2012.05.15 掲載
vol1
井上 裕香さん
vol1
大阪市出身。阪神・淡路大震災でボランティアを経験。2004年、中
越地震の時に神戸でのボランティア仲間が、小千谷市にボランティ
ア団体を立ち上げ、その団体の活動に参加。現在は見附市在住。看
護師として高齢者施設に勤務しながら、東日本大震災被災地の復興
支援のためのボランティア活動を行う「ボランティアネットにこに
こ団」などの活動を行っている。
はじめまして。大阪出身で、2004年の中越地震をき
っかけに新潟県長岡市に移住した(現在は見附市在住)
井上裕香と申します。今回はご縁がありniiGETに寄稿
させていただくことになり、嬉しく思います。これを読
んでくださっている方々、どうもありがとうございます。
職業は看護師として高齢者施設に勤務していますが、
パートとして勤務日数は月の半分程度に抑え、毎年秋に
見附市の大平森林公園で行われる野外音楽フェスティバ
ル「青空キャンプ」(今年は10月6、7日に開催)、
東日本大震災被災地の復興支援のためのボランティア活
動を行う「ボランティアネットにこにこ団」などの活動
を行っています。
イベントやボランティア活動にかかわるきっかけとな
ったのは1995年の阪神・淡路大震災です。当時、仕
事をしながら専門学校の夜間部に通学していましたが、
動物好きな私は被災した動物たちのことが気にかかり、
ラジオで被災動の救援施設ができた、という話題を耳に
して、現地に向かいました。仕事や学業の合間に、テン
トが立ち並ぶ救援施設での活動に通うなか、同年4月に
救援施設が解散することに決定しました。まだ残る被災
動物たちや、現地での動物たちの困難な状況をなんとか
したいという思いから、地元の数人が中心となって、新
たな動物福祉団体を立ち上げることになり、仕事、学業
をやめ、専従ボランティアとなりました。
イベント会場でパネル展示をして募金を集めたり、動
物の里親を探したり、有志の獣医師さんのサポートによ
り被災地で犬猫の不妊手術を行ったりという活動からは
「意思をもって行動すれば社会は変わる」という確実な
手ごたえをもらいました。
それまで普通に大学を卒業してOLとなり、退職、専門
学校に入学して、と、特別な知識や技術をもたない私で
も、明確な目標を持ち、具体的な計画をたてて行動して
いけば、「夢は叶う」のだと感じました。
少し話が変わりますが、継続的で、ニーズに的確に応
えるボランティア活動を行うためには、「仕事」として
活動に専従するスタッフが不可欠です。欧米ではNPO
やNGOの専従スタッフが中堅企業程度の収入を得るこ
とが少なくないようですが、ボランティア元年、といわ
れていた阪神・淡路大震災当時、まだNPO、NGOと
いう言葉自体が社会で理解されておらず、動物福祉のた
めの活動と、「ボランティア活動」そのものを認知して
もらう活動を並行して行わなくてはいけないような時期
でした。
私を含め、専従で活動する2人のスタッフには、余裕
のある生活を行う額は無理でも、最低限の家賃・食費・
交通費を支給できる体制をつくりました。2年の活動
後、私はその団体から離れることになりましたが、彼ら
は今も神戸市での活動を続けています。中越震災時、神
戸でのボランティア仲間が、小千谷市にボランティア団
体を立ち上げ、看護師専門学校に在学中だった私は冬休
みを利用してその団体の活動に参加しました。
そのご縁を生かしたいという思いと、当時日本で唯
一の仏教ホスピス(仏教的な思想に基づいてがんの終
末期の患者様に緩和ケアを行う病棟。日本では1993
年に初めて新潟県の長岡西病院内に開設された)で仕
事をしてみたいという思いから、2005年春、卒業
と同時に、長岡の大積田代という小さな集落に移住す
ることになりました。
大都市から地方都市の、それも総戸数29戸という、
雪深い集落への移住からは、様々なカルチャーショッ
クを受けました。もともと自然の豊かな地で暮らした
いという気持ちはあったのですが、大積の緑に囲まれ
た環境と、新潟の人々の暖かさに助けられ、この地で
暮らし続けることができました。そして、中越震災で
できた人々の絆から生まれた若者たちのご縁によって、
今も様々な活動をできていると感じます。
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