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ニイガタビト

この土地で、この人達といつまでも暮らしたい

2017.08.02 掲載

越後門出和紙 所属

小林抄吾さん

旧高柳町出身、柏崎市在住

1987年旧高柳町生まれ。新潟大学農学部卒業後に農業系出版社へ就職し、全国各地の農家を訪ねて回る。2012年3月に地元の小学校が閉校になると聞き、「地元がなくなってしまうような危機感」を抱き翌年にUターン。
実家の和紙工房「越後門出和紙」で、研修生としてゼロから仕事を始めた。

仕事のかたわら地域おこし団体「門出・田代べとプロジェクト」に所属し、仲間たちと地域のこれからのために汗を流す日々を送っている。

いつかは「紙屋」になる

私の生まれ育った高柳町門出は、農家が農業のかたわら、和紙の原料である楮(こうぞ)を育て冬の副業で紙漉きをする伝統がありました。しかし、時代の流れとともに和紙作りをする家も減り、1973年には私の実家だけになっていたようです。父が工房を「越後門出和紙」と名付けた翌年に私が生まれました。

中学生の頃から「いつかは紙屋になる」という思いはあり、高校は柏崎総合高校の農業系の系列(柏崎総合高校では2年次からの科目選択において、学習内容に系統性を持たせた科目群のまとまりを系列として、7系列から履修科目を選択していく方針を取っている)を選択。その後は、新潟大学農学部へ進学しました。祖母が畑仕事をしていたので、その手伝いができればという想いと、和紙作りには楮を育てることが必要なので、農業系が良いだろうと勉強しました。

外の世界で勉強を。農業系出版社の営業として全国を回る武者修行

私も両親も「一度は外の世界をしっかりと見て経験を積んだほうが良いだろう」と考えていたので、大学卒業後は企業に就職することにしました。当時、さまざまな業界や現場を取材できる記者に憧れがあったのでマスコミを志望しましたが全滅。知り合いで、元々農業系出版社に勤めていた方がいて、話を聞くうちに「自分も働いてみたい!」と思い、採用試験を受け2009年から働きはじめました。

新入社員はみんな営業となり、宿暮らしをしながら、バイクに乗って全国の農家を一軒一軒回り、雑誌の購読をお願いするのがその出版社の特徴。私も、長野、山口、福島、鹿児島、山形、宮城など各地を転々とし、農家を訪ねる日々を送りました。営業は3年間担当。一日に8~10軒の農家を回るので、3年で5,000軒以上は回ったと思います。辛い面もありましたが、全国のいろんな農家を見に回れたのは有意義でした。営業の中で「農の夢」を聞くようにしていたのですが、年配の方も若い方も、男性も女性も、それぞれにいろんな想いを持っているんです。一人ひとりの夢に触れられたのは貴重な経験でした。

4年目は事務職に異動となり、東京での電話対応を中心とした仕事になりました。そこでは、言葉遣いや文書作成など、ビジネスマナーの基本を身につけられたと思います。

「地元がなくなってしまう」と思った、母校の閉校

もともと父親から修行期間は5年と言われていました。しかし、2012年3月に母校だった門出小学校が閉校。高柳小学校に統合されることになりました。それが凄くショックで。なんだか「地元がなくなってしまう」と思ったんです。それから「地元のために何かしなくては」と思うようになり、仕事に身が入らなくなりました。それで、5年を待たずに地元に帰ることを決めました。

元々、農家の跡継ぎが修行にと入社することも多い会社でしたので、まずはOBの方から会社に迷惑のかからない辞め方を教えてもらい、会社に説明。繁忙期を避けて、2013年5月に退職し、実家に戻りました。それでもお世話になった会社に多少なり迷惑をかける形にはなりましたが、事前にしっかりと話しを通したので、円満退社できたと思います。

実家に戻ると、まずは研修生扱いで仕事をスタート。中学生の頃から多少手伝いはしていましたが、本格的に家業を手伝うのは初めて。本当に最初は雑用からでした。越後門出和紙はスタッフがパートタイマーも入れると約13~14名。当時は私が一番下っ端でしたので、日々親方に怒られながら仕事をしていました。

