2011.10.12 掲載
vol1
西畑 良俊さん
粟島浦村
vol1
3年前に、粟島に移住された西畑さん。島の魅力に取りつかれ、持続可能な島づくりに奔走されています。
島での暮らしや魅力、仕事での苦労等、西畑さんの思いや日々の暮らしを綴っていただきました。
みなさん、はじめまして!?(以前、「教えて先輩」のコーナーにも出させて頂いてますので、そうでもないんでしょうか?)
粟島に住んで3年目の、西畑良俊と申します。これから、全3回の連載ということで、新しい働き方について、寄稿させて頂きます。「現在」、「過去」、「未来」の三本立てで寄稿させて頂ければと考えていますので、まず第1回目の今回は、簡単な自己紹介と現状の紹介をさせて頂ければと思います。よろしくお願いします。
海なし県埼玉県の出身で、粟島には縁もゆかりもありませんでしたが、東京のNPO地球緑化センターが実施している「緑のふるさと協力隊」という事業に応募したところ、たまたま粟島が受入を行っており、粟島にとっては初の協力隊員として、2009年4月から受け入れて頂きました。
1年目は協力隊として、各家庭のお手伝いをしたり、民宿のお手伝いをしたり、漁の作業を手伝ったり、役場のお手伝いをしたり、イベントの準備をしたり、汽船で船を出したり、漁協で魚の選別作業をしたり、と、島の様々な仕事を体験させて頂きました。
早くも派遣されて2か月で、「来年も残りますよ!」と宣言させて頂いたのは、島の野菜や魚や空気や水が、本当においしいのはもちろんですが、島の方々が本当によくしてくださったこと、島の人たちの「つながり」の濃さ・安心して暮らせる人間関係があること、さらには、「都市の暮らしとは全く違う時間の流れ・価値観・暮らしを、後世に引き継いでいくことが、日本を、世界を、よりよくしていくことにつながる」と思ったからでした。
2年目は、ドリームランド協議会の事務局として、主に、観光振興、交流人口拡大のために、自分なりにできることをやらせて頂きました。(日帰りツアーを作ったり、冬場のタラ網体験ツアーを実施したり)とはいえ、島に来た当初の想いが、「世界の環境問題、日本の食料自給率の問題をクリアーするために、田舎での食料自給率の向上、地域でのモノの循環を生み出すことに関わりたい」というものだったため、正直、観光の仕事、デスクワークだけをやっていく毎日は、「自分は粟島に来てまで、何をやっているんだろう?」と自問自答する日々でした。
たまたま、竹を粉砕してできる竹パウダーが、農作物を劇的においしくする、という情報を入手し、粟島には荒廃竹林が非常に多くあることから、「竹パウダーを島で作りたい!」と思うようになっていました。その思いは、2年目の事務仕事の時間が増えるのに比例して、どんどんと大きくなっていきました。
また、粟島の暮らしを維持していくためにクリアーするべき課題として、「島に仕事を作ること」がまず、第一だと考えていました。そのためにも、竹を資源として活用し、耕作放棄地も活用し、島に仕事を作り、若者が入って来たり、帰って来たりする状態を作れれば、島の暮らしも持続可能になっていく、と考えるようになりました。
そこで、認定NPO法人ふるさと回帰支援センターが行う、農村の六次産業起業人材育成プロジェクトのビジネスプランコンペに参加させて頂き、見事、起業支援をして頂けることになりました。
そんなわけで、4月からは、竹を粉砕してパウダー化し、それをもとに島の生ゴミをすべて堆肥化し、その堆肥でおいしい野菜を作り、島の民宿で食べられるようにし、島外にも販売していくプロジェクトを進行中です。
まだまだ、道半ばではありますが、「想い」と「カタチ」にするのが、「新しい働き方」かなと思い、あと2回ほど、自分の歩んできた道と、今後の展望について寄稿させて頂ければと思います。
今後とも、何卒よろしくお願い致します。
このページをSNSで共有する