来てくれるものですが、地元でのお客様は子どもからお年寄りまで幅広く、私の歌を知らない人も多いです。そういう環境で「歌」を届けることの難しさはありますが、それでもその中の何人かに届いたと実感できたときは感激しました。これも田舎で暮らし始めたことで見えたように思います。
「自分のできることをやる」「無理をしない」「ある程度は流れに身を任せる」といったことが、この場所で自分らしく生きる術なのかもしれません。
自分の居場所がここにあって本当に良かったです。
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