雪国の和紙作り

和紙工房で働きはじめて、正直なところ自分が思った以上にできなかった。性格的に大雑把な部分があり、特に神経を使う「紙漉き」はまだ今も基礎学習の連続です。和紙工房と聞くと「紙漉き」をイメージされる人が多いとは思いますが、それは仕事のごく一部。原料の楮を育てることから始まり、収穫した楮を蒸して、皮をむき、その皮を煮たり、叩いたりと何行程もかけて加工して紙漉きができるようになります。紙漉きが終わった後も乾燥させる作業があったりとおぼえる仕事はたくさん。個人的に好きなのは楮を育てる作業です。こまめに脇芽をとる「芽かき」をしながら育てるのですが、手入れをすればちゃんと応えてくれる。自分の背丈を遥かに超えるほど成長する姿を見て自然のたくましさを感じます。

雪国の和紙作りでは、楮の白皮を雪面に並べて雪さらしをする行程があります。雪の降らない地域では川ざらしするようですが、雪の上では、楮の皮に含まれる灰汁を雪が吸いつくし、雪面のオゾンの働きと冬の日ざしが雪のような「やわらかい白」になります。雪があるからこその文化です。この土地ならではの生業を守り続けていきたいと思います。

この土地で、この人達と暮らしていきたいから。これからの地域づくり

門出小学校の閉鎖を受けて、集落を今後どうしていくかを話し合い、新たに「門出・田代べとプロジェクト」という団体が立ち上がりました。「べと」とは方言で「土」のこと。「門出・田代の未来のために、良い土台から創っていこう!」という意味が込められています。現在、20代~定年した人まで約10人のコアメンバーが毎週月曜日の夜にミーティングを重ね、地域情報誌「べとプロだより」の発行やイベントでピザを提供する「ピザ部」の活動、地域行事や集落運営のお手伝いなど幅広く活動しています。私もコアメンバーとして活動全般に参加しています。活動の根底には「この土地で、この人達と暮らしていきたい」という想いがあります。

この地域で暮らすと、ひとりじゃないということを実感できるんです。良くも悪くもみんなおせっかいで、どんな人にも親身になって対応してくれます。おそらく「雪」がそうさせてくれていると思います。ここは冬場は3mも雪が積もるので、みんなで助け合わなければ生きていけない土地。そこで暮らしてきたことが、DNAに染み付いているのかもしれません。まとまりがあって、みんなやさしいんです。雪は面白いもので、降るとやっぱり、すごく厄介なのですが、降らなければ降らないでソワソワしてしまう。また、降った分だけ春先には雪解け水となり、私たちの暮らしに恩恵をあたえてくれる。雪で辛いことが8割かもしれませんが、残り2割がそれを吹き飛ばすくらい“恵”になっていると感じています。そんな地域での暮らしがずっと続いていくように、できることをやっていきたいと思っています。

自然の中で暮らすこと

東京で暮らしていたときには、お金をいっぱい使いましたね。飲み会や趣味など、それはそれでとても楽しかったです。地元・門出に帰ってきてからは出費が随分減りました。実家暮らしでかつお金をつかう場所がないので(笑)飲み会もお店ではなく公民館とかでやりますし、遊びも自分たちで作っています。農家や土木業の人が多いので、里山で暮らす「技」を持っている人がたくさんいるので心強いです。

自然の中で暮らしていると、いい意味で「あきらめがつく」ようになります。自然が相手だと「仕方がない」ことがほとんど。天気によって予定していた仕事は変えなければいけないし、人間の思い通りに行くことが都会と比べると少ない。だから、都会のような「なんとしてもやらなきゃ!」というプレッシャーもなく、せかせかしていないです。

その反面、厳しさがあるのも事実です。自然の厳しさ、そして地域の中で暮らす以上は人の目にもさらされます。皆で助け合う分、誰かから見られていることを忘れてはいけません。
今は、子ども達に紙屋の仕事を伝える活動もしています。私も気づいたら、若い世代に「見られる」立場になってきたということ。偉大な先輩たちに負けないよう、少しでも地域のために格好いい姿をみせられるようこれからもがんばります。

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