2013.01.29 掲載
vol3
野本和香奈さん
長岡市
vol3
長岡市出身。県外の大学に進学し首都圏で就職。東日本大震災がきっかけでボランティアに目覚め、退職。現在、長岡市でNPO法人の立ち上げ、運営相談など地域のNPO活動を支えている。
毎日のように雪が降る季節になりました。市民協働センターオープンから早10か月。私がここで働くようになってから、さまざまな場所で活動する多くの人と出会うことができました。そして、多くの出会いの中でピンっとくるたくさんの「気づき」をもらっていました。今回はそんな「気づき」の話をしていきたいと思います。
協働センターで働いていると、「自分は今まで社会に対していかに無関心だったんだろう」ということに気づかされます。
例えば、「ぷれジョブ」。ぷれジョブとは、障がいを持った子どもたちの職業体験プログラムのことで、子どもの親たちが中心となり活動を行っています。
「子どもたちには、親亡き後でも地域の人から愛され、必要とされる存在になるように育って欲しい」「小さなころから積極的に外に出て、地域で就労する気持ちをもってもらいたい」との想いから始まった活動で、地域にある事業所に協力してもらい、子どもたちがやってみたい、またできそうな仕事を1週間に1時間程度、その活動を半年継続します。仕事は、地域のボランティア「ジョブサポーター」と一緒に行い、わからないところはジョブサポーターから支援してもらう、というものです。
協働センターでも、6月から「ぷれジョブ」の受け入れを行い、毎週火曜日に小学6年生の女の子が来て、発送作業や会議室の清掃などを手伝ってもらいました。私も毎週その子と一緒に活動し、いつも元気をもらっていました。正直なところ、私はぷれジョブに出会うまで障がいを持つ子が地域でどういう風に生活し、その親がどういった想いで子育てをしているのかということを知りませんでした。ですがこのぷれジョブ受け入れを通じて、その生活や親たちの想いを少しは知ることができたのではないかと思います。
そして、今まで生活している中で障がいを持つ子と接する機会は少なからずあったにも関わらず、相手の生活を想像することがなかったことに気づきました。学校に通っていた頃や普段町を歩いているときでも。そう、他にあまり関心はなく、自分が良ければいいと思っていたのだと思います。また、社会の中でそういう居場所は自分がつくるものではない、自分は当事者じゃないから、誰かがやってくれるのだろうと思っていたのだと思います。
しかし、ぷれジョブのお母さんたちは、自分が当事者となり、活動を始めたのです。社会は誰かが変えてくれるものではない。自分たちの力で少しずつ変えていかなければいけない。きっとそんなことに気づいたのではないでしょうか。そして、ぷれジョブの活動を通して、そう気づけたことは私にとっても大きな収穫でした。
活動をしている人に対してその気持ちに寄り添うことが重要なのは、前回のコラムでもお伝えしましたが、その気持ちに寄り添うのは、他のだれかではなく、私たち自身一人ひとりであるという想いが大切です。そうやって多くの人にこの気づきを持ってもらえれば、社会も少しずつ変わるのではないでしょうか。協働センターとしてもその役目を担っていけるといいと思っています。
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