2012.08.21 掲載
ダンサー
中野綾子さん 加藤千明さん
新潟市
中野綾子さんは2004年に、加藤千明さんは2008年に新潟市芸術文化振興財団を拠点に活動するNoism(ノイズム)にそれぞれ劇団員、研修生として所属。中野さんは東京から、加藤さんは北海道から、自分の目指す夢の実現に全国初の劇場ダンスカンパニーのオーデションを受けて新潟での生活がスタートした。 (写真 左が中野綾子さん。 右が加藤千明さん)
中野綾子さんは東京生まれ。クラシックバレー教室に通い卒業後、留学も考えていたが、新潟で全国初の劇場ダンスカンパニー、Noismが起ち上がると聞き、最初のオーデションで研修生となり新潟へ。’05年から’09年まで正式に団員として活動。さまざまな舞台を経験した。
加藤千明さんは日本女子体育大学舞踊学専攻を卒業、卒業後はヨーロッパのダンス学校に行こうと考えていたが残念な結果に。親御さんから「在学中にダンスの次のステップアップにつながるモノが掴めなければ就職しなさい」と言われ2008年にNoismのオーデションを受け研修生として所属。新潟での生活が始まった。
ともにダンスを続けたくて、進むべき場所を探していた事でノイズムを知り、二人は新潟で繋がった。
劇場が団員を雇用してダンスに集中できる環境を持っているのは日本では新潟くらいしかなく、2008年の春、そこで初めて中野さんと加藤さんが出会うことに。
Noismでは中野さんは劇団員、加藤さんは研修生という立場ではあったがお互いに気になる存在ではあったよう。
ふたりで始めるきっかけは、退団する直前、白山神社にある燕喜館でのパフォーマンスをある人から声を掛けてもらい、中野さんが加藤さんを誘ったことに始まる。
毎日遅くまで自主練習をしている加藤さんの演技を見て、とても自由に踊っている姿が印象的で、チャンスがあれば加藤さんといっしょに踊りたいと考えていたところに、この話をいただいたという。
その時は、すでに二人とも退団することは決まっていて、最後に二人でパフォーマンスができればという思いが強かったという。
練習に何日も時間を駆けて綿密にやるという事ではなく、2週間程度の練習ですごく気持ちの良い予想以上のパフォーマンスが出来たそうです。
パフォーマンス当日、180名もの方に来て頂き自分たちの力を超えた、別の力が加わったようなパフォーマンスが出来たそう。とても気持ちの良い時間を過ごせたといい、いつかまた一緒に出来ればと言葉には出さなかったが、お互いに思っていたという。
退団後、中野さんは、そのままヨーロッパやイスラエルへ。片や加藤さんは東京での活動を経た後、3ヵ月の短い期間ではあったが、ヨーロッパで活動を行った。
(その後の活動は次回に)
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館が、劇場専属のダンスカンパニーとして2004年に4月に設立。日本初のヨーロッパスタイルのプロフェッショナル・ダンス・カンパニーとしてスタート。09年、正式メンバーで構成されるNoism1(ノイズムワン)と、研修生が所属するNoism 2(ノイズムツー)の体制になる。新潟発の劇場文化発信をおこなっている
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